忠臣蔵 | 草センリのブログ

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サボテン、多肉植物、グルメ、四季折々の話題を中心に書きます。

おはようございます。

サボテンの花も咲かず、多肉植物の紅葉もありふれて……なかなか話題が少なくて、「足(指)が遠のく」日々です。

とにかく、寒い!
今朝は、ー4℃ですから、屋内取り込み鉢植えにも、真夜中に一度は、ファンヒーターで加温しました。

さて

 今日は『義士祭』

赤穂の浪士ばかりが英雄視されてますが、吉良のおっちゃんだけが悪者だったんでもないようです……

城中での刃傷沙汰は、ご法度中のご法度!

「両成敗」にならなかった評定が問題でしたネ。


仇討ち(あだ)
仇を討つ(かたき)

と使いますが、敵(かたき)とは異なります。
「仕返し」とは、全く異なります。

江戸幕府公認のルールが定められ(明治6年禁止)
・武士である
・主君(目上の者)や親を殺された者が、加害者を殺すこと
・される側も、返り討ちにしてよい
・助太刀をしてもよい
・藩に願い出て、「赦免状」を得ること


藩士は、家名(石高)存続のためには、仇討ちを遂げない限りは元の身分に戻れない。その間、親戚より集めたお金で仇を探して全国を廻ることになります。

自信のない者は、理不尽な殺害であったとしても、「病死」と届け出て嫡男に相続を図る。

辻斬りに遭った場合などは、大変。「武士にあるまじき無用心」なんてことで、改易(お家取り潰し)にもなりかねない。

また、大怪我を負わされたからと言って、仕返しをしては罪に問われる。


日本3大仇討ち
・曽我兄弟:1193年
父親の仇を討った

・鍵屋の辻の決闘:1634
 (上のルール以前の話)
渡辺数馬と荒木又右衛門が、数馬の弟の仇である河合又五郎を伊賀上野の鍵屋の辻で討った

・元禄赤穂事件:1702年
ご存じのお話し

なお、日本最後の仇討ちは、1855年大阪阪南市(現)での、土佐藩士によるものとか…


江戸時代後半は、地震、火山の噴火、天候不順による飢饉続きで、倒れるべくして倒れていきました。

無駄もいっぱい、武家は借金だらけ、平和ボケで賂横行の幕閣、外敵押し寄せる中の植民地化一歩手前まで太平天国…、明治維新が無かったならばと考えると、ゾッとしますねえ。

10万円給付やコロナ(オミクロン株)問題で、国会は終始してますが……ウクライナ、台湾は予断を許さない状況に!

日本人は、井戸の底から天空を観る思考しかできないようですから、有事が起こるまで気付かないのも、困ったものです。

アメリカで竜巻が大規模に荒れ狂いましたが、家屋倒壊は多数でましたが死者は100人足らず。今の日本だったら、桁違いの人的被害が出たでしょうねえー。