『オッペンハイマー』57 原子力帝国7 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 1949年8月のソ連の核実験はアメリカ政府や軍の首脳に衝撃を与えた。すぐに対応策が協議され、トルーマン大統領は原爆増産の命令を出した。さらにアメリカ原子力委員会(AEC)委員のルイス・ストローズは、水素爆弾製造に向けての「突貫計画」を策定するよう提案した。

 太陽など恒星内部で起きている核融合反応の仕組みを利用し、原爆よりも桁違いに大きな破壊力を持つ水素爆弾の研究に取り組んだのはエドワード・テラーだ。しかし「マンハッタン計画」では原爆の開発が優先されてテラーの研究は片隅に追いやられ、それは戦後もしばらく続いた。しかし、ハンガリー生まれのテラーは共産主義とソ連に対する強い嫌悪感を持っており、近いうちに原爆を開発するであろうソ連を抑えつけるには水爆がどうしても必要だという信念は揺るがなかった。

 ソ連がついに原爆を持ち、アメリカ政府、議会、軍に水素爆弾を開発しようとする動きが出てくる中、オッペンハイマーは決意した。「今度こそ、しくじれない」と。このままでは人類が滅亡しかねない。米ソの核軍拡競争は何としてでも阻止されなければならなかった。

 オッペンハイマーは当時、アメリカ原子力委員会(AEC)の諮問委員会(GAC)で委員長を務めていた。GAC は1946年10月28日から3日間の会議を行い、水爆の研究開発は続けるにしても、その「緊急開発計画」には反対だという結論を出した。そして水爆はその破壊力から人類にとって決して望ましいものではないことをアメリカ国民及び全世界に公表すべきだと勧告した。

 GACの委員で出席した8人のうち、オッペンハイマーなど6人は勧告書に共同で次のようなコメントを加えている。

 

 水爆は明らかに原爆とは異なる。破壊力の無限性と、それがもたらす一般市民の犠牲の大きさのためである。ゆえに、水爆は”皆殺し(genocide) “の兵器であり、その使用者にはいかなる正当化も許されない。人類の将来に重大な脅威を与える水爆の開発を国際世論も肯定しないだろう。このような水爆の保有は、アメリカの安全保障に利さない。(中沢志保『オッペンハイマー』中公新書1995)

 

 ユダヤ系のオッペンハイマーにとって”genocide“という自身が震え上がるような言葉をあえて使ったのは、それだけ水爆への危機感が強かったということだろう。GACの委員で残りのエンリコ・フェルミとイシドール・ラビはさらに強い調子で意見を述べている。水爆は、その存在そのものが悪であるというのだ。そしてアメリカが水爆を作らないだけでなく、アメリカ大統領はすべての国が水爆を作らない誓いを立てることを世界に呼びかけるべきだと主張した。

 1949年11月のAEC理事会は3対2でGACの勧告を支持した。これを聞いてオッペンハイマーは安堵する。人類を滅亡に導く核軍備拡張競争の第二段階は回避されるかもしれないと思ったのだ。そして、アメリカが率先して水爆を開発しないと宣言することによってソ連の信頼を取り戻し、核の国際管理の議論が進むことを期待した。

 しかし、オッペンハイマーの考えは甘かった。間違いもあった。水爆を持ちたいというアメリカ国内の勢力からは、すぐに反撃が始まった。