賽の河原の地蔵和讃~本当のお話~ | 水子のこと、貴方はどれだけ知っていますか?

水子のこと、貴方はどれだけ知っていますか?

水子について詳しくご存じでしょうか?
慈母観音寺(別名 千里眼観音寺)法智龍馬が水子供養を通して体験した、感じた、様々なお話をかいています。
水子をお持ちの方は勿論、自分の親や子に水子のおられる方も参考になさってください。

                       (当院 六道輪廻と水子地蔵尊)

本日は水子供養の大切さをお伝えしたく、
賽の河原の地蔵和讃と共に、当院が訳した内容を掲載いたします。
(※注:残酷な表現を含む部分があります。ご留意ください。)

当院では、賽の河原の地蔵和讃のお話を元に「水子供養のすすめ」を説法し、
水子供養を実施しております。

赤ちゃんとしてこの世に生まれて来る事が出来なかった水子は、ずっと「賽の河原」にいるのです。

人は亡くなると、この世の善行(徳分)を持って、賽の河原から三途の河へと渡る事ができますが、
この世で善行を積む事ができなかった水子は、いつまでも賽の河原で石を積み続けて彷徨う事になるのです。

忘れていた。
供養はしたいけれど家族には話せない。
供養の仕方がわからない。

手厳しいかもしれませんが、ぜひ、読んで頂きたい内容です。

水子の成仏をお願いする為に、地蔵和讃の意味を知って唱えて頂きたいです。

貴方が涙を流すことになったならば、水子は供養されたという事になるでしょう。

●賽の河原の地蔵和讃---------------------

帰命頂礼世の中の 定め難きは無常なり 親に先立つ有様に 
諸事(しょじ)の哀を止めたり 一つや二つや三つや四つ 十よりうちの幼子が

母の乳房を放れては 賽(さい)の河原に集まりて 昼の三時の間には 
大石運びて塚をつく 夜の三時の間には 小石を拾ひて塔を積む

一重(ひとえ)積んでは父の為 二重(ふたえ)積んでは母の為 三重(みえ)積んでは西を向き

樒(しきみ)程(ほど)なる掌(て)を合せ 郷里の兄弟我ためと あら痛はしや幼子は
泣々石を運ぶなり 手足は石に擦れだだれ 指より出づる血の滴 

体を朱(あけ)に染めなして 父上こひし母恋しと ただ父母の事ばかり
云うては其儘(そのまま)打伏して さも苦しげに歎くなり あら怖しや獄卒(ごくそつ)が

鏡(かがみ)照(てる)日のまなこにて 幼き者を睨みつけ 汝らがつむ塔は
歪みがちにて見苦しし 斯(こう)ては功徳になり難し 疾々(そうそう)是を積直し

成仏願へと呵(しか)りつつ 鉄の榜苔(ぼうごけ)を振揚(ふりあ)げて 塔を残らず打散らす

あら痛はしや幼な子は 又打伏して泣叫び 呵責(かしゃく)に隙ぞ無かりける

罪は我人あるなれど ことに子供の罪科(つみとが)は 母の胎内十月(とつき)のうち
苦痛さまざま生まれ出で 三年五年七年を 纔(わず)か一期に先立つて

父母に歎きをかくる事 第一重き罪ぞかし 母の乳房に取りついて
乳の出(い)でざる其(そ)の時は せまりて胸を打叩く 母はこれを忍べども

などて報(むくい)の無かるべき 胸を叩くその音は 奈落の底に鳴り響く
修羅の鼓と聞ゆるなり 父の涙は火の雨と なりて其身に降懸(ふりかか)り

母の涙は氷となりて 其身を閉づる歎きこそ 子故の闇の呵責(かしゃく)なり
斯(かか)る罪科(ざいか)のある故に 賽の河原に迷来て 長き苦患を受くるとよ

河原の中に流れあり 娑婆にて嘆く父母の 一念とどきて影写れば
なう懐しの父母や 飢を救ひてたび給へと 乳房を慕ふて這い寄れば

影は忽(たちま)ち消え失せて 水は炎と燃えあがり 其の身を焦して倒れつつ
絶え入る事は数知らず 中にも賢き子供は 色能き花を手折りきて

地蔵菩薩に奉り 暫時(ざんじ)呵責(かしゃく)を免れんと 咲き乱れたる大木に
登るとすれど情なや 幼き者のことなれば 踏み流しては彼此(かれこれ)の

荊棘(おどろ)の棘(とげ)に身を刺され 凡(すべ)て鮮血に染まりつつ 漸(ようや)く花を手折り来て

仏の前に奉る 中に這出る子供等は 胞衣(えな)を頭に被りつつ
花折ることも叶はねば 河原に捨てたる枯花を 口にくはへて痛はしや

仏の前に這い行きて 地蔵菩薩に奉り 錫杖法衣に取付いて
助け給へと願ふなり 生死流転を離れなば 六趣輪回(ろくしゅりんね)の苦しみは

唯是のみに限(かぎ)らねど 長夜(ちょうや)の眠り深ければ 夢の驚くこともなし
唯(ただ)ねがはくば地蔵尊 迷ひを導き給へかし 賽の河原地蔵和讚
(終)

※えな(胞衣)・・・胎児を包んだ膜と胎盤。

                      (当院 賽の河原)

●和讃の内容(当院訳)---------------------

この世で淡いものいえば 何よりか弱い命なり 親より先に死ぬ不孝
親のくげんは最多なり 若くて幼い嬰子が 母より離れて死んだ後

賽の河原に集まりて 日の出日の入りその間 大きな石を運んでは五輪の塔を積み上げる 

一つ積んでは父の為 二つ積んでは母の為 三つ積んでは西を向き
しきみの様な小さな手 合わせ故郷の兄弟に 哀れみ頼みうくるなり

それでも問答無き日々に 泣き泣き石を運ぶなり 手足は石で擦られて
ただれて指から血を流し 体を血潮に染めながら 父に合いたし母恋し

一途に父母の事だけを 思ってそのまま倒れ込み 苦しみ悲しみ続くなり

その時地獄の鬼が来て 鉄の様な火のまなこ 子供を睨んで言う言葉
お前ら積むのは石の塔 歪んでご利益ないだろう即座にこれを積み直し

成仏願へと怒鳴りつけ 獄卒棒を振り上げて 積みたる塔を押し崩す
積みたる幼い子供らは 其れを見ては倒れ込み まるまり強張り泣き叫ぶ

因に罪は無いものの 果報の罪は拭えない 母の胎内10月には
母体にくげんを与えつつ わずかな希望を抱いては 死ぬは前世の原罪なり

体を閉ざす嘆きこそ その煩悩の責め苦なり その責め苦がある限り
三途の川を渡れずに 賽の河原で過ごすなり 母来るまでにしきみの手

真っ赤な血潮に染めながら 泣く泣く石を積み上げる また積み上げて潰されて
成仏出来ずにひれ伏して 父母思い手を合わせ 飢えを救えと思えども

乳が恋しく這い寄ると 母の影は泡となり 消えてなくなり水となる
水は炎と燃え上がり 体を焦がして倒れ込み 死んでしまうは数知れず

やがて賢い子供らは 色鮮やかな花を折り 地蔵菩薩に捧げつつ
少しの間責め苦から 免れようと思うなり 花が咲きたる大きな木

登るは小さな体ゆえ 枝から足を踏み外し 周りの棘に身を刺され
全身血まみれなりながら ようやく花を折り取って 地蔵菩薩に渡すなり

中でも這い行く子供らは 母から貰った胎盤を 頭にかぶったままゆえに
花を折る事ままならぬ そこで河原に捨てられた 枯れたる花をくわえ込み

泣く泣く地蔵に捧げれば 錫杖法衣にしがみつき 助けたまえと泣き叫び
乞い求めるはあわれなり 頼りは故郷の父母や 兄弟回向の功徳なり

功徳充分満ちたれば 水子は三途を越えるなり 南無や大悲の地蔵尊 南無や大悲の地蔵尊
(終)

                      (当院 子安観音)

■□■□■□当主自己紹介■□■□■□■
弘法大師と執契金剛院阿闍梨大僧正圓照
大和尚を我師とし、
真言系単立の寺院をご意見無用にて当主を
つとめさせて頂いております。
また先達善友の会を発足し、皆さまと共に
各種霊場の巡礼を
楽しくさせて頂いております。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
慈母観音寺(別名 千里眼観音寺)HP