地方の政治と選挙を考えるミニ講座 -8ページ目

地方の政治と選挙を考えるミニ講座

勝負の世界には、後悔も情けも同情もない。あるのは結果、それしかない。 (村山聖/将棋棋士)



矛盾だらけ、時代遅れと非難を浴びる現在の公選法ですが、

非難される理由は二つに大別されるのではないかと、私は考えています。

ひとつは「守りようがない決め事」が多すぎること、

もう一つは「許される選挙運動の幅が狭すぎる」ことです。



前者の「守りようがない決め事」について、例えば陣中見舞いを例に考えると、

菓子や果物をいただいても、これは寄付とみなし、

相応の金額に換算して報告しなければなりません。

さらにその報告には、寄付者の氏名・住所・職業を明記しなくてはなりません。

これがおにぎりやサンドイッチになると飲食物提供禁止に引っかかって

選挙事務所に持ち込むことそのものが公選法違反でアウト。酒類も然りです。

報告できないものは、出しても貰っても、これは明らかに違反です。



また、ボランティアでお手伝いいただくことも、

労働力を受け取っているので、寄付を受けたことになり報告の義務があります。

物品の場合と同じように、労働量を金額に換算し、

労務提供者の氏名・住所・職業を明記し、報告しなくてはなりません。



出陣式の会場に使用する土地や、選挙事務所、駐車場等も

地代を払って借りれば何も問題はありませんが、

無償で借りてしまうと、寄付を受けたことになります。



そして寄付を受ける相手は個人でなくてはならず、相手が法人であると違反です。

家族が経営する会社の土地であっても当然違反。地代を払わなくてはいけません。

また、選挙区を共有する政治家からの寄付も不可ですから、

例えば安倍市の市長候補が、安倍市議会議員の何某から車載拡声器や、

事務所備品等を無償で借りることも違反になります。



視点を変えて、陣営から運動員や労務者へ対しては、

仕出し屋から弁当(数量と単価の上限あり)を買って提供することはOKなのに

野菜やコメを買ったり持ち寄ったりして、陣中で料理することは不可。

仕出し弁当も仕様が一食づつ包まれていれば可であるが、

おにぎり30個を10人で分ける、というような提供の仕方が不可であったり、

余った弁当をお土産に持たせたり、選挙事務所外で食べても違反になります。



このような事例を見ただけでも、

100%公選法を守り抜き、あとで完全な収支報告をと意識しても、

まずそれは無理であり、人によっては無駄に感じることであることが解ります。



ですから「最高速度50km/h」の道路を60キロで走ることに、

ためらいも罪の意識もなく、むしろ安全運転していると自負できるように、

公選法の場合「軽微な違反は違反に非ず」という常識がまかり通っているものです。



私の場合でも、せいぜい数千円のお茶缶やせんべい、果物の寄付を余すことなく

報告できたためしはありません。

数十人単位のボランティアスタッフが入れ代わり立ち代わり出入りする選挙事務所で、

各々の労働量を公正厳密に、金額に換算したこともありません。

かあちゃんたちが自主的に米や野菜を持ち寄り、炊き出しを始めても、

それを止めろだなんて、とてもじゃないが言い出せません。



しかし「無理が通れば道理が引っ込む」という言葉があるように、

無理を放置していると、公選法から道理が失せてしまいます。

実際、やっていいこととやってはいけないことの境界を、

「連座制にかかり、当選がはく奪される可能性のあるライン」に設定しているような

質の悪い例を見聞することがありますし、

「文書図画の違反くらいは屁でもない」思っている輩も実に多くなりました。

清貧でしがらみのない選挙を標榜しておきながら、

政治活動用の討議資料に「次世代型県議会議員候補」などと平気で書き、

駅立ち・街頭演説では候補者名入りののぼり旗を立て、

選管から指摘を受けても平然としていられるようなのが、この近郊にもいます。



私はここで、倫理観についてどうのこうの言うつもりはないのですが、

ただ、法律も選管も警察も、「なめてはいけない」と思うのです。

事実「その日」はある日突然やってきます。



私が関わった例では、

未成年を選挙運動に参加させたという容疑で、候補者が逮捕されました。

もちろん未成年を使うことの相談を私が受けていれば、許したはずがありません。

ところがこんな重大なミスが、選挙の狂騒の中で実現してしまったということは、

陣営の油断以外の何物でもありません。



あとで聞いた話ですが、

この候補者は、未成年を選挙運動に参加させてはいけないことは知っていました。

しかし、運動に参加したその人物が未成年であることを知らなかったのです。

つまり、どこの誰だかわからない人物を雇ってしまったわけです。

(車上運動員以外の運動員に報酬を出してはいけないことも知らなかった。)



最高速度50km/hの道路を100キロで走って捕まった。

周囲の車の大半は70キロで走っていたとしても、

捕まった運転手は、50キロ分の超過で罰則を受けます。

これと同じでひとつの違反が、

「これくらいは」と思っていたほかの軽微な違反をあぶり出し、

選挙に関わった大勢が、調書を取られるというような憂き目にあいます。



こんな目に遭わないようにするには、公選法を理解することが大切だと思います。

条文を覚えるのではなくて、主旨・ねらいを理解する。

そうすれば「次世代型県議会議員候補」と書くことの何が悪いのか。

ボランティアの労働量を、なぜ報告する義務があるのかがわかります。



冒頭に書いたように、矛盾だらけ、時代遅れの公選法ですが、

このことについては今後も情報を発信します。

今回は「なめんなよ」ということを肝に銘じていただければ幸いです。






選挙の武器である印刷物、ポスターや名詞と様々な形態がありますが、

中でも一番重要なものがリーフレットであると、私は位置づけております。



リーフレットはA4を巻三つに折るのが標準的な大きさですね。

この大きさは、男性の上着のポケットに入り、女性のハンドバッグにも入り、

長3という、最も安価に送れる定形郵便サイズの封筒に入り、

ポスティング業者も追加料金なしで預かってくれ、

支持者がポスティングするときも、運びやすく、投函しやすい…。

ですから私の場合も、

よほどの例外を除いては、このサイズでリーフレットを作ることを奨めています。



このリーフレットの役割を営業に照らし合わせて言い換えると、商品のカタログです。

まずデザインが目に飛び込み(表紙の候補者の写真と名前)、

性能・スペックが明記され(裏表紙のプロフィール欄・連絡先)、

一枚めくると開発ストーリー(あいさつ文)が書かれており、

全開した中面に汎用性や諸機能(政治信条)が箇条書きされている。



つまり、候補者のセールスポイントが簡潔にまとめられ、

この資料さえあれば、候補者が「どんな人」であるのかを示す基本情報が得られます。

さらには、購買意欲を喚起する(支持を拡大する)パワーが

リーフレットには刷りこまれていなくてはいけません。



ですからこれを作るとなると、まずは良く撮れた写真が必要です。

次に履歴書のような年次に従っただけのプロフィールではなく、

人生の軌跡が伝わるドラマ仕立ての、経歴の演出が必要であり、

さらには、人から人に意気込みが簡潔に伝わるコピー。

政治的思考と正義感と本気さが伝わるあいさつ文。

そして、それらの情報を際立たせるデザインが必要です。



このように手間暇かかる代物ですから、

ちょっくらちょいとできるものではありません。

選挙に出ると決めたら早めに企画していただきたいのですが、

制作が早すぎると他人に真似されてしまいます。

遅すぎると政治活動に影響しますから、

選挙の3か月前に企画をはじめ、2か月前に出来ているというのが目安です。



そういうと制作に一カ月もかかるのかということになりますが、

実はここが大事なところです。



再びこれを営業に例えて考えますが、

このリーフレットを作るという作業が、営業戦略会議なんですね。

写真の選定、コピーの決定、プロフィールの構成、あいさつ文の校正、

こういうことを、できれば陣営のみんな(幹部の25名くらい)でやる。

そうすると、皆で商品知識について熟知することになるし、

セールスポイントも共有できる。

そしてリーフレットの書かれた内容ついて、スタッフにも責任感が芽生えます。

選挙運動が始まってから、「●●(候補者)さんの主張って、いまいちわかんない」

なんてことを陣営内で言われなくても済むわけです。



そして、苦心して手間をかけてリーフレットを作れば、

あとのポスター、政策ビラ、ハガキ、選挙公報、車載看板、連絡所看板と数があっても

リーフレットのデザインや内容の踏襲ですから、

その後、産みの苦しみを味わうことはありません。



デザインにもこだわり、手間暇かけて、

垢抜けたものを作る重要性はわかっていただけたと思いますが、

一つ注意しなくてはならないことがあります。



それは「選挙臭さ」を残すことです。



私自身、全国の選挙の現場で、他陣営の印刷物を何百と見てきています。

中には、CDのジャケットかコンサートパンフかというほどカッコいいものもありました。

中面を開いてみても歌詞カードを思わせるカッコ良さです。

そういうコンセプトですから、候補者の写真の表情も暗に物言いたげだし、

服装やポーズも嫌味なく自然でカッコいいんだけど、

演出しすぎなのか、凛とした潔さがないんですね。



常識を打ち破った技法の良し悪しが、とても気になりましたので、

これを持ち帰り、いろいろな人に見せては感想を聞いたのですが、

「なにこれ選挙なの!」との反応が多かったという結果です。



名刺も室内用ポスターも政策ビラもそうですが、

政治活動用の道具には「●●議会議員候補」と書けません。

ですから何を差し置いても、これが一目見て選挙であると伝わることが大事です。

そして主張する政治信条に合ったデザイン・写真を選ぶべきです。



若い人の場合はポップになりすぎないよう、

年配の場合でも、カラオケスナックに貼ってあるような演歌調にならないよう、

とことんデザインにこだわったとしても

あえて選挙臭さを残すことが大事です。



私が選挙に臨むにあたって、「鉄則」と自分に言い聞かせている言葉が3つあります。

ひとつは「選挙は団体戦」。次に「先手必敗」。

そしてもう一つが今回のテーマ「保守6割」です。

6割というのは確かな数字ではない当てずっぽうですが、

有権者の過半数は保守と捉えていただければ結構です。



これまでに日本では、赤い革命が起こったことはありません。

ですから保守の方が多いということは、極めて当たり前のことなのですが、

選挙が好きで選挙の現場に熱心に顔を出す人ほど、大原則に盲目になっているものです。



この場での保守を定義しますが、リベラルに対しての保守、

つまり右か左かでいえば、右寄りを示すという意味・言葉でもあります。

また、制度改革や改憲について「慎重派」という意味合いもありです。

さらには平等という観念を否定はしないまでも、格差の必然性を認めている…。

という意味での保守でもあり、

総じていえば、「変化」よりも「維持」の方を支持し、「継続」と「伝統」を重んじ、

「急進」に対しては「危ない」と感じる…。そういう人たちのことだと思ってください。



その上で、あらためて保守の方が多いという話をすると、

小泉純一郎氏は改革を掲げて大勝し、リベラルである民主党が大勝したのはなぜだと、

質問を浴びることになりますが、

小泉改革とは狭義では郵政改革のことで、国民にとっての2005年の総選挙は、

郵政改革の是非であり、国の在り方や方向性を変える選択ではありませんでした。

2009年の総選挙で大勝した民主党は、リベラルな性格を隠していました。

小沢一郎氏・鳩山由紀夫氏・岡田克也氏ら元々自民党に籍があった人物、

その他、党内の保守系を看板に、保守ガチガチの層からも支持を得ていたので、

リベラルという思想が勝った選挙ではありません。



昨今の新政党の動きを見ても、みんなの党は結党時に「外国人参政権反対」を示し、

維新の会の橋下氏も先ず「国旗・国歌を重んじる姿勢」を示し、

保守層を納得させるための演出を最優先で布き、党の基礎を築いています。



このような対策を見ても、保守の方が多いということには理解いただけると思います。

そして、さらに保守6割がはっきりと形に出るのが、地方の首長選です。



ふつう首長選というのは、現職に明らかな汚点がない場合現職が勝ちます。

明らかな汚点とは、失政・スキャンダル・超高齢・多選等ですが、

そういうものがなく、無難に公務をこなす首長であれば、

そう滅多に新人に席を渡すことはありません。

有権者の動向も、やらせてみなければわからない実力未知数の新人よりも、

任期中に安定を守った現職を選ぶものです。



ですから首長選の入り口というのは、

有権者に「首長を変える必要がある」という意識があるかないかを見極めることが

ファーストステップであり、さらには客観的に現職の仕事ぶりを採点し、

それをじっくりリサーチし、出馬表明以前に対策する必要があります。

そして「首長を変えなければ」という意識の浸透を植え付けることができたとして、

ようやくスタートラインに立つことができます。出馬表明し名を売るのはその次です。



もし、「首長を変える必要がない」状況に対策しないまま出るということになると、

それは利己的な出馬動機の証明となり、保守6割を敵に回すことになります。

そしてそういう陣営には、単に現職が嫌いだから…、いう選挙ゴロや、

破壊と混乱が大好きな札付きの少数派・活動家が集まり、

あとに残すダメージが大きい負け方をします。



ところが当選枠が多数ある議員選の場合では、例えば私の住むつくば市の場合でも、

有権者16万人に対して1,700票、つまり有権者の1%強を獲れば当選ですから、

保守ではない人たちを頼りにした選挙でも十分に勝てます。



しかしここで定義した保守とは、安定を支持する有権者層のことです。



新人の時は、若さや情熱、誰にも負けない行動力で選挙に臨むのもいいでしょう。

しかし期数を重ねるうちに、あなたの安定感が支持されるようにならなければ、

永らく当選を続けることは無理です。

若くて元気な後発に議席を奪われることになります。



私は以前に、その陣営の人たちの情熱に打たれ、

負けるとわかっている市長選を請けたことがありますが、案の定負けました。

なぜ負けるとわかっていたかというと、

まさしく保守6割を敵に回す選挙であったからです。

それでも候補者とその取り巻きは大真面目に現職にぶつかりました。

私のその真面目さ、ひたむきさに打たれ参戦しました。
そのみんな思いは「市民一揆」という言葉になり、ポスターに書きましたが、
市民は一揆に加担しようというほど、市政に不満がないということがよく解りました。


政治的メッセージを示す前に、もう一度冷静に考えてみてください。

「公用車を買い替えた」「市長の退職金が2000万円」「議員の海外視察」

こういう事柄を聞いて頭に血が上る方が圧倒的に少数派で、特殊な人たちです。

こんなことには興味がなく、平均的な暮らしを営む大多数の人の声こそが、

サイレントマジョリティーなのですが、

ここが保守6割と重なる部分でもあります。


いかれたノイジーマイノリティーに翻弄されないよう、

「三つ数える」代わりに「保守6割」と心鎮めてください。




先日調べものをしていて、吉田雄人・横須賀市長のホームページにたどり着きました。

27歳で市議にトップ当選、二期目もトップ当選。

市議を辞職しての市長選では、小泉純一郎・元首相が支援する現職を破り、

二期目であった今年の選挙も、小泉進次郎がテコ入れする挑戦者に勝利しています。

私はこれまで、この方を特に注視したことはないのですが、

選挙結果が示すように、他を圧倒して秀でたものをお持ちの方と察します。



そのホームページには、少々古い記事ですが

2008410日 駅立ちが通算1000日を達成」とありました。

もちろん容易にまねできるものではなく、長く地味な努力の上に築かれた偉業です。

市議選二回のトップ当選、市長選でも強敵を破っての二期連続当選の実績は、

政治家としての手腕の評価だけではなく、

1000回を超える駅立ちという、地道な政治活動あっての賜物かもしれません。



野田佳彦・元首相も、駅立ちこそ自身の政治活動の原点だと話す向きがありました。

その他にも、駅立ちをライフワークに取り入れている政治家はたくさんいます。

特に衛星都市には、駅立ちが功を奏して出世した政治家が多く存在します。



ですから、特に衛星都市から政治家を目指す若い人の中には、

駅立ちこそ政治活動の原点であり、政治家を目指して最初にすることは駅立ちであると、

そう考える方が大勢いても然りと、私は思います。

私のところにも今年になって3回、20代の方からのメール・相談をいただき、

「会社を辞めたら、翌日から駅に立つつもりです。」であるとか、

「自身まだ学生ですが、定期的に帰郷して駅に立とうと思います。」

というような意気込みを聞かされております。

さて私は、こういう青年たちにどんな返事を書いて送ろうかと考えました。



結論から先に言えば、「駅立ちよりも先にすべきことがある。」と返しました。

駅立ちは確かに政治信条を訴え、顔を売るに適した活動ですが、

実は私は二つの理由で、駅立ちを積極的には推奨していません。



その一つの理由は、「駅立ちそのものは人の役に立つ行為ではない」ということです。

駅に立つというと、ふつうは平日の午前6時~8時ころに実行するものですが、

この時間帯というのは、もっといろいろなことができる時間帯であると思うのです。

私が直接知っている市会議員の中にも、この時間帯にゴミ置き場を見回り、

独居老人の安否を確認するための戸別訪問を日課にしている人がいます。

また、通学路での旗振りを15年続け、町内から「頼むから出てくれ」と、

議員に担ぎ上げられたという人もいます。



特に20代のこれから政治家を目指す青年たちの場合は、

まだその人生が短いが故、社会奉仕や社会貢献の経験量が少ないのがふつうです。

でも政治を志す以上は、人並み以上の見識を身に付けなくてはいけません。

だからこそ太く短くとも、特に午前6時~8時という奉仕のゴールデンタイムには、

自分でもできる「人の役に立つこと」をライフワークにしてもらいたいと思うのです。



私は駅立ち●●回を誇る人よりも、1000人の子供たちに知られる旗振りさんの方が、

市議会議員という役職には向いているし、当選に近いところにいると思います。



二つ目の理由は、駅立ちなどの政治活動で得た支持者には、

全部ではありませんが「招かれざる人物」が混ざることが多いということです。



選挙が近くなり、政策や公約を印刷物等で公表すると、

特に大きな選挙では賛同者が集まってきます。

しかし、これまで会ったこともないのに政策に寄ってくる人というのは、

概ね活動家であり、貴方の選挙や政治についてあれこれ口を出す人です。

特に後援会の形が成されておらず、若い候補者にはこういうのが憑きやすいものです。



以前、「後援会こそが政治活動の足かせだ」と主張する方と議論したことがありますが、

この人がイメージした後援会像こそが、政治活動に口を出す連中の集団のことです。

本当に自身の後援会の構成員が、仕事にまで口を出し始めたらそれは厄介でしょう。



元来後援会というものは、貴方の選挙と政治をサポートする以前に、

貴方の人生を応援してくれる人々の集まりであることが理想です。

ですから政策を掲げて「この指とまれ」と行動を起こす前に、

貴方の生き様を認めた人・仲間が、2人でも3人でも集まってこなければ、

選挙用の陣形はいつまでたっても形になりません。

また「口を出す後援者」のような不届き者に対しての抵抗力も得られません。



つまり駅立ちは「最優先」ではないということです。



吉田雄人氏の場合も、野田佳彦氏の場合も、

サクセスストーリーを語らせれば「駅立ち」が原点と、対外的にはそうなりますが、

両氏とも駅立ちを開始するころには、

彼らの信念と人間性に惚れ、「吉田を必ず一人前の政治家にしてやる」

あるいは「野田を必ず一流の政治家に育て上げる」という、
吉田・野田両氏の意気に応えた支持者が何人かは集まっていたはずです。


駅に立つのはいよいよ選挙も近くなり、

「よし、みんな聞いてくれ。俺は明日の朝から駅に立つぞ」と言ったときに、
「わかった。俺も付き合うぞ」という言葉が、
陣営内の23人から返って来るようになってからで十分だと思います。


立候補する本人にとっては試練である選挙。

しかし、「選挙好き」という人種がどこにでも存在する通り、

一部の人たちにとって、選挙は娯楽でもあります。

かくいう私もその一人、「プロ」という看板を上げていなければ、

単なる選挙大好きおじさんです。



その陣営の特徴にもよると思いますが、この選挙好きという人種、

必ずしも選挙陣営で歓迎されているわけではありません。

場合によっては疎まれていることすらあります。



特に煙たがれるタイプとは、

湯水のごとく金を使い、際限なく飲み食いにふけった時代の体験が刷り込まれ、

その昔を懐かしみ、武勇伝を披露するようなタイプですね。

怪文書や実弾が飛んだとなると色めき立ち、ウグイス嬢を口説くことに執心し、

外交に出せば不要な喧嘩を売り、トラブルを持ち帰る…。

こんな時代の変化が読めないロートルはどこへ行っても嫌われます。

もしもこの手の輩に憑かれてしまったら、考えるまでもありません。

力尽くで排除しましょう。



かといって、あまり大真面目に選挙・政治に首を突っ込み、

必要以上の緊張を陣営に強いるタイプも困ります。



以前「後援会が怖い」と助けを求めに来た候補者がいます。

その後援会幹部は、政治信条から運動方法、そして私生活に至るまで口を出し、

候補者は毎日怒られてばかり…。

事務所の雰囲気も恐々として、大人しい人が寄り付かなくなるという有様。

現職の方でしたが、もう出馬辞退しようかと言うほど疲れていました。

この手の陣営は、市民運動家やネットワーク系によく見られるのですが、

民主主義が行き過ぎた結果です。

「みんなで決める」ことや、自由闊達に意見交換ができることは大事ですが、

見ず知らずの活動家を幹部に登用してしまったことが、この候補者の失敗です。

やはり最大の裁量は候補者か、信頼できる参謀格が持っていないと、

集団は思った方向へは進んでくれません。



選挙というのは団体戦であり、事務所には常に人の出入りがあり、

みんなの力を合わせて戦うものです。

今ではボランティアが当たり前になり、

昔のように運動員に湯水のごとく金品飲食を振る舞う必要はなくなりました。

しかし選挙に深くかかわる人たちに、厳しい注文ばかりを押しつけ、

恐々とした雰囲気の事務所で、辛酸ばかりを舐めさせるわけにはいきません。

選挙に参加することに何がしかのメリット、楽しみがなければ、

誰も手伝ってはくれません。



では、選挙事務所に集まる人たちのメリットや楽しみとは何なのでしょうか。



それは出会いだと思います。少なくとも金品を享受することが第一ではありません。

私の初の選挙は学生の頃、選挙事務所で酒が出されていたころの参院選の現場ですが、

地方議員や会社社長、議員秘書や政党の職員、さらにアンダーグラウンドの人々。

当たり前に就職活動なんかをしていたのでは、決して出会えない人たちに会えました。

そして、勝利という一つの目標に向かう団体の一員でいられたということは、

お互いが同じ釜の飯を食った仲間同士としての時間の共有があり、

あとになって、特にその選挙に勝てば特殊な絆で結ばれるものです。



その後も何度となく経験した選挙の現場で、

いろいろな人に会いました。恋愛の対象に巡り合ったこともありますし、

人生にとって重要な出会いもありました。

だからこそ選挙のとりこになったと言って間違いありません。



経験を重ねると今度は逆に、カスばかりの事務所に関わったこともあります。

集まれば人の悪口、病気の話、仕事の愚痴、家族の愚痴、卑猥な話、パチンコの話…。

あとで金を借りに来るやつ、数十万円もする寝具を売り込みにくるやつ。

しつこく宗教の勧誘の電話をかけてくるやつ。

一人場違いを入れてしまうと、類は友を呼びこんなのばかりになります。

さらに私はこの事務所で、盗難の被害にも遭いました。

私の場合は商売ですが、

でなければこんな事務所には誰も近づきたいとは思わないでしょう。



私は選挙を楽しくするもつまらないものにするも、そこに集まる人次第だと思います。

ですから、選挙の現場に出入りする人選は重要です。

参加する人たちにとって、安心でかつ、有意義な人間関係が構築できるよう、

主催者側は配慮しなければならない。そしてその責任があると、私は思います。

いい人が集まっている陣営はやっぱり強い。

いい人が集まれば陣営は明るくなり、選挙も楽しくなります。



「選挙は道楽」と書くと、下卑た楽しみ方を想像してしまいますが、

しかし支持者にとっては楽しくなくてはいけません。

たまにスタッフみんなで酒食の席を囲むことも重要ですが、

それ以前に和を乱す分子がいないこと、いれば思い切って排除することが肝心です。