武田邦彦さん(TVでもよく出ていらっしゃいます)の原発事故についてのブログでとても印象に残った記事がある。
http://takedanet.com/2011/07/post_01be.html
原発後の放射性物質の飛散予測に重要な風向きの情報や予測を政府が一切出さなかったことへの痛烈な批判が展開されている。事実関係を私は知らないが、事実だとすれば、重大な問題だと思う。
風向きや放射性物質がこのあたりによく飛んできそうですよといった情報は国民を混乱を招くので控えたとか、不確実な情報なので控えたという見解が想定されそうだ。しかし、本当にそうなのか。
第1に、国民が混乱するから控えたというロジックは、「混乱すること>国民の健康への被害」の前提があるものと推測されるが、今回の未曾有の事故ではその不等号はおそらく逆であろう。また、多少不確実な情報であっても、安全に対応しておいてこしたことはなかったのではないか。
第2に、仮に予測情報が公開されていたとしたら、国民は本当に混乱してどうしようもない事態になっていたのだろうか。ややあやふやな理解だが、以前憲法の教科書のなかで、表現の自由が基本的人権のなかでも特に重要であること、その理由として、表現の自由が制限されると、多様な考えや情報が市場に出なくなり、どのような情報がよいかを人々が判断できず、また情報が自然に淘汰されることもなくなるから、危険だという話を聞いた(思想の自由市場)。また、民主主義のなかでは政治に参加するという意味との関係でも、表現の自由が基盤にないといけないということも読んだ気がする。仮に気象庁の風向き予測や文科省の飛散予測に欠陥があったらとしたら、それを誰か(外国も含む)が指摘することもできたかもしれない。オープンな場で修正したり、洗練させたりするためにも、今回のようなケースでは、情報をほぼ独占的にもっている政府がまずはオープンにならないと始まらない。
以上はいわば建て前的な話かもしれない。実際のところは、どの組織も人も、仮に混乱を招いたり、風評被害を拡大されたと批判されたときに、責任をとりたくなかったから今回のようにクローズになったのかもしれない。いずれにせよ、事故調査委員会等で失敗学の成果を大いに発揮して検証してほしい。