鎌倉殿の13人36話「武士の鑑(かがみ)」を吹き出し会話方式1
北条時政 VS. 畠山重忠
義父・北条時政との亀裂が深まり、対立することとなった畠山重忠。その要因のひとつは、時政による武蔵国への支配の拡大があります。
重忠は秩父平氏の嫡流であり、比企郡に隣接する男衾郡を本拠としていました。武蔵国の留守所惣検校職(武蔵国の事務を総括する職位)を務め、武士の鑑と称されるなど御家人たちからも尊敬を集めています。しかし、『吾妻鏡』建仁3年(1203)10月27日条によると、比企能員を誅殺して武蔵国から比企の勢力を一掃した時政は、侍所別当を務める和田義盛を奉行として、武蔵の御家人たちに自身に対して二心を持たないように命令。本拠のある伊豆だけではなく、幕府の基盤である武蔵の掌握にも乗り出していました。自身の立場を脅かされ、重忠が危機感を抱いていたことは、想像に難くありません。
藤原定家の日記『明月記』建仁4年(1204)1月28日条には、「北条時政が畠山重忠に敗れて山中に隠れた」というウワサが記されており、北条と畠山の確執が京にも届いていたことがうかがえます。
放送日は9月18日20:00から
第36話はここから
北条時政(坂東彌十郎)と畠山重忠(中川大志)との対立が深まります。時政は、御家人を招集しました。
三浦義村(山本耕史)、和田義盛(横田栄司)、稲毛重成(村上誠基)らが集い、対応を協議します。
そのことは、義時(小栗旬)の耳に入ります。
一方、重忠(中川大志)は手勢を率いて鎌倉を目指します。
そんな重忠を止めようと、義時(小栗旬)はなんとか間に入って事態を収集しようとします。
そして、北条の兵が重忠の子供を殺してしまいます。
りく(宮沢りえ)が兵をあげるように言います。そのタイミングで、畠山が鶴ヶ峰の高台で陣を敷いたとの情報が入ります。
そして、義時は政子(小池栄子)と話をしました。
頼朝は景時に運の良い方向を確認していたのです。
しかし、執権殿がそう申されているのなら仕方ありません。姉上、いずれ腹を決めなければならないかもしれません。政を正しく導くことができないものが上にたつ。あってはならないことです。その時は、誰かが正さなければなりませぬ。
そして、義時の陣では作戦が考えられます。
畠山陣に和田義盛(横田栄司)が交渉に出ます。
その後、義時が頼朝に水をもってきて2人に話をします。
そして、遂に北条が兵を挙げました。
人数的に圧倒的に不利な中で、畠山重忠の軍勢が対抗します。そして、総大将である義時と重忠が一騎打ちします。最初の人たちで義時の剣は折れてしまいます。
しかし、義時は馬からのダイビングアタックで畠山と義時は馬から落ちます。北条の軍勢が周りを囲む中、剣を置き1対1の殴り合いの喧嘩になります。
そして、畠山重忠が義時が殺そうとしたところで、刀を地面に突き刺しました。戦は、夕方にはおわりました。
そういった瞬間に右手がしびれ意識を失い、頭から落馬します。
義時は、時政に伝えます。
畠山陣に和田義盛(横田栄司)が交渉に出ます。
そして、畠山重忠の首を渡します。
しかし、時政は畠山重忠の首を見ることなく去りました。