“ら”抜き表現とSEO | SEOアドバイザーによる検索上位で集客・成約する為のコンサルタント

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今日は、ら抜き表現・ら抜き言葉がSEOに及ぼす影響について考えてみましょう。


とはいっても、実はそんなものはありません。(笑)


ちょっとウケ狙いでタイトルを付けましたが、ウケにもならないかもしれません。
そもそも、読んでる人もあまりいないと思うので、ウケ以前の問題です。(笑)


ら抜き表現とは、「食べれる」のように、本来は「食べられる」が正しいのに、
『ら』を抜いたものです。


私の認識としては、比較的若年層に使われることが多く、1990年代半ば頃から
一般化(?)してきたように思います。
まぁ、国語学者ではないので正しいかはちょっと自信がありませんがね・・・。


私的には非常に耳障りな表現で、明らかに誤った使い方だと思っているのですが、
最近はそれが普通になっているきらいもあって、一概にはもう攻められませんね。


ただ、10年ほど前にサブで持っていたMacで、誤って『ら抜き表現』を入力すると、
赤線が引かれて『ら抜き表現』と指摘されたものです。
そう考えると、やはり国語的には誤った表現で、美しい日本語ではないのでしょう。
(ちなみに最近のMacはどうなんでしょうね? もう使ってないので…)


でも、globeの歌詞の中で、小室哲也さんは、平然と『ら抜き表現』を使っていたし、
初期のELTの歌詞の中にも『ら抜き表現』は使われています。


つまりそれ以前に一般化したのか、その頃に違和感がなくなったのかは不明ですが、
ほとんどの人には概ね抵抗なく受け容れられる表現だったのでしょう。
(上記の「受け容れられる」も「受け容れれる」になるのですが、いかが?)



さて、昔のMacがそういう表現(ら抜き)はおかしいんだよ?と指摘できたのだから、
今のGoogleがそういう表現をおかしいと認識することは十分に可能でしょう。


そこでタイトルの様なことを想像してみたのですが、現状では関係ないようです。
ら抜きでコンテンツを構成しても、正しく構成しても違いは感じられませんでした。


ただ、読むコンテンツとしては、どうしても目障りだし稚拙な感じは否めません。
なので、あえて使うとき意外は、なるべく避けるに越したことはないでしょう。
知性と品格が疑われる… 私はそう思って受け容れれないんですね。(笑)