石膏像で復活した元慰安婦女性=韓国・ソウル | 川柳時評

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石膏像で復活した元慰安婦女性=韓国・ソウル(中央日報)

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単一の主題で行う集会としては世界最長期となる「水曜集会」がことしで24周年を迎えた。 

  6日、ソウル中学洞(チュンハクトン)駐韓日本大使館の前で開かれた第1212回目の集会で李容洙(イ・ヨンス)さんが金学順(キム・ハクスン)さんの石膏像に触れている。金さんは1991年8月14日、旧日本軍慰安婦被害者として初めて強制拉致虐待の事実を公開した。 

  この日の水曜集会は、ソウルをはじめ米国ワシントンなど12カ国45地域で開かれた。

▼川柳時評強制拉致?虐待だって!?金学順の最初の証言では、親に売られたと証言しているのにね。 と一句!

「歪曲と ウソで固めた 石膏像!」

🔲金さんは1991年8月14日、旧日本軍慰安婦被害者として初めて強制拉致虐待の事実を公開した。 

と上記の記事にあるが、大ウソである!彼女の証言には疑義がある。その証言履歴をWIKIで見てみよう。

  • 朝日新聞1991年8月11日の記事では『慰安所は民家を使っていた。5人の朝鮮人女性がおり、1人に1室が与えられた。女性は「春子」(仮名)と日本名を付けられ、毎日3、4人の相手をさせられた』というものであった。
  • この報道に関連して本人が記者会見をした際には、「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキーセン検番(日本でいう置屋)に売られていった。三年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった」と証言している[6][7]
  • 秦郁彦は、金学順の4つの証言を比較し「重要なポイントでいくつかの差異があるのは問題」と疑問視している。特にキーセン学校に行った事を重視し「彼女の場合も典型的な身売りケースだったと思われる」としている[8]
  • 地裁への訴状では『翌日から毎日軍人、少ないときで10人、多いときは30人くらいの相手をさせられた。朝の8時から30分おきに兵隊がきた』となっている。これについて研究者の調査では多くの朝鮮人慰安婦が多いときは数十人の相手をしたと証言している[9]
  • 金学順への関心の多くは彼女が強制連行の被害者であったかどうかにあると思われるが、強制連行の定義が論者によって変わるのでしばしば混乱を招く。日本政府は1990年6月6日の参議院の予算委員会以来「国家総動員法に基づく業務として慰安婦の強制連行は行っていなかった」との認識に立っており、今のところ金学順がその反証になり得るという主張はない。しかし、尹明淑はその著書「日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦」で金学順のケースを拉致として、これを強制連行の一種に分類している[10]秦郁彦は著書「慰安婦と戦場の性」で証言からは養父(実質的にはキーセンの元締め)が商売のために金学順を北京に連れて行ったのは明らかに見え、養父により軍に売られたとものであるとし、人身売買であろうと判断している。吉見義明は強制連行とはしていないながらも、著書『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』で彼女がキーセンに売られた可能性を認めつつもその意志によったものではない点から、これを「強制」のケースと定義している[11]https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%AD%A6%E9%A0%86

金学順は両親に二度も売られていたようである。境遇は非常に可哀想であるが、証言をコロコロ変えているのはいただけない。しかも、それによって日本を貶めているところは犯罪的でもある。これは強制拉致ではなく、単なる人身売買ではないか。ウソも大概にしろ!

ということでお待たせいたしました!
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