インドから又、いたたまれないニュースが飛び込んできました。
今回は、いくつか目にした差別のお話のひとつを書きます。
BRIC(ブリック)などとはやし立てられていますが、インドは根本から先進国(←この言葉嫌いだけど)にはなれないでしょう。この問題を、クリアしない限り。
日本に差別はないとは言えないけど、インドのそれは、あまりに悲しすぎまる。
最下層と呼ばれる人達の結婚式にお邪魔した話も、そのうち載せますね。
2006/05/29日の日記です
色々あった日で、ながぁ~~~い文章となりました
つたない文章、修行と思って耐えてください。
『もし彼女が天国に行くのでなければいったい誰がそこへ行くというのか。
貧しい人々を容赦なく掠奪し罪を洗い流すため、ガンジス川で沐浴したり、寺院に香をささげたりするあの太った奴らが行くと言うのか。』
文豪 プレームチャンド
(ネット上より拝借)
朝食の為に立ち寄った、小奇麗で繁盛しているダバ(*1)の店員は、無愛想だった。
豆カレーとチャパティ、ラッシーを頼むと「それだけか?!」と言われ耳を疑った。英語がわからずに、そう言ってるのかと思ったが、明らかに無愛想で横柄に対応された。
英語を理解しているのだとわかった。
朝食は軽い物と、持参のバナナと決めている。
(ちなみに豆カレー(ダール)は、辛さと油控えめであっさりとし、朝食に合う。そして値段はお手頃。)
それに、朝から重い物を食べると、走られなくなる。単価の安い注文に不服なのか、食後にチャイを頼んでも即答で「ない!」と言われた。
しかし僕の後で注文したおじさんには、チャイがすぐ出された。
「金持ち外人は、もっと金を落として行け!」とでも言いたいのか。
アウトカーストを、人と思っていないのか。
文句を言ってやりたいが、勘定時に代金を吹っかけられると思うと、何も言えなくなる。
自国でこんな状況に会ったことが無い事を思うと、この国に生まれなかった事の幸運を感じるほど胸糞わるい。
そして、こういった輩に限って、いかにも『俺様は、携帯電話所持者だ!』と言わんばかりに、目に付く所にそれを所持している。
彼も拳銃のホルダーを腰に掲げるように、腰に携帯電話のホルダーを引っ掛け、電話もかけないのに手に取ったり、ホルダーにつっこんだりとちらつかしていた。
この国では未だ、携帯電話はステイタスシンボルで、超自慢の一品なのだ。
カメラを向けようなら『ちょっと待って』と言って、携帯電話を借りてきて、他人の車に肘をかけ、電話を耳に当てポーズをとるお茶目な兄ちゃんもいた。
日本にも少なからずあったが、あからさまな所は、この国の面白い所だ。
「インドの男は、自己中心的で幼い奴が多い!」と、ドミトリーで知り合った欧米人旅行者が言っていたが、さもありなんと思った。
でも、子供のように素朴で純粋とも言える。そんな人に会えると、自身も素直に戻れるような気がする。
お金はエゴイスティック要素を人に与えると聞いたことがあるが、この国では、恫喝的な態度を取る小金持ちによく出くわす。
そして貧しい人々は、謙虚で言葉を荒げる事はまず無い。それは諦めか、社会から押さえつけられた物が、体に染み付いているのだろうか。
いずれにせよ、少し心苦しい光景ではある。
とにかく『トラックの運転手が集まる人気のダバは、良いダバである。』と言う自説を、あっさりと覆され、意気消沈から今日は始まった。
夕方、この日はまだ日が高いうちに、宿泊するダバを決められた。ここにも、天井から吊り下げられた扇風機があり、掃除が行き届いて、ひときわ小奇麗だ。
店主の目が行き届いているのがうかがえる。
すでに食事を取っていたトラックのおっちゃん達に話かけ、ちょっとした信頼を得てから、自転車を見ていてくれと頼む。貴重品のバッグだけを持って、トラックのおっちゃん達で賑わう水浴び場に混じった。
ここの溜め水は、水苔も少なく透過度もなかなか高い。パンイチになって石鹸を体に擦り、トイレに置かれてある物と同じ、小さなバケツで水をすくい、今日1日の汗を流した。
扇風機の当たるテーブルに腰掛け、まずチャイを頼み、それから晩飯を選び注文する。
これは、いつまで経っても辛い物が苦手な僕の習慣で、辛さで痛くなった舌の鎮痛剤に、甘いチャイを使うのだ。熱いチャイだと、さらに舌が痛くなるので、冷めたチャイを飲めるように、一番最初に注文する。
このダバのコンクリートも、日中の強い日差しを受け、熱気が絶え間ない。シャッターをあげたままのガレージのように、一方にしか開かれていない建物は、風が吹き抜ける事も無く、炎天下で走行している時よりも暑く感じる。
たとえ扇風機の下にいても暑く、トラックの運ちゃん達は、いくぶんか涼しい外のテーブルで食事をしたり、和んだり、寝転んだりしている。
それでも建物内の扇風機下にいるのは、蚊対策だ。この国でも、現地の人より蚊に人気があるのは、柔い日本人なのである。
勘定の時、店主らしいチョビヒゲの男が出てきて、請求された金額を訂正し、上乗せされた代金を請求してきた。
計算違いだったのか?いやチョビのぶしつけな態度、ぼったくっているに違いない。仕方なく提示された金額を納める。最初に金額を聞いていなかった自分が悪いのだ。
しゃくにさわるが、汗もさっぱり流したので、今更他のダバを探す気分は湧いて来なかった。
日暮れまでにはまだ時間があるので、食後ダバの裏に伸びる畔道づたいに散歩に出かけてみた。
農作業の帰りであろう、農具をかかげ帰路を行くおじさん達の姿が方々に見える。すれ違ったおじさんに会釈すると、何やら話しかけてきた。
(写真は、リバーサルフィルムをスマフォで撮影したものです)
ここでは東洋人が珍しいのか、集落に着くまでには、ハーメルンの笛吹きのように、子供達に囲まれていた。
全て平屋の各家には、塀など無い開けっぴろげで、ここら一帯がひと家族のようになっている。
とある家の前を通りかかると、お年寄りまで家から出てきては、笑顔で挨拶してくれる。カメラを構えると、撮ってくれと子供に混じって、子供を抱きかかえたおじさんまで仲間に入ってくる。ファインダー越しに皆笑顔が絶え無い。
一軒の家に手招きされ玄関をくぐった。
土壁の匂いが、かすかに鼻をくすぐる。
窓からの光があまり届かず薄暗い。
裸電球は、吊り下がっているが、停電しているのだろうか。
近所の野次馬達もぞろぞろと僕に付いて来た。窓からの光が人影にさえぎられ、いっそう暗くなった部屋に彼らの白目と、上がった口角から白い歯がこぼれる。
インド人は、歯が白く歯並びの良い人が多いと常々思う。
おばさんは突然の訪問者に、何か飲むかね?と身振り手振りし、嫌がる山羊を目の前に引っ張ってきた。
おばさんが、どかっと土間にヤンキー座り(うんこ座り?)し、山羊の乳を掴むと、ビュービューと勢いよく、山羊乳が飛び出した。
ボコボコのアルミの器は、あっという間にカップ2杯分ぐらいの乳が溜まった。
そこに混じった毛やゴミを、使い古した布切れでこし、鍋に溜める。家畜の糞と藁をこねて作った燃料をコンロにくべ、鍋を温める。
そこに茶葉と砂糖をスプーンでほり込み、しばし待つ。
おばさんと野次馬が、声高らかに話す内容は、多分僕が何者で、何故ここにいるのかといったぐあいだろう。僕が彼等に伝えられたことは『日本人である』とっ言ったことぐらいだ。
言葉足らずとも、彼らはとても好意的だ。
思い返すに、日本人は意外と彼らに好印象で、良く間違われる中国人には、あまり良い印象を持っていない。陸地で強国と接する国は、海で接する以上に脅威なのであろう。
鍋がぐつぐつ沸き立ち、泡がこぼれそうになると、鍋を火から離し、泡が治ると再び泡立つまで火に掛ける。
何度か繰り返すうち、ミルクのふくよかな香りと、紅茶の清涼な香りが、土壁の匂いを押しのけて、部屋いっぱいに広がった。
まさしくチャイ(ミルクティー)だ!
それも搾りたてミルク。
注がれたチャイは、厚い素焼きの器越しにも熱く、器の淵だけつまみ持ち上げる。フーフーしながら口にふくむと、濃厚なミルクと甘さが、口の中に広がった。
うメェ〜(旨い)!先ほどの山羊のように言葉がこぼれた。
汗をさっぱり流した体に、再び汗もふき出してくる。
よく口にする、大量の水で薄められたチャイとは、コクとふくよかさが全く違う。
おばさんは、僕の飲みっぷりを見て、目を細めた。
ミルク、糞、肉、と家畜は彼らの生きて行く糧なのだと、改めてその万能さに感心する。
日本では甘い紅茶は好きでは無く、ほとんど口にしなかったが、インドにいると甘いミルクティーが美味しくてたまらない。甘すぎるそれは疲れを和らげ、リラックスさえさせる。
「お母さんダンニャバード(ありがとう)」
チャイと、家族愛を、頂きっぱなしで申し訳ない。
引き続きおじさんや子供達に村を案内してもらった。とにかくお互いがどれだけ意志の疎通が出来ているのかわからないが、とりあえず皆終始笑顔なので、それに釣られてこっちも口角があがってしまう。
小屋に置かれている農具は、どれも人力か牛力を使う物ばかりで、機械が全く無い。耕し、撒き付け、育み、収穫。ここは遠い昔からほとんど変わりのない生活を続けているのだろう。
変化のない生活に恐怖をおぼえ、日本を飛び出してきた訳なのだが、素朴さに触れ落ち着くのはなぜだろうか。
帰り際に、泊まって行きなさいとお誘いまで受けたが、太陽の昇る前に出発するつもりでいたので、迷惑がかかると思いお断りした。先を急ぐのはデリーで旅人と再会を約束していたからだ。
とどまっていれば又農耕、プチ酪農も体験出来ただろうに。気ままな旅、制約のかかる約束などするものではない。
『小さな集落の人々は、寛大でやさしい方が多い』と言う自説は、この国でもどうやら健在のようだ。
いや、あくせくしてまでお金に執着しようとする者は、都会に行くのだろう。
入国前からの情報や、カルカッタでの出来事、心に引っ掛かっていたインド人への懸念、不安、不信と、インド人をひとくくりにしていた自分の過ちに気づいた。
他の家では、ランプの光の下で、お母さんが調理するのを見せてもらった。スパイスをはかりもせず、手に掴んでは、ポイポイ煙立つ鍋にほりこんで行く。
どのスパイスかわからないが、熱されると、目を刺激し、涙腺を崩壊させ、咳を伴う物がある。その結果辛〜い料理ができる訳だが、ここにも母の味が存在するのだろう。
(ウコンで手は真っ黄色)
外に出るとすでに日は落ち、室内より暗くなっていた。
「ナマステ、皆さんありがとう!」次に訪れる事があれば、撮った写真を持って来よう。などと思いながら、村の人々に別れを告げた。
向こうに国道を走るトラックのヘッドライトが見える。暗くなった畔道に目をこらしながら国道沿いのダバへ戻った。
再び水浴びをした後、ベンチでトラックの運ちゃん達に混じり、再びチャイ片手にまったりした。
時折走り抜けるトラックの音以外は、虫の鳴き声と、トラックの運ちゃんの談笑が耳に届く静かな夜だった。
突然、バタバタと店の奥が騒がしくなった。
そして男の怒鳴り声が、静粛の中を引き裂く。
振り返り薄暗い店の奥に目を凝らすと、しゃがみこんだ小柄な使用人さんが、チョビに殴り蹴りされている。
パシっと平手打ちされた音や、ゲンコツの鈍い音までもがここまで聞こえてくる。しかし周りの客も、他の店員も見て見ぬふりだ。まるで何事も起こっていないかのように。
その暴行は一向に終わる気配がないどころか、仲裁に入ったと思ったデブ男も、ほうきをつかみチョビに加勢を始めた。
しゃがんでされるがままの使用人さんの背中に、ほうきの激がバシッ!バシッ!と、生々しく響く。
使用人さんが打たれまいとそのほうきを掴むと、その反抗的な態度に火がついたのか、今度はほうきを持たない方の手で、それまで以上に激しく殴る、そして蹴る。
小柄で痩せた使用人さんは、おもちゃのように床に転がった。
その上もう一人男が加わり、3人で転がったままの使用人を殴ったり蹴ったり踏んづけたり。デブは力の弱くなった使用人さんの手からほうきを奪い返して、再び背中を打つ。
そこにもう一人男が加わり4人で、そのやせた小さな使用人に暴行を加える。それでも使用人は一切手をあげるしぐささえみせず、ただ顔を覆い、されるがままに小さくなっていた。
俺は怒りが込み上げてきて気付いたらそこに走り寄っていた。
「Hey! What are you doing!?」と叫んだが無視。
「何やっとんねんコラ!!」思わず日本語叫んでいた。
それでもしかとをきめこむ奴らの前に、怒鳴りながら割り込んだ。(今こうやって日記を書いていても、思い出してむかついてくる。)
するとデブが使用人さんを見下して言った。
「こいつは奴隷(slave)だ」カチンと来た。
「So What! Ha? So What! Ha?Ha?」やっと彼らの動きが止まった。
その背後には殴られた所を抱え込んで、小さくうずくまっている使用人さん。その彼の背中にチョビが、今度はとび蹴りを入れた。状態を起こした彼が再び顔面から地面に倒れると、今度は馬乗りになって殴り始めた。
俺はとっさに使用人とチョビの間に、無理やり潜り込んで、チョビの拳が当たらないよう使用人に覆いかぶさる。力なく地面に頭を横たえる使用人さんを見て、このままじゃ死ぬんじゃないかと思った。
俺の下で小さくなり手足をしまい込んだ亀のように、じっと耐える使用人さん。日に焼けた肌の上に流れているのは、汗ではなく彼の血だった。チョビは覆いかぶさりきれていない使用人の脇腹めがけて今度は蹴る。
「その蹴り一発でも俺に入ったらぶっ殺すぞこら!」まじで、一発でも入ったらと思った。
脇に蹴りが入らないように覆いかぶってやると、今度は使用人の左足を持ってズルズル引っ張り、倉庫に引きずり込もうとし始める。倉庫でリンチするつもりなのか、そのチョビの手首を力の限りグッとつかみ離させ、胸をグッと押してやっと暴力が止まった。
「彼が悪いなら警察を呼べ!」この言葉に、誰も反応しない。
そのかたわらで、チョビはまだ収まらない様子。使用人に向かって何か吠えている。こいつは冷静でないので、後から暴力に加わった3人に「なぜ殴るのだ、彼は何をしたのだ」と聞くと「飲んだ(Drink)」と言い、何かを飲むようなゼスチャーをする。
はぁ全然訳わかんねぇーよ!おっさん。
たとえ他人の残り物を飲んだとしても、その仕打ちはあまりにひどい。
もしかすると彼は(*2)不可触民で、それ以外の者達の使う食器に、口を付けてはいけないのか?
その場はやっと治まり、チョビ以外のデブ達が戻ったテーブルに、俺もドンと腰を掛けて、財布からルピー紙幣を取り出して、そこに描がかれてある肖像を指差し「これは誰だ!何をやったか言ってみろ!!」と言った。
だがこいつらは何も答えない。
「答えてみろよ!」
「、、、、、」
「聞け!ガンジーだ!非暴力だろうが!」と言うと「時代は変わった」とぬかす。
「おめーらが勝手に変えとんやろがボケ!そうだな、お前らの国はどんどん馬鹿に変わっているFUCK! FUCKING INDIA!」と吐き捨ててやった。
ほんま胸糞わるい。
こいつらを殴って、他人の痛みを味あわせたかった。だが情けない、旅人が刺された話を思い出し、この国の事情がわからずびびって出来なかった。
むちゃくちゃチョビを殴りたかった、おもっくそ殴りたかった。
この様な事はここだけに限った事では無いのは知っているし、それにこの国に入ってから何度も「こいつは奴隷だ」と言うのを耳にしている。
お世話になった警察署でも、所長さんに「こいつは奴隷だから、マサも何か用事があればこいつを使うといいよ。」と言われた事を思い出した。
細い棒切れで家畜を追う様に、背中や尻を叩いたり、突いたりするのを何度も目にした。
その度にインド人に対してむしずが走った。
そして、そいつらの子供達でさえ、生意気に使用人をアゴで使う。そういう子供に限ってデブなので、知らぬ間にデブのガキに嫌悪感が生まれていた。
それら行為をすべてのインド人が黙認し正当化するなら、インド人なんて早く滅びればいい、ヒンデュー教なんて糞くらえだ!
しかし幸いにして信頼のおけるインド人を、数名ではあるが知っていた。
それに事が終わった後、僕の事を嬉しそうに携帯のカメラでこっそり撮っているトラックの運転手もいた。
彼も、いや彼等も多分僕と同じ思いなのだろう。
片方の口角をあげ、親指を立て彼の撮影に答えた。
もしかすると僕の考え方が、この国ではモラルからはずれているのかもしれない。奴隷は家畜であると言う常識、不可触民に触れる行為、使用人さんに覆いかぶさった行為は、彼らの目にどう映ったのだろうか。
インドにはびこるしがらみが、モラルをねじ伏せ、正しき行いに歯止めをかけるのだろうか。
それからどれくらいの時間が経ったのだろう。リンチの後、フラフラと店を去った使用人さんが、デブに耳を引っ張られながら店に連れ戻され、そのまま奥の方に引きずられていった。
使用人さんの片方のまぶたが、試合後のボクサーの様に腫れているのがちらっと見えた。
そしてダバは再び静まり返った。
野外に置かれた椅子兼ベッドの上にゴロンと体をあずける。寝るつもりでいたが、気持ちここにあらず。息をひそめ、店の裏の方に聞き耳を立ててしまう。人を殴る音やうめき声は、もう聞こえてはこない。
もし又暴力行為の音が聞こえたら、怒鳴り込んで行こうと思っていたのだ。
どう言う理屈かわからない考えだが、男なら対等に戦えと、チョビに1対1の勝負を申し込むつもりでいた。自分もボコボコにされたとしても、とりあえずそれで、俺のイライラは治さまるのだ。
何を考えると言う訳でもないが、頭が冴えてなかなか眠れない。自分の中でまだ興奮が冷めやらないのだ。
だがリンチ行為をした豚達は、スヤスヤ眠っている。
多分日常的に行われている行為なのだろう。
何時間経ったのだろうか、何度も寝がえりを打っていると、ようやくまぶたが重くなってきた。
明日も日の出前に起床できるのだろうか、、、、意識が遠のいた。
夜中の1時頃、突然雨が降り出し、僕達は否応なしに停電でろうそくだけの薄暗いダバ内へ駆け込んだ。そして板のベッドに再び転がり込む。
コンクリートの壁は、まだ熱を帯び、地面に落ちた雨は、ぶ厚い布団のように湿度をつくり、体にのしかかる。
体中の穴という穴から湧き出てくる汗。それでも蚊に刺されない様にと薄手の長袖、長ズボンを着ているのでたまらない。寝ると言うよりノックアウトだ。
数十分後電気が戻ってきて、数個の裸電球と同時に、天井のファンが力なくカタカタ音を立て回り出した。わずかな風だが汗が引いていく。
爽快だ!高原の澄みきったそよ風より爽快だ。
薄暗い中、トラックの運ちゃんと目が合い、お互いニンマリする。日本では当たり前のようにある電気が、本当に魔法のように思え再び眠りにつく事ができた。
しかし10分も経たないうちに再び停電、魔法とは儚いものである。
次の日の朝、前日に30Rと言われていたラッシーを注文する。チョビがまだ店先で寝ているのを確認し、店員に値段をたずねると15Rだという。
のうのうと寝やがってチョビめ!多勢に無勢でなければ、髪の毛をつかんで顔面を柱にぶつけてやろうかと思った。
早朝より忙しく働く使用人さん達の中に、昨日の使用人さんの姿はやはりなかった。犬のように監禁でもされているのだろうか?それとも、鎖に繋がれているのだろうか。
この国では使用人は家畜の様に扱われているのを良く見る。いやそれ以下かもしれない。集団暴行なんて、家畜は受ける事はない。
豆カレー、チャパティ、ラッシーとバナナをお腹に詰め込み、太陽が顔を出す前に自転車をまたいだ。
左手には昨日チャイをいただいた村が、朝靄にかすんで見えた。
今日もあの村では昨日と同じ一日が始まるのだろう。
振り返るとほとんど視界から消えかけているチョビのダバが見えた。あそこにも昨日と同じ一日が始まるのだろう。
自転車を走らせると、他にする事もなく色々昨夜の事を思い返えした。
もし、僕もチョビと同じ環境で生まれ育ったら、やはりチョビの様になっているのだろうか。
ガンジーの名を口にした時『ガンジー?奴はイスラム教徒をインドに野放しにした原因だ。』と言う言葉を思い出した。
なるほど、そういう考え方もあるのか。
そういえば、彼は同胞のヒンドゥー教徒に殺されたのだった。
晩年、裸の少女と添い寝する習慣を持っていたともいうので、聖人君子(マハトマ=偉大な魂の意)と崇める人もいれば、卑下する人も多いようだ。
やはり一つ所に収まらない、一癖も二癖もある興味深い国である。
朝靄はいつしかきれ、日の光を背中に感じはじめる。
今日も酷暑であるのは、間違いなさそうだ。
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(*)ダバ
レストランのようなものである。
店先には、ベッドぐらいの高さのテーブルが置かれているとこがあり、食事の時はそこに座って食べる。
夜はそこで寝る事も出来る。
暗黙の了解で、そこで飯を食えば、無料で寝られる。
(この写真は、チョビのダバではない。テーブルはだいたい140cmほどなので足を延ばして眠れない。チョビの写真見つけたら、掲載します。)
(*1)
この頃、騙してくるインド人に疲れていた。
悪いインド人は、向こうから近づいてくる。その向こうに優しきインドの民がいるのに。
(*2)不可触民(アヴァルナ)
ヒンドゥー教(国の約8割を占める)における身分制度カースト(語源はポルトガル語。ヴァルナ・ジャーティと現地では呼ばれる)にも組み込まれない、最下位の人々の事をさす。
バラモン(司祭)、クシャトリヤ(王族、武士)、ヴァイシャ(一般市民)、シュードラ(奴隷)
奴隷より下の身分とされ、触る事、見る事さえ汚れると差別された。
1950年、憲法17条により、差別用語は禁止される。
第10代インド共和国大統領に、最下層出身者のコチェリル・ラーマン・ナーラーヤナンが選ばれた。しかしヒンドゥー教至上主義のインド人民党は反発。
差別はまだまだ根強く残っている。
不可触民―もうひとつのインド
(知恵の森文庫) 山際 素男 (著)
輸血の必要な患者が「アヴァルナ(不可触民)の血を入れるなら、死んだほうがましだ!」と叫んだ。
「アヴァルナが我々の村を歩くなら、裸足でなければならない。」
「アヴァルナが、この神聖な祭りに参加するな!」とリンチされ殴り殺された。
これらの事は、未だに続いている。
(この写真見るに、ゲスなのは男だけでなく、女警官もなんだな。インドで何度も警官の暴力を見た事がある。)
この夫婦は、死ななかっただけ幸運??
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