映画「ヒトラーのための虐殺会議」を観る | 世日クラブじょーほー局

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 1942年1月、ドイツはベルリン、ヴァンゼ―湖畔に建つかつて別荘だった豪奢な邸宅で行われた会議。出席者は、親衛隊(SS)、ナチ党、内務省、法務省、外務省などの高官総勢15名。主宰者は、ラインハルト・ハイドリヒ(国家保安本部長官・親衛隊大将)で、ゲーリング国家元帥の意を受けてのことだった。議題はズバリ、「ユダヤ人問題の最終解決」。

 

 ドイツ占領下のユダヤ人の人口は推計1100万と報告されると、驚きの声が上がり、輸送や管理などへの不安や法律の管轄権に対する不満が噴出する。ただ、ある出席者から、ドイツ人(ゲルマン民族)以外の民族は奴隷になるとして、欧州の新秩序は何億もの民族的改造が必要であって、1100万などものの数でないとピシャリ。これもガス抜きのための織り込み済みだったようで、結局、周到に準備してあったアウシュビッツでのガス室による特別処理というアイヒマン(国家保安本部ゲシュタポ局ユダヤ人課課長)の提案を一同が飲まされる流れに。

 

 議論の過程で、クリツィンガー首相官房局長の言葉が静謐を切り裂く。いわく「私が皆さんより年長だからか牧師の子だからか倫理を考えてしまう」と。ユダヤ人への同情をたしなめられた彼は、「彼らを心配しているのではない。あの人種の終焉は理解している。ドイツ人が心配だ。まだ成長しきっていない若者が特に心配。我々も先の大戦でそうだったはず。キエフでは3万3千もの死体の山を築いた。そんな経験をしたら、人は残酷になる。サディズムや精神疾患、アルコール依存…」などと老婆心を吐露。

 

 これに対してハイドリヒは、「任務だから厳しく対しているだけで、彼らは立派です。確かに手荒ですが、略奪や罵倒や暴力といった行為はない。諸君の良識は疑いない」と。さらにヒムラ―SS全国指導者も射殺現場をみて、人道的な方法を探せと命令されたと。

 

 そしてアイヒマンが畳みかけるように「私は銃殺もガストラックも視察したが、どちらも食欲が失せた。しかし固定型施設では行程が分業化され、対象と実行者の接触が避けられ、情が移ることもない。快適で高効率。匿名での処理が可能」とその有効性を鬼の首を捕ったように力説してみせた。

 

 これを受けてクリツィンガーは「これで血の海が避けられるなら心理的負担も減る。これが人道的最善策でしょう」とあっさり答えた。トータル90分の確かに中身の濃い会議ではあったが、ユダヤ人の運命はここに決した。ナチス施政下のドイツといえども、法律の根拠なしには何事もなしえない。これが法治国家の実態であり、悪法も法という法治主義の限界を示す。本来の意味の法の支配とは、対局をなす概念。

 

 会議で、「人道」や「倫理」などという言葉や若者に対する心配などが語られたのは、彼らにも良心があったことの証左。ただそれはドイツ人に対するものであって、ユダヤ人は虫けらのように殺していい、否、殺さなければならないというパラダイムは寸分も揺るがなかった。かてて加えて、優秀な官僚であればあるほどそれに忠実で、遮二無二任務遂行に励んだ。

 

 彼らを現代の私たちが笑えるかどうか。傍目から異常でも当人はそれと気づかないのは往々にしてあり得る。本作はそれが国家ぐるみだったということ。人はこういう側面を持つと理解しておくべきだろう。(すでに上映期間終了)

 

(監督)マッティ・ゲショネック

(キャスト)

フィリップ・ホフマイヤー、ヨハネス・アルマイヤー、マキシミリアン・ブリュックナー、マティアス・ブントシュー、ファビアン・ブッシュ、ジェイコブ・ディール、リリー・フィクナー、ゴーデハート・ギーズ、ペーター・ヨルダン、アルント・クラヴィッター、フレデリック・リンケマン、トーマス・ロイブル、サッシャ・ネイサン、マルクス・シュラインツァー、ジーモン・シュヴァルツ、ラファエル・シュタホヴィアク