葛城奈海著「戦うことは『悪』ですか」(扶桑社)を読む | 世日クラブじょーほー局

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戦うことは「悪」ですか サムライが消えた武士道の国で、いま私たちがなすべきこと【電子特別版】 (扶桑社BOOKS)

 

 昨年暮れだったか。葛城氏の講演を聞き、その場で本書を購入した。彼女の為書きサインも入っている。彼女の講演は初めてだった。言わんとすることはよくわかるが、ちょっと住む世界が違う人、保守のスーパーエグゼクティブ、いじ悪く言えばお高く留まっている…。ま、あんまりいい印象はなかったのだ。何せ東大出の才女である。年はそれなりにいっているが、スタイルはいいし、美人、…てとこまで嫌味に思えた。

 

 だが、本書によってその女傑ぶりに脱帽せざるをえなかった。

 

 本書の主張を一言で表せば、「日本に男はいないのか」だ。「保守」といわれる世界において、彼女がキャスターを務める「チャンネル桜」や「WiLL」「Hanada」などのメディアは安倍マンセー(失敬)の空気が澎湃としていると言える。だが彼女は、おかしいと思うことは安倍であれ、誰であれ容赦しない。女性ならではの感性というか、怖いもの知らずというか、実際、精神面においては男より女の方が強いということを感じさせてくれる。彼女は著述家でも評論家でもない。本書で「ささやかでも自分にできることを具体的に実行していくことが、先人たちから託されたバトンを次の世代へと繋いでいく、『今を生きる者の責任』」だとして、これまでも体を張って実践躬行してきた。本書は個別具体的なテーマにおける自身の主張とそれに沿ってこれまでいかなる活動をしてきたかの行動記録だ。

 

 本書がフィーチャーするテーマは、尖閣、拉致、皇統、自衛隊などなど。おなじみの保守銘柄が並ぶが、彼女の視点は一味違う。それぞれのイシューに対し、活字や映像をフォローするだけでわかったフリをしないからではないか。自ら飛び込んで体感し、当事者と思いを共有することを旨とする。果たして彼女のその信念はどこから来るのか。本書では自らかつて長く「天皇制反対」論者だったことを告白している。筋金入りの左翼だったわけではないが、転向組には違いない。ま、ともかくも本書で特に印象に残った戦後レジームの在り様を体現すると思われる事案を第一章の「尖閣諸島を守る」と第二章の「拉致被害者奪還」から取り上げてみる。

 

 世界日報でも毎週日曜1面に「国境警報」という欄を設け、那覇市の第11管区海上保安本部の発表として、尖閣周辺における中国海警局の公船の動きや防衛省によるロシア機や中国機に対するスクランブルの回数などが報じられている。国家国民を守る一心で神経をすりつぶす彼らには感謝しかない。だが日本固有の領土である尖閣諸島(2010年に国有化)に日本人が上陸することはもとより、一海里以内に入ることすら禁じられているのが実情。葛城氏は尖閣海域に過去15回にわたり、漁船に同乗して赴いているようだが、2013年の中国公船の領海侵犯の様子をこう記す。「大きな中国公船『海監51』が視界に入り、目の前、魚釣島すれすれのところを悠々と横切っていくではないか。そんな状況であるにもかかわらず、海上保安官たちは、背後の中国公船よりも目前のわれわれ漁船に向かって『一海里以内に入らないでください』を連呼している」。傍からみれば、魚釣島は中国の島にしか思えないという状況。事なかれ主義もここに極まれりだ。それが令和3年2月現在はどうなっているかといえば、「中国漁船と海保の巡視船がなんの緊張感もなく、魚釣島の周りで共存している」と。葛城氏の仲間の漁船が公船の後ろにピタリとつけても何の反応もなく、だいぶ経ってからその間に巡視船がゆっくりはいって来るという具合。2月1日から海警局に武器使用の権限を付与する海警法が施行されているにも拘わらずだ。葛城氏は一応警備のポーズとしてやっている感じだとした上で日中間の密約の存在にまで言及している。

 

 続いて第二章「拉致被害者奪還」について。2008年、特定失踪者問題調査会代表の荒木和博氏を中心に元自衛官や予備役自衛官からなる「予備役ブルーリボンの会」が設立。葛城氏はその幹事長だそう。同会と活動を共にしているという自衛隊の特殊部隊OBは「対米協力と同じくらいの熱意をもって、自衛隊による拉致被害者救出を可能とする法的根拠を示せば、自衛隊はその準備に鋭意取り組むだろう」と語っている。ブルーリボンの会が主催したシンポ「拉致被害者救出と自衛隊」において、荒谷卓・元陸上自衛隊特殊作戦群長は「一人助けるのに仮に自衛官10人が死んだとしても、それは作戦と技量が未熟なだけなので、気にされないように。むしろ、助けを必要としている国民がいるのに使ってもらえないことのほうにやるせなさを感じます」とコメント。そして自衛官の妻は「お役に立てるなら、家族は喜んで送り出します」とアンケートに記していたとのこと。これらの言葉はどこかのメディアで報じられたのか知らないが、当方は初めて聞いた。これは拉致家族を大いに勇気づけるだろう。

 

 ただ、自衛隊に関わる法律の建付けは、一人の犠牲者も出さない前提。もっとも米国だって命の尊さは変わらないわけで、一人だに犠牲者は出したくないのは同じに決まっている。だが、湾岸戦争(1991)以降の米軍の犠牲者は7000人以上を数える。自衛隊は戦闘での死者はゼロだ。これで本当の同盟国足り得るのか。米国民は内心日本を軽蔑しているのではないか。尖閣で一旦緩急あった場合、米軍を凌ぐ自衛隊の命掛けの戦いがなされなければ、そして世論がそれを後押しする状況が現れなければ、安保条約第5条の適用範囲だと念押ししてみても日米同盟は形骸化する恐れが大だろう。だから安倍さんが、9条2項を残しても自衛隊の憲法明記を主張するのはこういう背景もあろう。ともかくもあとは首相はじめ国民の選良がどれだけ自分事として拉致問題を捉え、領土は1ミリたりも譲らない不退転の決意を示し得るかに懸かる。