遅れてきた死1~白血病 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 1951年に出版された『原爆の子』の中で小学校5年生の若狭育子さんは次のように書いている。

 

 今から半年前に、十になる女の子が急に原子病にかかって、あたまのかみの毛がすっかりぬけて、ぼうずあたまになってしまい、日赤の先生がひっ死になって手当てをしましたが、血をはいて二十日ほどで、とうとう死んでしまいました。戦争がすんでからもう六年目だというのに、まだこうして、あの日のことを思わせるような死にかたをするのかと思うと、私はぞっとします。(若狭育子 長田新編『原爆の子』岩波文庫)

 

 病理学者の杉原芳夫が『この世界の片隅で』の中で指摘している。

 

 被爆者には、体に無理があると、たやすく貧血や白血球減少症をおこしたり、ちょっとした圧迫などで、簡単に皮下出血をおこす出血傾向がしばしばみられます。

(杉原芳夫「病理学者の怒り」山代巴編『この世界の片隅で』岩波新書1965)

 

 要するに造血機能に障害があるということだ。そしてその障害の中で最も注目されたのが白血病であろう。

 白血病は異常な(白血球としての機能を持たない)白血球が際限なく増殖し、骨髄を占拠して他の赤血球や血小板を減少させ、さらに肝臓などの内臓や脳、リンパ節などにも侵入して悪影響を及ぼし、今でも最悪死に至らしめる癌の一種である。

 アメリカで白血病の発生が注目されたのは1924年のことである。放射線の一種であるX線の無制限な照射が白血病を出現させいた。(館野之男『放射線と健康』岩波新書2001)

 そして原爆の放射線を浴びた人たちの中からも白血病の症状が現われた。

 初めて確認されたのは長崎で被爆した19歳の男性で、1945年11月に高熱、咽頭痛、皮下点状出血などの症状が出て急性白血病と診断された。(広島市長崎市原爆災害誌編集委員会『原爆災害ーヒロシマ・ナガサキ』岩波書店1985)

 中国新聞でも報道されたようである。

 

1945/12/ー

中国新聞が、原爆症患者に「白血球病の兆候が現れ始めた」と報じる。九州大医学部に入院中の患者が11月中旬、死亡(中国新聞ヒロシマ平和メディアセンターデータベース)

 

 しかし、原爆による白血病についての詳しい報告が行われたのは1951年12月のことであった。