サロンパスの発売は、戦前の1934年に始まった。
1951年に創業家4代目の社長に就任した中富正義さんは、開発段階
から携わり、自らサロンパスと名付けた。
「いくらいい物でもお客さんに使っていただけないなら意味がない」。
その頃から試供品を使った宣伝活動を「実宣」と名付け、力をそそいで
いた。医師会などのパーティーでは「僕は右回り、君は左回りで」と
部下に言い残し、自ら試供品を名刺変わりに配って回った。
山開きの富士山8合目やスキー場にも営業マンを送り、宣伝カーからテ
レビ・ラジオの番組、女子バレー部、女子野球部の創設まで、宣伝には
費用を惜しまなかった。
久光製薬の会長に就いた1981年頃から、旧制中学校以来の長距離走
に再挑戦をした。77歳から91歳まで15年間連続ホノルルマラソン
で完走したが、「道楽で走るだけでは申し訳ない」とあるパフォーマン
スを始めた。肩から布袋を下げて、中には看板商品のサロンパスの試供
品が1000袋。沿道の観衆や回りのランナーに配りながら走った。
「はがす時に痛い」「においが強い」。営業マンの日報に毎日目を通し、
顧客の目線から改善を製造現場に指示して、50か国以上で筋肉痛を癒
やす人気商品に育て上げた。
「マラソンも商売も途中でやめたら負け。ゆっくりでも走り続ければ
ゴールにたどり着く」元部下は、そんな言葉に人生観をかいま見た。
「家にも会社の書類を持ち込み、食事も社員と一緒。常に販路を広げ
ようと必死になっていた」長男で久光製薬社長74歳は振り返る。
昨年11月心不全で死去、106歳だった。棺に孫たちが納めたのは、
もちろんサロンパスの試供品だった。
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