高田純氏講演への補助線 | 世日クラブじょーほー局

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 ゼレンスキーの嘆きはこうだろう。「なぜ我が国は核放棄をしてしまったのか。(旧ソ連から独立した1991年時点で1200発以上の核弾頭+ICBM保有)そして、その肩代わりとしての安全保障の証文『ブタベスト覚書』が結局、紙くず同然でしかなかったと今知った」と。

 

 ただそれもプーチンに言わせれば、NATOの東方拡大、マイダン革命(=民主的選挙で選ばれた親ロ派政権を米国が背後でけしかけて暴力的に転覆)、ミンスク合意の不履行などは西側の裏切り行為であり、同性婚さえ認める不埒な西側文明など破壊せよとなろうか。

 

 他方、北朝鮮の金三代は国際社会の信用が失墜しようが、人民が飢えようが、王朝の生き残り戦略として、遮二無二核開発に邁進してきた。対米交渉のための唯一の切り札としてこれは正しい。これを読み切れず六カ国協議でソフトランディングを試みるも、逆に北の核武装路線に手を貸す結果となった日本を含めた西側のアホさ加減。

 

 翻ってわが日本。ウクライナ危機を受けて、防衛費のGDP比2%への増額や反撃能力の保有などが俎上に。ただ、まだそれが他人事でしかないのは、そこに核の論議とともに、シェルター配備の話題が一切出てこないことで明らか。ウクライナがロシアの猛攻を持ちこたえているのもシェルター配備があればこそではないのか。だが日本人はミサイル攻撃なんてあるはずがない。まして核なんて…との揺るぎない、かつブレないカルト信者よろしきポジティブ絶対信仰を誇る。

 

 ノーテンキな日本人をよそに、中朝露は核のさく裂で一瞬にして人間を蒸発させること以上の残虐行為を今もなお、行っていますよ。そのことを痛感できるかが人としての質に関わる。そしてウクライナ戦争からローマvsカルタゴの遺訓を汲み取れるかが賢者と愚者の分かれ道。

 

 最後に「核武装こそは日本人全体の精神を高雅にしその魂を美しくし、日本に“真正の国家”というものを取り戻す作用がある」(中川八洋著『日本核武装の選択』徳間書店)

 

 この言葉を拳拳服膺されたい。