小売店でレジ打ちする中年フリーターです。




勤続10年。

職場で褒められるということが、すっかりなくなった。

これは自分だけじゃないかも。


自分含め、今在籍しているアルバイト従業員は
全員が最短でも勤続10年の熟女戦士たち。

20年超なんて人もいる。


だから、できて当たり前。

できなければ、わたしのように
繰り返し呼び出しをくらうのみである。



無能のくせに10年前のデビュー時から変わらず
やる気だけは持続しているわたしは、いつだって

「よっしゃ今日もやるかー!」
「さ、今日もやってやんよ」

ってな掛け声で自らを鼓舞し(周囲は苦笑い)
全力で、レジという名のリングに上がってきた。


けれどもこう、だめ人間の烙印をだめ押しされるだけだと
どうしても戦意喪失するときだってある。

自分の心に、常に勝手に携えている
プロレスラー棚橋弘至氏の “けっして諦めない心” をもってしても、だ。

プロレスに関して無知です







そんな最近、ふと学生時代のことを思い出した。

勉強全般が苦手で定期テストの点数が悪く
毎回のように課題提出していた苦い記憶。

赤点という概念があったので、おそらく高校時代だと思う。


生物で赤点をとった際の提出物には
顕微鏡から見た対象物の模写が何度かあった。

わたしはそれにこだわりがあって
いつも時間をかけて点描表現を駆使し
気の済むまで鉛筆で細かく描き込んでいた。

そんなある日、理科の先生から
その対象物の模写が毎度すごいと褒められて
びっくりしたのと同時に嬉しかったこと。

テストの点数は毎度ヤバいのに
褒めるポイントを見つけた当時の教師はすごい。


ただ、それはわたしが高校生だったから。生徒だったから。

いろいろとヤバいまま大人になった今は
みんなと同じ時給(=最低賃金)もらってんのに
なんでコイツこんなヤバいんだとしか
きっと思われておらず

働かせてもらえるだけありがたいと
考えるべきなのかもしれない。




こうなったらもう、自分で自分を褒める
今だからこそ有森裕子スタイル(1996年)で
モチベーションを保つしかないと考える。

ちなみに、自らを褒められることとして
今すぐにぱっと思いつくのは


たぶん、ここ1年半くらい、人前で
【疲れた】という言葉を発していないこと。


これも自分の中の “棚橋イズム” だ。





なお、先に記したように
プロレスに関して無知なんだけれども
棚橋弘至氏のアメブロを非公開でフォローしています。