人類の自殺18 隠れた放射線5 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 今中哲二さんの計算では、栗原明子さんが浴びた放射線量では体に異変が起きるはずがなかった。それなのに栗原さんには重い「原爆症」のような症状が出ている。それはなぜなのか。今中さんによると次のような可能性が指摘されるという。

 

(1) 症状は疲労や感染症などによるもので被曝とは関係ない。

(2) 被曝量の見積もりが間違っている。内部被曝の影響も大きいのではないか。

(3)原爆という極限的な状況下では、低線量被曝であっても他の要因と重なって重い放射線障害の症状が現れたのではないか。

 

 下痢や血便、嘔吐、発熱の症状は多くの被爆者に共通するものだったが、医師はまず赤痢を疑い慌てて患者を隔離した。赤痢はそれだけ感染力が強く恐れられていたのだ。隔離された人もまた絶望したに違いない。

 

 赤痢の将校は昼過ぎに亡くなった。息を引きとって間もなく山口県からお母さんが探しにきた。ちょっとのことで親子死目に逢えなかった。将校に代って女の子の赤痢が隔離病棟に入った。声をかぎりに「母ちゃん」を呼ぶ。十四、五歳の子供の泣声、とても哀調を帯びて心をえぐる。(蜂谷道彦『ヒロシマ日記』朝日新聞社1955)

 

 しかし赤痢だと思った病気は蔓延することなく終息した。赤痢ではなかったのだ。そして、出血が止まらなかったり、皮膚に出血斑が現れたり、また髪の毛がバッサリ抜けたり、口の中の粘膜が腐ったりといった症状がなぜ起きるのか。広島の医師に心当たりのある病気はなかった。

 それでは、遺体収容などでの精神的なストレス、重労働、栄養不足などがあると低線量であっても重い「原爆症」が出る可能性はあるのか。

 栗原明子さんは9月12日から激しい嘔吐に見舞われたが、一般に嘔吐の症状が出るのは1000ミリシーベルト以上の放射線を浴びた場合とされる。しかし栗原さんが浴びた放射線量は9.4ミリグレイ(浴びた放射線が全てガンマ線とすれば9.4ミリシーベルト)。浴びた放射線量が100分の1でも直接被爆者と同じ症状が出るぐらい栗原さんのストレスは強かったのだろうか。ちょっと考えにくいと思うのだが。

 となれば、被曝線量の計算の見直しや、放射線が人体にどのように影響するのかの再検討が必要ということになろう。

 原爆投下後に市内に入って救護活動や肉親の捜索にあたった人たちが浴びた放射線を残留放射線と言い、それは誘導放射線と放射性降下物(フォールアウト)に分けられる。

 原爆がさく裂した時に放出される中性子線が他の物質の原子核に吸収されると、その物質は放射能を持ちベータ線やガンマ線を出すようになる。これが誘導放射線だ。中性子によって新たに生まれた放射性物質としては、アルミニウム28(半減期2.3分)、マンガン56(半減期2.6時間)、ナトリウム24(半減期15時間)などが代表的なものだという。これらの物質は土に大量に含まれているからだ。

 しかし多くの誘導放射線は初期放射線と比べるとごく弱いもので、しかも半減期が短いことから原爆のさく裂から100時間も経過すれば無視できるし、爆心地から離れるほど急激に減衰するから、さく裂後すぐに爆心地1km圏内に入るのでなければ心配することはないと言うのが一般的な見解のようだ。

 でも、現実には離れた場所であっても、時間がかなり経過していても、被害に遭った人たちはいた。