「あなたの死後、遺族が揉めないように遺言を作りましょう」
「遺産が少なくても揉めるんですよ」
こう言って遺言作成を勧める士業が巷に溢れています。
たしかに、「遺産が少なくても揉める」というのはウソではありません。
しかし、私は、そう言って遺言作成を勧めることはしません。
だって、その営業トークって、
「揉めないことが至高の価値であり、それが遺言者の願いであるはず」
という決めつけがベースになっていませんか?
たとえば、妻子がいるのに
「愛人に全財産を遺す」
という遺言を望んだ人がいたとして・・・
「揉めないために遺言を」と主張する士業さんは何と言うんでしょう?
そんな遺言が出てきたら、むしろ揉めますよね。
もちろん、法的要件を満たした遺言がある以上、遺族には遺留分を超えた権利はないわけで、法律的にはそこで決着がつきます。
しかし、それは法律で抑え込んだだけで、心情的には十分揉めてるわけです。
それを避けるために、
「愛人に全財産を遺したい」
というクライアントに説教して、公序良俗に沿った遺言の作成を勧めたらどうなるでしょう?
それは価値観の押し付けであり、クライアント本位の仕事とは言えなくなります。
すなわち、「揉めないために遺言を」と言ったが最後、このようなケースでは・・・
「遺族の心情は知ったことではなく、法律的に揉めなければ揉めたことにならない」
という立場を採るか、
遺言者に自分の(あるいは世間の)価値化を押し付ける
ことになるか・・・
いずれかに陥る可能性が非常に大きくなると考えられます。
「揉めないために遺言を」と主張する士業さんは、それをどこまで突き詰めて考えていらっしゃるのでしょうか?
我々の仕事って、こういう問題に鈍感であってはならないと思うのです。
「じゃぁオマエはどうするんだ?」と問いただされたら・・・
私は、クライアントの意思を尊重した内容の遺言を作ります。
遺言において、遺言者の意思以上に価値のあるものなど存在しません。
私にとっては、それが従うべき原理原則です。
その上で、「付言」を活用して、いかにして遺言の内容を決めたのか、可能な限り言葉を尽くして、しかし簡潔にコンパクトに、遺族に対して説明します。
それで波風が立つのであれば仕方がない。
遺言者の選択なのだから。
そう考えるので、「揉めないために遺言を」という宣伝はしないのです。
極論を承知で言います。
「揉めないために遺言を」という考え方は、親族の顔色をうかがう成年後見人と同じセンスであると言ってよい。
あるいは、家族の意向に引っ張られすぎて本人不在のケアプランを書くケアマネと同じくらい無自覚であると言ってよい。
この感覚が理解できない方は、「自己決定権の尊重」の深さと難しさを知らない人です。
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