土日・全日本選手権大会!
さーて、大会頑張るぞー!
私寺本の所属するチーム名は”MSC”。デビジョンA トーナメントに参加。
土曜は昼過ぎから1試合、勝てば翌日日曜午前中準決勝になります。
(決勝は午後4時前後にスタート予定)
今週末22(土)、23(日)東京で大会やります。
今週末10月22(土)、23(日)に亜細亜大学体育館にて全日本セパタクロー選手権大会が開催されます!国内ではセパタクローを見ていただける機会があまりありませんので、お時間ありましたら是非体育館へお越し下さい。
亜細亜大学
)最寄り駅 武蔵境駅(新宿から中央線で三鷹、高尾方面に乗り約20分)
地図 → http://www.asia-u.ac.jp/access.html
自然に囲まれ生活する人々は心体豊か
現地の人と共に自然の中で生活する事で、日本という国の豊かさに改めて気づく。そして同時に自然の大切さを感じることになった。
日本に生まれ生活してきた私達にとってこの環境は当たり前の状態で、特別なものだと気づくことはなかなか出来ない。
タイの田舎生活に洗濯機やテレビ、冷蔵庫はなく、部屋にちゃんと鍵もかからない。風呂はバケツにたまった水を浴びるだけ。時には蛇やムカデが部屋をはったり、シロアリが家を潰すことだってある。舗装されていない土の道は、雨が降る度に沼のようになる。 しかしそんな環境でも何の不自由も感じさせず生活している人達の笑顔を見て、豊かなはずの日本に無い大切な何かを感じていた。
人は常により快適な生活環境を生み出そうとする。不便なことがあれば、まずその環境を変えたいと考える。特に日本にはそれを変えることが出来る技術と資金がある。これはすばらしいことだけど、それに頼ってばかりでは本来人間(動物)の持つ能力(対応能力、運動能力、、、)を退化させてしまわないだろうか?
何かを改善したいと思ったら、まず自分自身が変わろうとするべきだと考えます。これはどんな事に対しても言えること。人間関係でも同じで、人のせいにする前に自分を見直した方が解決に向かう事が多いし、自分自身成長できる。
快適な環境、あふれる物、そして人、、全てに対して有り難みを感じながらそれらに頼り過ぎないことが、心と体を少しずつ進化(成長)させていくコツかもしれない。
行きたくなくても行くしかない!
これまで何度も一人タイに渡った。
しかしそれはセパタクローのためで、タイが好きだからではなかった。
逆に毎回色んなことに悩まされ辛い事の方が多い気がするので、できれば行きたくない気持ちの方が強かった。
初めてタイに行った17歳の時、暑さによる疲労や食事などが原因でいきなり現地入院。
約3日間お粥とカロリーメイトしか喉を通らなかった。
初タイでの辛い経験のおかげでタイ料理が嫌いにまでなった。しかしセパタクローはタイが世界一強い。
レベルアップするためにはやはりタイに行く以外考えられなかった。
そして一人長期合宿では不安と寂しさが一番の敵かもしれない。ラオスとの国境沿いにあるノンカイという町にいたとき、休日になれば日本人恋しさに国境に行き、日本人観光客を探し眺めていたことがある。よく現地の人と間違われるほどになっていた自分は、「日本人の方ですか?」と話しかけても怪しい客引きにしか思われなかった。
しかし見てるだけでなぜか心安らいだ。それはその時期唯一楽しい時間でもあった。(あの時はかなり疲れてたなぁ(笑)) 今ではタイでもインターネットや携帯電話が普及してきたため、日本との距離が短く感じる。そして、言葉も話せるようになったので寂しさのあまり「国境に行きたい!」と思うことはなくなった。
一人海外に行って「辛い、寂しい、、」と思うのは自分の弱さ。「毎日楽ばかりでは自分の弱さ、弱点に気づかない、成長できない」 と自分自身にいい聞かせてきた。
これまでタイという国にセパタクロー以外でも多くのことを学ばせてもらった気がする。初渡タイから約10年過ぎた今、ようやくタイという国が好きになりつつある。
選手部屋はディズニーランド
タイでは超メジャースポーツセパタクロー。
その本場でのプロリーグに参加する選手達はどんな環境で生活しているのか知られていない。
お教えしましょう!
日本の野球やサッカーのような待遇とは程遠し…
昨年所属していたリーグナンバー1の実力と資金力を持つナコンパトムでさえ選手を取り巻く環境は厳しい。
給料は一般選手で1シーズン約2~3万円(約半年間)。ただし毎日の食事、宿泊はチーム負担。宿は選手10人がホテルの1室で雑魚寝。部屋には鍵もかからずで、朝起きたら知らない人が寝ていることも、、。
電球は所々にしか設置されておらず、窓も無い暗く湿った部屋。
ゴミ捨て場が部屋のすぐ外。
毎晩電気を消した途端、どこからとも無くガサガサとネズミたちが現れ、体の上を走って越えていったり頭を蹴られたり。そして布団を頭からかぶっていないと耳をかじられた。
大騒ぎするネズミにおびえながら過ごした6ヶ月間。
部屋は毎晩ディズニーランドと化していました。ミッキーマウスが嫌いになりそう、、、。
変わって今年ナコンサワンでは寝床にネズミがいなかった!
多分猫が沢山いたから(有難う猫!)。
しかしある日の深夜、拳銃を持った不審者が裏山から施設に進入してきて警備員に捕まるという事件が起こった。その後物音がすべて銃声に聞こえた。
タイでは安心して休めるところがない気がする。
それでも選手達は最高のパフォーマンスを見せる。
競技だけでなく、生活から精神面が鍛え上げられる。
チーム移動バスにて(苦笑)
日本代表、住所不定無職?
セパタクローはまだまだ日本では知名度が低いため、選手の環境は十分ではありません。
現在では世界で常にメダルを狙える位置にいるほど力をつけてきた日本チームですが、毎回国際大会での遠征費、日の丸ユニホーム代など、あらゆる費用は選手自身で作らなければいけない状況にあります。
それでもセパタクローへの気持ちは強まる一方で、大学を卒業しても引き続き選手生活を送ることを決め、アルバイトでお金を貯めては一人タイ合宿に行くという生活が始まりました。
覚悟は決めていてもマイナースポーツに全てをかけるという事は常に不安との戦いで、時には将来への大きな不安を感じつつ、それを振り払うように毎日がむしゃらにボールを追いかけました。
特にタイでは言葉、食事、気候の違いなどにより疲労は日に日にたまり、そして資金は日に日に減っていく。毎回”もう二度とタイには行きたくない”と思いながらも何度もタイ合宿を繰り返してきました。
「どうしてそこまでしてセパタクローするの?」と,よく人に聞かれることがありますが、その度「セパタクローが好き。世界のトップグループで結果を残し続け、日本にも普及させたい!」と、自分の頭を整理するかのように答えています。
しかし単純にいえば”感覚”。「この世界で、この仲間達と、この競技をいけるところまでやりつづけたい」というシンプルな感覚。気づけばその感覚から”世界大会でメダルを取りたい”という具体的な欲(目標)を生み出していました。それにより、何か大きな壁にぶつかる度に自分の中から自然に力が湧き出し、打ち崩し前進して来れた気がします。具体的な夢や目標は大きな力を作り出すことを実感しています。
苦しい状況でも自分を成長できると思った行動を取っています。 ある年には、”もっと効率のよい方法はないか?”と考えた結果、ついに住み慣れた東京のアパートを引き払い、タイに出ることを決めました。
これにより家賃という支出を減らすと同時に、疲れて帰ってこれる自分の逃げ場を無くしました。いわゆる”住所不定無職”という状態。そしてタイへ。ほとんどあてもなくセパタクローのチームやローカル大会を求めて転々としました。当然ホテル暮らしが出来るわけでもなく、日々その土地で出会った選手の家に泊めてもらうなどといった落ち着かない生活。「明日は何処に行くのだろう、、」と、住所不定で過ごした約1年間。
全ては自分の成長のため、セパタクローのために、、。