第49回 新しい憲法をつくる国民大会が開催されました | 世日クラブじょーほー局

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 一年に一回くらいは、憲法について、真剣に考えてみようということで、毎年恒例の5月3日憲法記念日に開催される、新しい憲法をつくる国民大会に参加してきました。ちょうど一年前のこの日、安倍首相は、9条改正と2020年の新憲法施行をブチ上げられ、以降、賛成反対入り乱れつつも、闊達な憲法論議が行われたことは、安倍氏も我が意得たりの心境でしょう。そして自民党は改正項目を4つに絞り込んだ改正原案を先ごろ発表。今年はいよいよ憲法改正が発議される時を迎えるかもしれません。ただ国会は野党が審議拒否から漸く復帰したものの、与野党対立構図のまま、憲法審査会は開店休業状態で、先行き暗雲が漂います。そういう中で行われた国民大会。今回は自民党国会議員5名に加え、野党から日本維新の会の議員が1名参加。

 政治評論家の高橋利行氏の時局講演からはじまって、「改憲川柳」の発表、清原会長による講話、そして来賓の国会議員各氏による講話がありました。以下それぞれの要旨。

 

 

「時局講演」 

   高橋利行氏(政治評論家、元読売新聞論説委員)

 

(高橋利行氏)

 

 今、憲法改正の機が熟していると感じる。国会は様々なスキャンダルで審議も滞っているという状況。そういう状況でも必要なものは必要、やらなければいけないことはやるんだということは改憲派の議員においては同じ気持ち。憲法改正の作業はいわゆる忖度動機で、総理大臣や自民党総裁や政治家だけがいくら力んでも出来ることではない。その権限は国民にあるのだ。国民がその気にならなければ出来ない。卵から雛が孵るときに、上からつついただけでは壊れてしまう。やはり内からの生まれ出ようとする力と呼応してつつかなければならない。そういう意味で今、機が熟しているといえる。

 

 永田町では、野党がバラバラなのだから、この際思い切って1967年の黒い霧解散のように解散すべきだという人もいる。だが、そんなことは意味がない。黒霧解散のときは、いわゆる伴食大臣のスキャンダルが原因だった。今回はもっと深刻だ。多分勝てないだろう。メリットがないと同時に、この機を逃せば憲法改正はなかなかできない。安倍晋三政権は国政選挙で5連覇だ。これが意味することを考えるべきだ。これは単に自民党政権が続いているというだけではない。そのトップリーダーたる安倍晋三という政治家が憲法改正の信念を高々と掲げて引っ張ってきた。それに対して国民はしっかりやれと国政選挙5連覇で応えたのだ。

 

 機が熟しているにも関わらず、やらないとなればこれは政治家が怠慢の誹りを免れない。現憲法施行から71年間、一度も国民が権力行使できない事態というのは、政治家にもっと考えてもらわなければならない。ぜひとも今年中に改憲の発議をしていただきたい。そして、私たちの本当に尊い権利である憲法改正のための国民投票に1票投票したい。結果はどう出るかはわからない。ただ、少なくとも一生のうちに一度も権利行使できないというのは耐えきれないのだ。

 好事魔多しというように、いろいろなことが起きている。シェークスピアも言うように、「肥える土地には雑草が生える」のだ。いろんなことが起こっていることは事実でもそれと憲法改正を絡める必要はない。憲法は憲法で進めていくべきだ。山登りにおいて、だんだん頂上に近づくにつれて、胸突き八丁に差し掛かる。現下の憲法改正作業はその胸突き八丁に差し掛かっているといえる。これをなんとか乗り越えて、新しい開けた世界を見てみたいと思う。
 
 政治とは人だ。今まで憲法改正を口にした政治家はたくさんいた。鳩山一郎、岸信介、中曽根康弘…。中曽根氏は憲法改正の歌まで作って自身の誕生日に歌っていた。しかし、いざ総理大臣になってみれば途端に口を閉ざした。これは憲法改正よりも時の政権を優先させた考え方。ただ政権を取らなければ憲法改正もできないのも事実。加えて安定した政権でなければ憲法改正という大作業は叶わない。そうとしてももう少し憲法改正を政治日程に乗せる努力をすべきではなかったかと思う。

 

 その点、安倍総理は自民党総裁として憲法改正を具体的に政治日程に乗せた初めての総理大臣。これに対して国民は衆参選挙で5連覇という応援をした。だから機は熟している。これを逃しては憲法改正はなかなかできない。安倍さんに続く総理候補はいろいろおられるが、憲法改正やりそうもない顔ぶればかりだ。チャンスは一回逃せば再び得ることは難しい。

 政治とはリーダーの器量、手腕、能力によってできものはできるし、できないものはできない。あるいはできるものもできなくなる場合もある。昔、宮澤喜一という総理大臣がいた。頭のいい人だった。この人が面白いことを言った。全く同じことを竹下登が言えば実現するが、宮澤喜一が言えば反発を食らうと。これが政治だ。全く同じ憲法改正を色んな人が口にされたが、それは実現していない。今、憲法改正発議にもう一歩のところまで近づいているのは安倍晋三という愚直な政治家がここまで引っ張ってきたから。そう思えばまさに政治は人だ。
 
 安倍さんも非常な力業でここまでもってきたということもあるが、安倍首相のもとでの改正は嫌だという人もおられる。だがそういう人は他の誰でもいやなのだ。だからこのチャンスをしっかりつかんで突き進んでもらいたい。

 また改正発議が年内にできるか否かの大きな分岐点は、この秋の総裁選で安倍さんが3選できるかどうか。今日の新聞を見ると、「遠のく改憲発議」などと出ている。3選は難しいという空気がかなり強い。私は長い間、日本の政治を見てきたが、安倍さんは3選すると思う。なぜ3選がダメなのかわからないくらいだ。

 まず今日明日に安倍さんが辞めることはあり得ない。そして、憲法改正だけは自分がやるという執念がある。その場合総理大臣を辞めさせることはまず不可能。かつて三木おろしがあったが、結局できなかった。森おろしもそうで、加藤の乱も起こされたが、ダメだった。ことほど左様に日本の総理大臣をおろすというのはほとんど不可能。

 そうなれば総裁選で総裁を変えるしかない。総裁選の候補となり得る人は今現在6人いる。安倍晋三、岸田文雄、石破茂、野田聖子、河野太郎、小泉進次郎の各氏。小泉さんはまだ若すぎるので出ないだろう。引く手あまたの環境を楽しんでいるようでもある。石破氏は確かに地方に待望論がたくさんある。なぜなら地方で会合を開く場合、国会の状況から安倍さんは呼べず、その代わりに手っ取り早く石破さんが呼ばれている。地方にとっては国会議員とりわけ実力者が来てくれるというのは非常に歓迎される。石破氏の地方党員票は着実に増えている。よって石破氏優位という見方も強まっている。野田聖子氏は女性初の総理大臣を目指して期待も大きいわけだが、まだまだそこまでは至っていない。河野太郎氏は私も大変買っているが、日本にいないことも多く、永田町で票を集めるのは至難。結局は安倍vs石破の戦いがまた行われる。

 ではその勝敗の行方は。今の政治はどういう基準で動いているのかをみなければならない。終戦直後の日本政治のメルクマールは保守vs革新だった。それがやがて与野党となった。そして今現在は好きか嫌いかとなった。誰かを好きか嫌いかで政治行動が起き、グループが出来ていくことになっている。小沢一郎氏は典型だ。

 有り体に言えば、安倍さんは石破さんが嫌いなのだ。石破氏だけには政権は渡したくない。もし自分ができなくなれば、自分の同期生で話も合う岸田文雄氏に渡したい。ところが、それはなかなか難しい。岸田氏は地方票がほとんどない。このままなら岸田氏は総理大臣になれない。特に来年は4月に統一地方選挙、7月に参議院選挙が控えている。この秋に岸田氏を総理にして、来年選挙に勝てるかといえば勝てない。通常の総裁選挙(党員投票+国会議員投票)をやったら岸田氏は負ける。ではどうすればいいか。唯一の方法は安倍さんが3選して、途中でやめること。自民党の党則に書いてあるが、最も緊急で、必要な場合は、両院議員総会で決める。これなら勝てるのだ。多くの人が竹下派がどっちにつくかわからないというが、竹下派は勝つ方に付くに決まっている。

 こういう内容は安倍さんと岸田さんの間でずーっとやっているのだ。岸田さんの心配はかつて前尾繁三郎が佐藤栄作の4選の時に協力したにも関わらず裏切られたということがあったことだが、安倍さんはそれはしないだろう。

 今世界のトップリーダーは非常に長い任期をもっている。習近平氏は2期10年の規定を撤廃して終身皇帝と言われている。ロシアのプーチン氏は通算20年間大統領に就く。日本で安倍さんが5年やったら長すぎるなどという声が出ているが、20年や終身などという世界のリーダーに、5年そこそこのリーダーが伍していけるか。安倍氏には充分な任期を与え、改正した憲法を武器に世界と渡り合ってもらいたい。

 

 

「来るべき国民投票のための憲法改正学のすすめ」 (清原淳平会長)


(清原淳平国民会議会長)

 

 学校教育で、憲法第3章に国民の権利義務が規定してあり、そこには基本的人権、思想および良心の自由、教育を受ける権利、職業選択の自由など多くの権利があることを教わったはすだ。しかし今日取り上げるのは、憲法改正のための国民投票権という極めて大きな権利を国民が持っているということをお話ししたい。

 この国民投票権というのは、学校ではあまり教えていない。なぜなら前述した第3章の国民の権利義務は憲法の10条から40条までという前半部分に位置しているが、国民投票権は96条という、最後に近いほど後ろの方にあるということも関係していよう。

 

 それ以外にも現在の憲法ができてからずっと、国民投票を実施するための手続きの規定がなかったゆえに、存在はしていても抽象的権利といわれていた。しかし今現在は手続法もできて具体的なものとなって、衆参の憲法審査会で検討される段階にまでなった。

 日本国憲法第9章 改正 第96条(改正の手続、その公布)
 ①この憲法も改正は、各議員の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
 ②憲法改正について、前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを交付する。

これを分解すれば、4つの内容に分かれる。 

(一)国会における憲法改正の発議
   衆議院の総議員の三分の二以上の賛成で、発議案
   参議院の総議員の三分の二以上の賛成で、発議案
   ※衆参別々ではなく、一致した内容でなければならない。
   →→正式発議案
(二)発議案を国民投票にかける場合(それには1~4の四つの場合が考えられる)
   1.その発議案だけのために、特別の国民投票日を設けて行う。
   2.総選挙(衆議院の解散による衆議院議員の選出選挙)の日に併せて行う。
   3.参議院の通常選挙(三年毎の半数改選選挙)の日に併せて行う。
   4.議員の補欠選挙(議員の逝去や辞任に伴う補充のための選挙)の日に併せて行う。
(三)発議案の成立要件
   国民による投票総数の過半数以上の賛成票があれば、憲法改正が成立する。
(四)天皇が、国民の名において、その改正案を日本国憲法と一体を成すものとして、直ちに公布する。

   (天皇の公布は国事行為=憲法第七条一号にも明記)

 国民投票の手続法として、国民投票法(日本国憲法の改正手続に関する法律)が平成22年5月18日に施行、その一部を改正する法律の公布・施行が平成26年6月20日になされた。これは憲法上の法文があってもそれを実施する手続き法が定めてなければ施行ができないという法制度上の問題があるのだ。

 そして発議の手続き(国会法改正、平成19年、法五十一号、憲法改正について五ヶ条が決められた)には、衆議院(定数465)で100人以上、参議院(定数250)で50人以上の賛成で、発議された改正原案を、それぞれの院の憲法審査会で審査し、それぞれの本会議で、その総議員の三分の二以上の賛成により改正案を発議するとなっている。

 国民投票について、一般の感覚からして、投票ならいつも行ってるし珍しくもないと言われるかもしれないが、これは実は珍しいのだ。なぜならば、これまでは政治家個人か政党に投票していた。地元の政治家ならその評判が聞こえてきたり、メディアを通じてその政策を聞く機会もある。つまりこれまでは”人”に対する選挙をしてきた。これに対して憲法改正のための国民投票は人でなく法文に対して投票することとなるので、質的に異なってくる。よってその際には国民サイドも法の基礎知識くらいは勉強してもらう必要はあるだろう。

 ただそうなるとそんな厄介なことはよくわからないので棄権するとか、わからないから誰かの意見を聞いてその人の判断に従っていこうといった程度の国民投票になる可能性もある。われわれはこれを恐れるところだ。

 

(秋元司自民党衆議院議員)
 

 憲法改正は国会議員が決める話ではない。国会では発議内容を国民に提示させていただいたのち、国民投票で実現していく。国会の運営において、正しく国民に情報が伝わり、改正の中身も正しく伝わっていかなければならない。

 天皇陛下のご決断により、いわゆる退位が決定した。この件について国会において法律を作っていく過程で議長が各党会派の代表を集め、そこで議論しそれを各党に持ち帰り結果的には国会で大きな論争をすることなく、すなわち反対の声はなく、静かに退位が決定されたということだった。

 憲法も国のかたちを表すものであってみれば、最終的な民主主義の決定プロセスである国民投票も本来同様であってしかるべきではないか。またそうでなければ過半数は難しいだろう。



(櫻田義孝自民党衆議院議員)
 

 自民党は1955年の結党当時から自主憲法制定が党是だった。しかしいまだそれが成し得てしないというのは怠慢の誹りを免れないし、大変遺憾に思うところだ。

 最近の世論調査では改憲に賛成の割合が51%、反対46%などという数字が出ている。その理由としては軍備拡張を続ける中国の台頭、そして、核・ミサイル開発にこれまで邁進してきた北朝鮮などの脅威が国民に共有されてのことだろう。

 先月、南北朝鮮の首脳会談が実現し、融和ムードが広がっているが、ただ、北朝鮮という国は自国民を飢え死にさせても核・ミサイル開発を続けてきた独裁国家であることを忘れてはならない。はっきり申せば、テレビに映し出される南北融和は我が国の安全保障にとっては全く関係ないことだと断じたい。これから米朝首脳会談もセットされているが、北に対しては断固たる態度で、拉致問題の解決、完全で、検証可能かつ不可逆的な核・ミサイル廃棄を迫って欲しい。

 


(平沢勝栄自民党衆議院議員)


 今の憲法は改正しなければならない項目がいっぱいある。例えば、裁判官の給与を下げてはいけないという規定がある。その結果どうなるか。公務員は刑事事件を起こせば休職扱いになって給与は払われるにせよ、ガタッと下がる。ところが、裁判官は同じ立場になっても給料を下げられない。クビになるまで。なぜこういう規定があるのかといえば、時の政府が気にくわない裁判官を懲らしめるために給料を下げるなどということを防ぐためだが、まさか裁判官がセクハラだ、猥褻行為だなどということをやるなど想定していなかった。実際は裁判官にもそういう人はいるわけで、これはおかしな規定であり、改正するのは当たり前だ。

 憲法改正絶対反対などと言う人は、極々少数だ。野党は「反対」ではないのだ。例えば、首相の解散権についてもっと制約した方がいいという人は多い。あるいは憲法裁判所を設けた方がいいという人や地方自治をもっと充実させた方がいいという人もいる。また”護憲護憲”などと叫ぶ一方で、憲法24条の結婚は両性の合意に基づき成立という規定には反対で、同性のカップルも前提にして”両者”の合意とすべきという。要するに自分の都合のいいところは改正したいが、今はそれを言わないだけなのだ。

 今日の東京新聞の1面トップに「憲法9条は世界の宝」とあった。私は政治家になる前の最後のポストは防衛庁の審議官で、世界各国をまわっていろんな方と話しをさせていただいたが、9条が世界の宝などと言ってくれた人は誰もいなかった。むしろ、日本という国は身勝手だと言われた。日本だけが安全であればいい、他の国はどうなってもいいという考えじゃないかとなじられた。


 

(船田元自民党衆議院議員)

 

 憲法改正について、まず9条の2項(交戦権、戦力の不保持)をどうするかで自民党内で議論百出した。最終的には国民にわかりやすく原案を提示し、国民の9条改正に対する不安をなるべく少なくしていくためには、残さざるを得ないのではないかとなった。そして、第3項あるいは9条の2という新しい項を起こして自衛隊の存在を明記するということを目指した。ただ、2項を削るという意見がなお強いこともあり、自衛隊をそのまま等身大に書くということではなく、必要な自衛の措置を妨げないという、いわゆる自衛権の発動を盛り込んだ。自衛隊の組織の明記とともにその役割をきちんと書くことによって、2項を削る削らないという対立を少し和らげるということで対応しようという結論だ。

 

 2つ目は緊急事態条項。世界各国ほとんどの国で、何らかの形で緊急事態条項を取り入れている。2011年3月11日に東日本大震災が発生した。統一地方選の3週間前だった。東北3県の県議会選挙が当然できなかった。どうしたかといえば、東北3県については、県会議員の任期を約半年延長するということで急場を凌いだ。もし衆議院選挙、参議院選挙が近づいていて、あのような大震災が起こった時にどうするか。法律を作ればいいという人もいたが、これはできない。衆議院は4年、参議院は6年と憲法上決められている。よって、憲法を改正しなければ衆議院議員も参議院議員も任期を延長できないのだ。

 

 そういうことで、緊急事態条項においては衆議院、参議院の任期の延長をすることができるとした。ただ、緊急事態において、参議院の緊急集会があるじゃないかと言う声もある。しかし国の大事な法律を決める、とりわけ国民の生命と財産を緊急に守らなければならないという時に、参議院の一部だけでそれを決めてよろしいのか。やはりできる限り国会はフルサイズでどんな時でも存在していることが大事。これが本当の意味での民主主義じゃないかということで、このような制定をするようにした。ただその際、新幹線が止まって飛行機も飛ばないという中で、地方に散らばった国会議員が急には集まれないことも想定されるので、その間は内閣において緊急政令を出すことができるということも付け加えた。

 

 3つ目は教育の無償化。これは日本維新の会が大変熱心に進めてこられた。今現在、義務教育は無償化すると憲法に書かれている。それに加えて幼児教育、高校教育、高等教育にも無償という言葉を使えば、大変な国費が必要となる。そこまで我々が対応すべきなのか。やはりそこは自己責任ということもあるのではないかと。よってこれらについては無償は使わずに、経済的理由によって教育の機会が失われないように国は教育環境の整備に努めるべきだとした。義務教育の無償化と比べればややレベルが低いが、これがわれわれがやれるギリギリの線だろう。

 

 4つ目、憲法の14条が法の下の平等を謳っていて、1票の格差は本来はないのが正しい。しかしそれを全部やってしまえば、大変な事態になる。そういう中で、最高裁としては当面衆議院は2倍以内の格差、参議院は3倍以内という判断を示している。最高裁は実は昔は衆議院は4~3倍、参議院は6~5倍でも容認した時代もあったが、それから段階的に格差を縮めてきた経緯がある。ともかく、最高裁の判断によって、今現在、参議院では合区が生まれた。もちろん衆議院でも大変な事態になっている。特に東京ではキメラ状態の選挙区となってきていて、しかも毎回の選挙ごとに区割りが変わるという状況。これが続くと、有権者は自分の選挙区や候補者がわからなくなる。そうなると政治と国民の距離が広がり、政治に対する国民の関心が低くなってしまうという弊害が生まれる。これは人口比だけでやるからそうなるのであって、それとともに行政単位(都道府県、広域自治体)も加味すべきということを書き加えるという内容だ。

 

 憲法改正については政局に囚われず、常に議論するという癖をつけなければいけない。与野党の対立によって議論ができないというのは国民に対しての侮辱だと思うところだ。

 

(串田誠一日本維新の会衆議院議員)

 

 今年の予算委員会で憲法26条と9条について質問した。まず26条は、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」となっている。では普通教育はどうやって決まっているのか。普通教育が決定されたのは1886年(明治19年)森有礼初代文部大臣の学校令による。学校令では普通教育は小学校までとなっていた。それから60年後の昭和21年には、中学までが普通教育となった。昭和21年当時の進学率は中学までが65%。それから72年を経た今年、平成30年は97%が高校進学を果たしている。これを普通教育と言わずして何を普通教育と言うのか。ところが、学校基本法には、高校を普通教育とは定められない。何と言っているかと言えば、高度な普通教育と謳っている。なぜそういう言い方をしなければならないかといえば、憲法26条は普通教育を受けさせる義務を負うとなっていて、普通教育を高めていくと自動的に義務教育にしていかなければならない。いまだに中学までを普通教育と呼ぶというのは憲法26条が全く改正されていないからだ。

 憲法9条についてもおかしな議論だと思う。頭の上に火の粉が降ってくれば払いのけるのと同様に各国が自衛権を持つというのは固有の権利であり、国連憲章にも規定している。憲法にどういう文言があって、どういう解釈がされるかという以前に自分たちの国を守るというのは当たり前のこと。よって憲法に自衛隊が明記されているか否かに関わらず、自衛隊の存在は固有の権利だというところからスタートしなければならないと思う。ではなぜ憲法にあらためて明記しなければならないかといえば、違憲だという主張をする人たちがいるから。その人たちがいつか政権を取ったら、すぐに自衛隊をなくすのかと思えば、当分の間働いてもらうなどと言う。こういうことをこれ以上言わせてはならないから9条改正をしなければならない。

 

(宮川典子自民党衆議院議員)

 

 憲法改正について、私は正しくは自主憲法制定というべきだと思っている。なぜなら、憲法改正なら今までの憲法を残していくということ。しかしこの憲法はどこかの憲法をコピー&ペーストしたものだという指摘もある。であればこそ自分たちの力でもう一度作り直していくということが重要だ。私は前文の改正こそ重要だと思う。前文とはこの憲法がどういう精神、どういう現状分析で書かれ、またこの国がどういう立ち位置なのかなどなどが正確に書かれているべきだ。前文を改正した国には冷戦体制下に組み込まれていた国、内戦が起きていた国、大きな経済体制を組んでいたような国などがあるが、そういう体制から一歩外れた時にそれらの国の在り方は変わってくる。よって、前文を改正し憲法改正をやってきた国が多くあるのだ。自民党も前文に対する思いが弱いと感じる。日本の背骨を作るのは前文。敗戦国だったあの時代の言葉ではなく、もっと広い視野でもっと広い心で、日本がどうやって生きていくかを皆様とともにそこに記すことができれば、自主憲法制定がわが国にとって本当に大きな意味をもってくると思う。

 

「閉会の辞」 小林正氏(国民会議理事)

 

(小林正国民会議理事)

 

 国会議員の先生のお話の中で、かなり切実な問題として、参議院の合区の問題が出た。これは社会保障人口問題研究会の未来予測も指摘するように、日本の人口は待ったなしで急減していく。そしてそれに併せ人口比で議員定数を決めていくというのはもはや袋小路に入っている。どこへ持っていっても必ず矛盾が出る。どうしたら解決できるか。この間の政治改革で一番問題だったのは、議員定数を減らすことによって、身を切る覚悟で云々…。しかしその方式は果たしてこれからも通用するか。私は通用しないだろうと思う。人口はどんどん減っていく。日本は間接民主制。したがってどうしたらいいか。これについて世界各国の総人口と議員定数の比率を見れば自ずから回答がでる。日本は議員定数を減らし続けた。その結果、矛盾が拡大している。国民の立場からすれば、自分たちの代表を100人で1人選ぶのか、1000人で1人選ぶのか。どちらがより民意を反映することができるか。これは議員定数を増やすことによってのみ、間接民主制における個々の有権者の意向を反映することが可能になる。選挙制度改革について、東大の佐々木毅元学長が国会に持ち込んだら、減らすことばっかり言っていると。しかし私はそればっかりを言った憶えはないと。増やすことによって政治改革を断行することも可能なのだ。だから、ここでちょっと立ち止まって考えてみる必要がある。

 もう一点、国民投票へ向かうには、まず発議をしなければならない。今安倍内閣の状況を考えると、参議院の段階では3分の2は162名。現在自民党が125人、公明党が25人。維新の会が11名。足せば161。1名足りない。これには他の6野党から心ある人が党議拘束を破って参加してくれるかもしれない。しかししないかもしれない。となれば具体的には来年の参議院選挙において、与党で3分の2を優に超えるという体制を作る必要がある。よって、来年の参議院選挙は憲法改正への大変大きなステップとなる。加えて、教育の無償化の問題で、自民党は教育の充実として案をまとめたが、これで維新がOKするかと言えば私はしないと思う。そうなれば、3分の2は非常に危ういものとなる。もっと維新とも膝を突き合わせて話し合い、もっと広く仲間を増やす必要がある。