まずは新井城の生い立ちからご紹介したい。
鎌倉幕府創設に多大な貢献をした三浦氏であったが1213年、新井城からも程近い和田城を領し、幕府の侍所を努めていた三浦一族の和田義盛が和田合戦で執権・北条義時に敗れるなど、執権・北条氏はしだいに三浦氏を追い詰め、ついに1247年、宝治合戦で執権・北条時頼に三浦泰村らが敗れて、三浦一族は法華堂に逃れ、主な者260人、都合500余人が自害。ついに三浦氏は滅亡した。
宝治合戦において、三浦一族でありながら北条時頼に加勢した佐原盛時が「三浦介」の名を継ぐことを許され、三浦半島南部を領した。
佐原盛時は矢部禅尼の子で以後、三浦介盛時を称し、新井城を本拠にしたと言う説があり、この頃新井城が使われるようになったようだ。以後、代々三浦一族が新井城に居城した。
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