映画「ピータールー マンチェスターの悲劇」を観る | 世日クラブじょーほー局

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 18世紀末から19世紀初頭にかけて、欧州全土を巻き込んだナポレオン戦争が、ワーテルローの戦いで連合軍側の勝利で幕を閉じた。本作はそのワーテルローの戦乱が終結して、戦地から一人の青年が真っ赤な軍服姿のまま、とぼとぼと故郷の英国マンチェスターの家へと辿り着くシーンから始まる。

 

 その青年ジョセフの家族は、紡績工場の労働者なのだが、長年の戦争による疲弊で不況が蔓延し、市民は厳しい生活を余儀なくされていた。加えて不作続きで、その多くが地主である政治家たちは、生産者を守るためとして、穀物の輸出入を制限する穀物法を制定。市民は生活の糧であるパンにも事欠くという状況が出来していた。

 

 さらには、貧困ゆえに起こされた窃盗事件に対して、裁判所の判事は市民に驚くほど冷淡で、聖書の文言を振りかざして過酷な刑罰を科した。

 

 そんな中、市民の中から「改革者」と呼ばれる人たちが現れ、さかんに集会を開いて、穀物法の撤廃や普通選挙の実施などを訴えていたが、摂政王太子(のちの英国王ジョージ四世)の馬車に男が芋を投げつけて、窓ガラスが割られた事件を受け、貴族院は人身保護法を即時に一時停止にしたのだった。

 

 改革者の中でもロンドンのヘンリー・ハントは、カリスマと名声があった。このハントをマンチェスターに招き、聖ピーターズ広場の集会で演説してもらうことが計画される。改革者の中には暴力を扇動する者もあったが、ハントは、あくまで非暴力の平和的な集会でなければならないと強調していた。

 

 だが、いざ集会(6万人が集まったとされる)が始まってみれば、無防備の市民に、武装した騎兵団が容赦なく襲いかかり、これがのちに「ピータールーの虐殺」と呼ばれる大事件(本作パンフの新井潤美東大教授の解説によれば、死者少なくとも18人、負傷者650人以上とされるが、正確な数は定かではない)となったのだった。本作は闇に埋もれた?この英国史上最も「残忍かつ悪名高い」事件に光をあて、今日的意義を改めて問う。

 

 なぜ無抵抗の市民に対して、武力制圧で臨んだのか。もっともナポレオン戦争自体が、革命思想伝播の意を体していたのであり、王室を戴く国体を守るには、過敏にならざるを得なかった面もあった。ただ、劇中登場する摂政王太子は華美を好み、浮世離れしたバカ殿そのものであり、その顔色をうかがう首相や内務大臣はじめ、政治家たちに国民のためという思いは微塵もなかったろう。時代は19世紀初頭であり、普通選挙の実施には、これから1世紀を要し、かつまたメディアは未発達だった。

 

 翻って今日の世界である。香港とロシアで大規模な反政府デモが繰り広げられている。目下、普通選挙制度がグローバルスタンダードであり、メディアは驚異的な速度で進化を遂げ、ちょっとついていけないほど。加えて国連を筆頭に、人権意識は過剰なほど高められている。だが、中国の天安門事件が、改革開放の真っ只中で堂々と起こされるということを西側の専門家さえ見誤ったように、今回も治安維持の名目であっさり武力介入がなされる可能性が高い。共産党が頼れる唯一の手段は武力だからだ。

 

 ことほど左様に、共産党一党独裁は、劇中の摂政王太子夫妻より醜悪で脆い。ロシアも民主化したとはいえ、旧ソ連の全体主義体質を色濃く残す。政権の真の強さのバロメーターは、民主化の度合いだ、とあらためて銘記したい。

 

(出演)

ロリー・キニア、マキシン・ピーク、デイヴィッド・ムーアスト、ピアース・クイグリーほか

(監督)マイク・リー