NHK総合「時をかけるテレビ」を観て | 世日クラブじょーほー局

世日クラブじょーほー局

世日クラブ・どっと・ねっとをフォロースルーブログ。

 

 1986年放送のNHK特集「のぞみ5歳~手さぐりの子育て日記~」をフィーチャ―。澗潟繁男・玲子夫妻の長女のぞみちゃん子育て奮戦記だ。ご夫妻は全盲である。

 

 繁男氏(36)は生まれながらの全盲。玲子さん(32)はそれまで弱視だったが、18歳で失明。二人は昭和54年に行われた盲人同士の集団見合いで出会う。翌年、二人は結婚するが、玲子さんの家族は反対だったようで、その反対を押し切って家を飛び出したのだった。ご家族の思いも無理はない。しかし玲子さんにしてみれば、自分と同じ全盲の繁男さんこそ、気持ちが通じ合えるとの確信と信頼が全てだったろう。玲子さんいわく「子供を育てるのに苦労や心配とか全然なく、本当にうれしくて。ただ、障碍児が生まれる可能性も。その場合、がっかりしないような気構えだけはもっていようと二人で話し合った」と。授かったのぞみちゃんは健常者だった。

 

 玲子さんは、のぞみちゃんのおしめや大便をにおいや指でさわって形を確かめて健康状態を知る。二人の子育ては「言葉」と「指」と「匂い」が全てだという。

 

 子育ての苦労は?と聞かれ「喜びの方が大きくて苦労など感じない。苦労しているとすればのぞみの方かもしれない」と玲子さん。

 

 いつか、のぞみちゃんがわけもなく泣いていた時があったが、それが夜電気を付けないまま部屋が真っ暗だったことが原因だったことに夫妻が気づく。二人は光が見えない。よって、夜、電気も付けなかったらしい。今は「うちの家族にも電気が必要になったことが嬉しい」と語る。

 

 玲子さんはのぞみちゃんに「お父さんとお母さんの”指”は大切な”おめめ”なのよ」と言い聞かせている。

 

 歩けるようになったのぞみちゃんに起きた2つの事故。

①タバコを食べてしまった。②ソファーから落ちて口の中を切り、顔中血だらけに。

 

 これらの事故は、幼児がいる家庭ではしばしば起こること。しかし、盲目の夫婦には、のぞみちゃんが泣きわめく声しか聞こえず(まだ喋れない)、何が原因なのかまではわからない。この時からのぞみちゃんに言葉を教えることに必死に。

 

 夫妻がこの町(金沢市金石)に移り住んで5年。近所の人々やボランティアなど大勢の人たちが一家を支えたという。しかしそれは、夫妻が誰もが気軽にたずねて声をかけることができる家庭を築いたからこそだ。澗潟一家は笑いがたえない家庭と評判。

 

 「目の見える素晴らしさをあの子が教えてくれた」と玲子さん。親が目が見えないハンディを補う役目をさせてはならないといつも思ってきたが、生活をともにするにつれ、自然とそうしてくれていたと。「あの子といれば、自分が見えるみたいに自由だ。だから初めての場所でも行ってみようという勇気もでてくる」と続ける。

 

 一方、繁男さんは盲学校時代、ギターを嗜み、弁論部、放送部で活動。無線もやり、旅行も好き。東京、大阪へも一人で出掛けたという。今やPCも始めた。「できるだけ一家そろって外へ出て、楽しく遊ぶ時間をつくりたい。少年時代、自分が楽しいと思ったことを子供にもさせたい」と繁男さん。実際、彼は子供時代、健常者の友だちと分け隔てなく遊び、自分が生まれながらの全盲と考えたことなどなかったと語るが、いやはやこっちが気圧されるほど。

 

 さて、6年ぶりの里帰りとなった玲子さん。これまでの経緯から両親との間に気まずい思いが。玲子さんが6歳になる時、彼女を盲学校に入れるかどうか家族は悩んだという。母親は幼い娘に寄宿舎生活でさびしい思いをさせるのはかわいそうと泣いた。ただもう一方で、周囲の眼をさけたいとの思いも。この子のためにどうしても学問を身に付けさせねばと、両親を説得したのは祖母だった。

 

 玲子さんがにこやかに言う。「失明したあとの自分が好き。自分に素直になった。人の痛みがわかるようになった」

 

 玲子さんが盲学校卒業後、両親はマッサージ治療院を建ててくれた。しかし、あえて困難な道を選び、家を飛び出して繁男さんのもとへ。自ら選んだ自立への道。玲子さんいわく「5年間の子育てであらためて親の心を知ることができた。自分勝手に家を飛び出したけど、両親や家族の犠牲の上に今の幸せがある」と。

 

 そして「家庭を持つということは人間にとって素晴らしいこと。家があって主人がいて、子供がいて、ちゃんと私の場所があって。あこがれていたけど、こんなに素晴らしいものだと今、実感している」と…。

 

 盲目の夫婦と幼い娘。それでけ聞くといたたまれない思いに駆られるのも人情。しかし大変ではあるが、五感の一つが失われた分、他の四感がそれを補おうと研ぎ澄まされていく。人間の驚異的な生命力を見る思いだ。夫妻は試行錯誤しながら経験値を積むとともに自分自身の人間性をも成長させていく。

 

 障碍者=不幸ではない。幸不幸など、そのモノサシは他人が決められることでもない。傍からどう見えようが、当人が幸せだと思う内心はどんな強権者の圧力も奪うことができない(当然、他人への迷惑となればその限りでない)。逆に、この夫婦は健常者が一生かけてもたどり着くことのできないだろう境地に到達しておられる。玲子さんの「失明したあとの自分が好き」の言葉には圧倒される。私たちは見なくてもいいものを見過ぎて来たのではないか? 

 

 然るに、自分の境遇に悔やむ者、親子関係がただならぬ者、己が不幸の申し子だと信じて疑わず、よって自分の駄々は世間が全部聞き入れるべきと恥も外聞もなく表明する者、etc.…。まず、この澗潟夫妻の苦労に思いを致しなさい。それから自分のことが言えたなら言うがいい。それこそ人間の質が問われるというもの。

 

 あれから38年。結婚して二人の娘を持つというのぞみさんからの手紙が番組に届いていた。番組向けの作文ではなく、正直な気持ちだろう。誰がなんと言おうと、これが澗潟夫妻の汗と涙の子育ての結晶である。

 

 「私は周りが思うほどには両親が目が不自由だということに対して特別な思いや苦労というものはなく、人一倍両親を頼ってきましたし、やりたいことも何でもやらせてもらってきました。しかし、私がこのように何不自由なく暮らして来られた背景には、きっと、両親の努力と苦労がたくさんあったことだろうと私自身も二人の娘を持つ母親となり、子育てに追われる今、あらためて思います。両親には尊敬と感謝しかありません」