『オッペンハイマー』19 トリニティ10 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 映画の中でオッペンハイマーは、世界の国々が原爆の恐ろしさを知ったなら、もうこれで戦争はできないと理解するに違いないと考えた。そうなれば原子力の国際管理への道が開ける。これがオッペンハイマーの原爆投下容認の理屈だった。オッペンハイマーは、原爆をどこに、どのように爆発させるかの検討に積極的に関わった。

 もっとも映画では、オッペンハイマーに「私たちは原爆をつくったけれど、だからといって、それをどのように使うかについて決定する特別な権利や責任は認められないんだ」と言わせている。ここでの「私たち」はマンハッタン計画に参加した科学者ということになるだろう。実際、オッペンハイマーはそうした見解を述べている。しかし決定権はないにしても、オッペンハイマーは政策への関与を認められたごく少数の科学者の一人だった。

 1945年5月10日と11日の二日間、ロスアラモスにあるオッペンハイマーの執務室でマンハッタン計画の第2回目標選定委員会が開かれた。4月27日の第1回会議で目標地域の選定基準が決まり、研究対象として選ばれた17の都市と地域から、この日、京都、広島、横浜、小倉造兵廠の4つの都市・地域が選定された。

 目標地域の選定基準は、第1回会議で、a.十分な広さの都市圏内に位置するが、目標それ自体は直径3マイル(約4.8km)以上なければならない b.東京と長崎の間になければならない c.高度の戦略的価値を持っていることとされた。

 第2回会議ではこれに加えて、爆風によって効果的に破壊しうるものであること、来る8月までに攻撃されないままでありそうなことが示された。海とか無人島にデモンストレーションとして原爆を爆発させるのではなく、一発の原爆によって都市がどれくらい破壊されるか確かめようというのだ。軍事基地とか軍需工場とか、そんなちっぽけな目標を狙うものではないことは誰も最初からわかっていた。

 第2回目標選定委員会の議事録には広島について次のように記されている。

 

広島 ここは陸軍の重要な補給基地であり、都市工業地帯の中間にある物資の積み出し港である。レーダーの格好の目標であり、そして市域の大部分に大規模な損害を与えるのに十分な広さのある都市である。近くの丘陵地帯は爆風の集束効果を生じさせるのに適しており、その被害をかなり増大させるだろう。川がいくつもあるので焼夷弾の目標としては適当でない。(AA級目標に分類される。)

 

 すでに東京、名古屋、大阪、神戸が焼夷弾による無差別爆撃で焼け野原になっていた。残る大きな都市は京都と横浜、そして広島。

 広島市には中国軍管区司令部が置かれて「本土決戦」用の兵隊を補充し、軍需物資の調達と補給にあたる陸軍兵器補給廠、被服支廠、糧秣支廠の三廠があり、宇品には日清戦争以来の兵隊を戦地に送る港があった。しかし、すでにどれも息絶え絶えで、はたして「戦略的価値」があったと言えるだろうか。(ブログ「『軍都』壊滅」で書いた)

 広島は、当時の市街地の広さが原爆の威力を確かめるには少し物足りなかったが、それなりに広いということを主な根拠として、京都とともに原爆投下の最優先目標として極めて実務的に選ばれた。