思考の境界 | パート主婦の生き方

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浮かんでは消えて行く思索の記録

意図的思考ー意図の伴う思考。

恣意的思考ー意図せず勝手に浮かんでくる思考。

 

どちらも意識下に上っている思考であるが、意図的思考は”流れ”に逆らう感じで、恣意的思考は”流れ”に乗っかっている感じである。なので意図的思考の方が集中力やフォーカスや理性や論理を要し、エネルギーを使うので長続きしない。恣意的思考は勝手に湧き上がって来るので、脳のより本能的な自発的作用とも言える。最近受けとった体外・体内由来の刺激に反応し、その刺激を処理するために反芻されている。恣意的思考の内容は本能的に、当人の存在にとって重要なこと・意味のあることである。

 

例えば、通勤中勉強するためにラジオを聞いていたとする。気がつけば、新しいヘアコンディショナーについて考えている。集中力が途切れる原因は2つ考えられた。1つはラジオの内容が頭に入らず、神経細胞を流れる情報を関連付ける行き場がなくなったために、恣意的思考が入り込んだと思われる。なぜなら、何度聞き直しても同じ箇所で記憶が飛ぶ。笑。もう1つの理由は、体外刺激である。ふと風が髪を撫でてその感覚が首から伝わった。髪を感知した神経細胞が発火し、そこからの連鎖反応である。(髪の毛切りたい→髪の毛切った私→髪の毛パサついている→髪の毛のケア→新しいヘアコンディショナー買おうかな。)この一連の切り替えと連鎖反応が起こるのはおそらく数秒内だ。そして意外にも本能的に髪質を気にしている。笑

 

このように、思考をコントロールすることは思う以上に難しい。常に自分の思考に意識を向けていることは不可能のようである。

 

意図的思考と恣意的思考はあまり重なり合わない。スイッチのように入れ替わる。己の思考を眺めていたはずが、いつの間にか、こんなことやあんなことまで考えていた、という風に思考の境界を意識することができないのだ。

 

以前思考や意識はエネルギーの流れであるという妄想を書いた。エネルギーは同じ空間に重なって存在することができるが、大きな波が小さな波を打ち消すように、意図的思考が恣意的思考を打ち負かす。

 

思考は脳という物質を通して発生するそれぞれのエネルギーの流れの総和だとすると、意図的思考と恣意的思考の発生場所は異なるのではないかと考える。意図的思考は皮質由来で、恣意的思考は視床由来、なんじゃないかな、なんて。

 

読書好きの言語に強い友人やプログラマーなどの理論につよい友人たち、つまり左脳が優勢だと思われる人達は、聞くと思考が途切れることがあまりないようである。意図的思考が完結するというか。左脳の言語野内の神経細胞がよく繋がっていると刺激の連鎖反応はちゃんと文章として言語野内で収まると思われる。まあ仕事をしている最中は意図的思考が優勢になりやすいだろう。お疲れ様。私のように、どちらかというと右脳優先でイメージでものを考えるタイプはテレビのチャンネルサーフィンしているように次々と神経細胞が連鎖反応して関連事項が芋づる式にイメージに上るようである。

 

つまり思考がまとまらない。笑。よく女子達が思いつくままに会話し話題がコロコロ変わってついていけない、なんてのも恣意的思考のよい例じゃないだろうか。本能的に大切なことを発散(アウトプット)して消化してスッキリ!っていう。

 

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