王78年オフ①

 

昨シーズンもネッツはリーグ最下位。

タイニー・アーチボルドとのトレードでもらったもうひとつの1巡目指名権は、また2位になります。

 

【5月頭、昨プレイオフ中】

 

暫定HCだったラリー・ステイバーマンに替わり、コットン・フィッシモンズが就任しました。

 

70年にNBAのHCキャリアをスタートし、3チームで計7シーズン指揮を執りましたが、プレイオフに進んだのは一度だけ(プレイオフに進めなかったうちの2シーズンは6割近い勝率を残していますが)。

昨シーズンはブレーブスのHCでした。

 

NBAのHCになる前は、カンザス州立大のHCを務めていたことがあります。

 

今回は2年契約。

「チームをあちこち移ることにうんざりしていたんだ」

「キングスといえば、最後まで粘り強くプレイすれば彼らには勝てる、というのが定説だった。でも、彼らのポテンシャルは魅力的だった。バードソングとスコット・ウェッドマンは大好きだった。サム・レイシーが怠け者というのは不当な評判だと思っていた。オフェンス・リバウンドは散々で、ディフェンスは弱かったけれどね。あと、ボールハンドリングも最悪だね」

 

ACはフランク・ハンブレン。

契約当時、29歳の若さでしたが、これまでアレックス・ハンナム、ラリー・ブラウンといった名将のACを務めてきました。

【ドラフト:大物】

①1巡目第2位でフィル・フォードを指名。

②3巡目第49位でジェフ・クック、4巡目第70位でジェフ・クロンプトンを指名。

 

フォードはノースカロライナ大史上に残る名PG(6フィート2インチ・175ポンド)。

 

ノースカロライナ州のロッキー・マウントという街で生まれ育ち、地元の高校へ。

カレッジ進学時は、UCLA、ノートルダム大、ノースカロライナ州立大学など数多の大学から勧誘を受けました。

 

最終的にはノースカロライナ大とノースカロライナ州立大の二択で、両親に決めて欲しいと頼むほど悩んだ末、ノースカロライナ大を選択。

フォードはのちに、ディーン・スミスHCについて最も印象に残ったのは、最初の面談でバスケットの話題が一度も出なかったことだと振り返っています。

 

入学後、フォードはスミスHCとすぐに良好な関係を構築。

1年生のデビュー戦ではいきなりスターターとして出場しました(スミスHCの教え子で、1年生のデビュー戦でスタートした初めての選手)。

 

フォード在学中のノースカロライナ大には将来のNBA選手が何人もおり、フォードにとって、一学年上のウォルター・ディビスの存在もまた大きかったようです。

 

フォードが3年生、ディビスが4年生だった76~77シーズンは優勝のチャンスがあると期待されたようですが、NCAAトーナメント中にフォードが右肘を負傷。

フォードは怪我をおしてプレイを続け、ファイナル4まで進みますが、決勝でマーケット大に敗れました(ディビスも右手の指を骨折したままプレイ)。

 

卒業時には幾つもの記録を樹立し(卒業時の総得点は同大史上1位)、4年次に受賞したジョン・ウッデン・アワードをはじめ、数多の賞を受賞。

背番号12は永久欠番となっています。

 

スミスHCは、フォードをコート内外のリーダーとして高評価。

フォードがチームを去るとき、「フィル・フォードのような選手は二度と現れないだろう」と話しています。

 

フォードが有名になった要因のひとつとされるのが、スミスHCが考案した ”フォー・コーナーズ・オフェンス” という戦術。

 

これは、チームがリードしているときに用いられるオフェンスで(特に試合終盤)、中央でボールハンドラーがコントロールし、それ以外の4人がフロントコートの四隅に広がってオフェンスを展開するというもの。

リードを保つために時間を使いながら攻めるんですね。

 

このオフェンスを成功させるために必要なのが、一流のボールハンドラー。

その役割にフィットしたのがフォードなんですね。

 

フォードは、スピード、素晴らしいハンドリングのスキル、視野の広さ…を兼ね備えたフロアリーダー。

極端に広くスペースを取るこのオフェンスでは、時間を稼ぐにしても、相手の隙を突くにしても、フォードのスキルが存分に活きたようです(”フォード・コーナーズ”と呼んだ記者もいたとか)。

 

2年次が終わった後の76年夏には、モントリオール・オリンピックの代表チームに入り、スターティングPGとしてプレイ。

このときのチームにはフォードの他、ディビス、ミッチ・カプチャック、トム・ラガード、HCのスミス、ACのビル・ガスリッジとノースカロライナ大の関係者が5人もいました。

 

【ドラフト:問題】

 

この年のドラフトは、元々ペイサーズが1巡目第1位指名権を持っていました。

 

1巡目指名権を持っていなかったシクサーズはフォードを狙っており、ジョージ・マクギニスとの交換で1位指名権を獲得しようとしますが、これは失敗。

 

ドラフト後には(ドラフト当日)、ノースカロライナ大のスミスHCのオフィス前で記者会見が急遽開かれ、フォードはドラフト制度に異議を唱えることを公言し、また、他にも選択肢があることを明かします。

 

「もっと確固たる地位を築いているチームでプレイしたい」

 「選択肢は3つある。イタリアでプロとしてプレイするか、NBAでプレイするか、それとも、ここノースカロライナ大学で院生の助手になるかだ」


ホールドアウトに入ったフォードはチャペルヒルに留まり、その後の一連のインタビューでは、金銭が問題ではないと主張。

ドラフト制度を批判しました。

 

”選手はドラフトされたチームに行かなければならない” という縛りに対して、このようなかたちで公に異議を唱える選手は、これまでいなかったようです。

 

つづく