西東京市民映画祭に同じクラスの牛丼マンの「OBSERVER」って映画が残ったらしい。
結果が出るにしろ、出ないにしろ趣味や好きなことを突き詰めて努力することは高校生活で非常に大切なことだと思うのだが、私自身を回顧してみると悲しくなるだけである。
2年前、中立で孤高な俺カッコイイ状態に陥っていた俺。
4月校外学習、部屋で一人アイスを食べる私。
サブカル病が酷くメンヘラ少女と化した脂男は1人でカメラを持って周り昼飯を食べていた。
するとクラスの数人が飯を食う私の所へきた。
なにを思ったのか私は冷たい態度を取ってしまう。
部活に入らなくとも外部でなにもしないにしろ、そこそこ周りが善い人ばかりだったので楽しいこともあった。
2年時のクラスなんかは下衆な男子生徒の
肥溜だったから素が暴走して居心地が良かった。
ところで例の左教師であるが、今日はこちらが何も言ってないのに英文を読み上げた後に私も3人憎む人が居る的な趣旨な発言をして笑った。
政治的な心情は人それぞれ勝手であるが授業中に語るのはどうであるのか。
今日は少し時間があったのでゆめりあの本屋で数冊政治や右派左派についての本を立ち読みした後「高校生からのマルクス漫画講座」(いそっぷ社)という本が漫画しか読まない偏差値40台の理解力も知識も単位も無い私にとってもわかりやすそうであると感じたので若干高い1400円台であったのだが親から月の小遣いをもらったばかりであったので購入した。
親の工場で働くエンゲルスの援助と自らや妻にまわってきた親族の遺産で食いつなぎ、娘の旦那の親も裕福。
皮肉なことにブルジョアに養われている気がしてならないのだが私はろくな知識もなく働いたこともなく視野が狭いのでそう自身で勝手に思っているだけなのかもしれない。
このあいだの教科書の幸福の青い鳥のテスト、私が頭悪すぎて意味がまったく理解できず爆死した。
それよりも私は卒業できる単位が欲しい。
昨年は春休みまで進級未定だった…
努力が足りない