藤居平一さんは1996年に80歳で亡くなったが、晩年に原爆についての自分の思いを次のように語っている。
原子力というのは、この世に悪魔の所産として、でてきとるんです。医療法も予防法もなくて、殺すためだけにできてきたものです。根治療法も予防法も遺伝のこともどうでもええ、とにかくやればいいという悪魔の産物ですよ。それを世界の救世主のようにアメリカは思うとるんです。(舟橋喜恵「原水爆禁止世界大会[第一回] 藤居平一氏に聞く」広島大学平和科学研究センター『広島平和科学』1997)
藤居さんのエネルギッシュな運動の根底には、原爆と、それを使ったアメリカへの激しい怒りがあった。藤居さんの言葉の中に「根治療法」と出てくる。病気の原因を根本から取り除き治療する方法ということだ。被爆者や医師たちは当初、アメリカは「原爆症」の治療方法を知っているのではと期待した。1945年9月に単身広島を取材したオーストラリア人のウィルフレッド・バーチェットさんは広島逓信病院の外科医勝部玄さんからこう言われている。
「どうぞ、あなたの見たことを報告し、あなたの国の人びとに——彼は当然のように私をアメリカ人だと思っていた——この病気に詳しい専門家を何人か送ってくれるように、そして彼らに治療に必要な薬を持たせてくれるように頼んでください。さもなければ、この人びとは皆、死ぬ運命にあるのです」(ウィルフレッド・バーチェット『広島TODAY』連合出版1983)
しかし大量の放射線を浴びた体を元に戻すことは今でも不可能だ。爆心地から900mほど離れた広島一中に8月6日当日登校した1年生307人は半数が建物疎開作業に出て全滅し、残りの半数が圧し潰された校舎の下敷きになった。80人ぐらいがなんとか抜け出すことができたが、一週間後ぐらいから急性放射線障害でその多くが命を奪われ、とにかく生き延びることができたのはたったの19人だった。しかしその19人も一人また一人と白血病やガンで倒れていき、最後に残ったのが兒玉光雄さんだった。2007年、兒玉さんは広島の放射線影響研究所でリンパ球の染色体を検査してもらった。その結果、放射線などによって切断された染色体が間違った再結合をすることを「転座」というが、一般には100個の細胞の染色体を調べて転座が多くて2、3個なのに、兒玉さんの場合102個も見つかった。(人間の1個の細胞には46個の染色体がある)
兒玉は、どんな結果であっても動じないつもりでこの検査を受けた。しかし、無残に切り刻まれた染色体を見て、背筋が寒くなり、思わず尋ねた。
「これは、治らないのですか?」
中村が答えた。
「血液をつくる幹細胞が放射線によって損傷を受けているので、一生涯回復することはありません」(横井秀信『異端の被爆者』新潮社2019)
これほどひどい染色体異常はガンを多発させる。兒玉さんは60歳を過ぎてからガンの手術を20回以上して、最後は腎臓がんだった。亡くなられたのは2020年。原爆は、こんな「悪魔の産物」なのだ。