奥本康大著「正伝 出光佐三~日本を愛した経営者の神髄」(展転社)を読む | 世日クラブじょーほー局

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正伝 出光佐三―日本を愛した経営者の神髄

 

 2012年に上梓された百田尚樹氏の手になる「海賊と呼ばれた男(上下巻)」(講談社)が、400万部以上のベストセラーとなり、本屋大賞を受賞、さらに岡田准一主演で映画化もされた。当方は小説も映画もみていないのだが、須本壮一作画による漫画を読んだ。

 

 当方が漫画を通じ、出光佐三に見立てた主人公である国岡鐡三の人となり、その言葉、行動力、残した業績などなどを初めて知り、こんな日本人がいたのかと圧倒された。この作品がベストセラーとなったということは、日本人も捨てたものではないなと思ったものだが、あれから10年経ったこんにち、日本中に出光佐三的なるものが浸透しているだろうか。むしろその逆で、エゴと拝金主義がまかり通る醜い亡国の民があふれているのではないか。

 

 出光佐三ではないが、二宮尊徳の精神を受け継いだ者たちなら、そこかしこに見掛けるから希望かなと思ったら、ただその形だけを真似て、他人の迷惑や危険性を顧みず、小さな画面に四六時中、目を落とさずにはいられないスマホ中毒患者だった…チャンチャン。「歩きスマホ」に象徴されるように、今、わが国において、「けじめ」という言葉は死語となったと言える。ONとOFF、公私の分別など、身の程を知り、弁えるという市民としての最低限のエチケットすら心得ない老若男女が占める。これに克己心や慎独、まして利他の精神など望むべくもない。徒にAIを肥らせるだけ。いずれ、君臣の別も「グラデーション」という世のトレンドに乗って滅却せらるるの愚を思うべし。ことほど左様に、400万ベストセラーの影響など露ほども残っていないと言える。そもそもが論語読みの論語知らずだったか。

 

 奥本氏は、本書執筆の動機の一つが、出光興産OBとして、その創業者である出光佐三から直接薫陶を受けた立場としても、前掲書の「海賊」の表現や「一番大事な出光佐三の国家観、愛国心の記述が少なく、単なる商売人として描かれていることは残念でならない」との思いからだった由。

 

 出光興産㈱は、石油製品の販売を主たる事業として、連結売上が9.5兆円、グループ内従業員数は、1.4万人(2023年3月現在)という今や押しも押されぬ大企業となったが、その創業は、前身となる出光商会を明治44年に出光佐三が25歳で起こしたことに始まる。

 

 出光興産には「第二の定款」というものがあり(今現在は不明)、それは「人間の真の働く姿を顕現し、国家社会に示唆を与える」というもの。また、独特の制度として「出勤簿がない、残業手当がない、定年制がない、労働組合がない、馘首がない」(奥本氏が現役時代は少なくとも存在)があった。今聞けば、ブラック企業の誹りを免れないものもあるが、佐三の思想の根底に「人間尊重」と「大家族主義」があってこそのことだった。

 

 出光佐三の真骨頂は数多あれど、最初の出資者たる日田重太郎との出会いこそ、それを象徴して余りあるものだ。神戸商高(現神戸大学)を出たばかりの、世間的には、海のものとも山のものとも知れない若造に「出光とならば共に乞食になっても構わぬ」と言って憚らず、親類からも「出光と手を切れ」と忠告されても終生、物心両面にわたり援助し続けたという。日田の佐三に対する唯一の注文は、「家族みんな仲よくして、主義を貫徹せよ」だった由。それほどまでに人を魅了し、期待を抱かせた人間性のポテンシャルはいかばかりか。日田に先見の明があったなどというのは後智慧であって、世の中は道理に叶わぬ直感の世界で動くことも多々なのだ。

 

 そして、わが国が敗戦し、天皇の玉音放送の二日後に、出光社員に対して訓示した「玉音を拝して」において、まず3点を強調。「1.愚痴をやめよ 2.世界無比の三千年の歴史を見直せ 3.そして今から建設にかかれ」。これだけでも佐三の凄まじいばかりの信念と責任感、そして行動力がわかる。普通なら、直接の戦争被害に遭ってない立場でも敗戦二日後など、未だ茫然自失状態で、せいぜいその日の生きる糧のことで頭はいっぱいのはず。敗戦により佐三が背負った負債は、現在の貨幣価値にして500億。そして、国内外の約千人の社員が路頭に迷う瀬戸際だったのだ。

 

 続けて、今後の出光社員が歩むべき指針についてがこうだ。「この苦労は、われわれがかつて知らない深刻なものである。今まで戦っていた敵兵を目のあたりに見ることや、食糧の不足、失業問題の解決、思想上の闘争、働いても働いても追いきたる窮乏等々、一つだけでも相当の苦労である。これら大苦労の重複、しかも連続する艱苦、死んだほうがましだということになる覚悟をせねばならぬ。これが国家に対し、祖先に対する責任であり、やがて世界人類に対する務めである。第一線にある同胞同士の今後の艱苦を思うとき、われわれの苦労はまだやさしいものである。日本人は艱難を永久の友とするところに、日本精神あり、武士道あり、人類に対する貢献があるのである。苦労を恐れるものは日本人たりえないのである。祖先の墓前に割腹すべきである

 

 佐三がいま生きていれば138歳であり、バリバリの明治人。もはや歴史上の人物というか、伝説の人と言っていい。その人となりを令和の時代にそのまま持ってきても、”アナクロニズム”と煙たがられるのがオチ。ただ、人間たるもの、100年前も千年前も生身の人間。そして2000年来の日本人のDNAを受け継ぐ者の責任と使命として佐三の精神を引き継ぐべきだ。

 

 「艱難汝を玉にす」…これこそ、佐三のオリジナルというより、先人が獲得し時代を超え東西の別なく、後代に与えられた真の生きる知恵である。

 

 また「奴隷解放令」と呼ばれる出光の七か条の規則の第一は、「黄金の奴隷になるな」であり、奥本氏が解説するには、これは、「事業は金儲けでない」ということである。佐三いわく「出光商会は金儲けを目標として出立したのではない。一生働き抜いてみよう。それも各個バラバラに働くのではない。一致団結して働こう。これが人間の生まれてきた所以であり、国家に対する責務であり、社会人としての道である」と。

 

 「海賊と呼ばれた男」のクライマックスは、日章丸事件だが、無論、事実において、この事件こそ、出光の名を世界にとどろかせたことに違いない。ただ、本書で明かされている佐三は、「(イラン石油の輸入の打診があったとき)当時の出光の判断として、イランの石油国有化は不当なものであり、また国際的承認を得たものではなく、イラン石油の輸入は商習慣、商道徳上許されないと考えた。(中略)出光は国際儀礼を重んじてこれを拒み続けた」「(日章丸がイランから)帰国後、AI社(英アングロ・イラニアン社、イランにおける原油採掘を独占)から提訴され積荷や日章丸が差し押さえられることも想定し、日章丸の帰国日を調整させた」「(日章丸の二度目のイラン・アバダン港入りに際して)折しも皇太子殿下が国賓として滞英中だったので、外交に配慮して日章丸は皇太子殿下の国賓待遇の公務が終わるのを待って、アバダン港に向かった」などなど。これらは佐三の常識人ぶりや紳士さ、ち密さや慎重さなどを伝え、やはり「海賊」と呼ぶにはふさわしくなかったろう。

 

 出光佐三は終生、株式公開を拒み続けたそうだが、現在の出光興産はすでに株式公開を果たしている。また、仇敵であったロイヤルダッチシェルの流れを汲む昭和シェルと業務提携済みだ。時代の流れとして、仕方ない側面もあろう。なお奥本氏によれば、氏の現役時代には、出光の入社式では国家斉唱と皇居遥拝が習わしだったが、今それは行われないようだ。奥本氏は佐三の精神が失われていく現実に悲嘆と危機感を隠さない。

 

 昭和天皇は出光佐三の死去に接し、次の追悼の御製を詠まれた。

 

  出光佐三逝く

国のため ひとよつらぬき 尽くしたる きみまた去りぬ さびしと思ふ

 

 天皇陛下の大御心をさえ突き動かした佐三の人間力に、当方はただただ敬服することしきりだ。