沖縄と日本の絆セミナーが開催されました | 世日クラブじょーほー局

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 さる22日に、「沖縄と日本の絆セミナー」が都内で開催され、「米軍統治下の沖縄工作と奇跡の祖国復帰~沖縄問題の根源と子孫に伝える日本民族にとっての沖縄県祖国復帰の意義」と題して、日本沖縄政策研究フォーラム理事長の仲村覚氏が講演しました。

 
 
 
 那覇市出身の仲村氏は冒頭、沖縄の本土復帰(72年5月15日)当時、小学校2年生で、それまでお年玉をドルでもらっていて、円が使えるようになった時、100円玉と間違えて1円玉を握りしめて買い物に行った失敗談を披露したのち、この講演会の意義について、参加者が今まで、沖縄に関する認識は騙されていたのだと感じることができれば成功だとした。
 
 仲村氏は平成21年ころ、沖縄の普天間闘争は全国の左翼が仕掛けている安保闘争だと気付いて、徒手空拳ながら啓蒙活動を始めたそうだ。
 
 仲村氏はまず、沖縄復帰運動は70年安保とセットであり、その中心は日本共産党だったと解説。そして”沖縄プロパガンダ”は、従軍慰安婦や南京大虐殺のそれより歴史が長く、成功していると喝破。
 
           (仲村覚氏)
 
 その上で、沖縄の新聞はいつから左翼なのか。誰がどのような目的でそうしたのか、今まで誰もわからなかったが、これがわからなければ沖縄問題は解決できないと。
 
 さらに沖縄県民は国際標準では「先住民族」なのだとし、その理由は国連で4回もそのように勧告されているという。これには仕掛け人がいて、「とどろかせよう! アイヌ、沖縄・琉球の声」という団体で、その母体をたどれば部落解放同盟に行き着く。
 
 そもそも沖縄はいつから「日本」になったのか?琉球王国は日本なのか外国か?これがよくわからない。外国なら、「先住民族」という論が成り立つ。政府の公式見解は「沖縄はいつから日本なのかわからない」というもの。中国の公式見解は「沖縄は日本に侵略された」と。ここが沖縄の歴史戦の核心だと仲村氏。
 
 なおヘイトスピーチ対策法について、琉球独立運動を阻止する言論活動をも阻止する可能性があるとして、警告。
 
 そして琉球独立論の始原は、蒋介石が1948年に設立した「琉球革命同志会」だと資料を示して解説。ただ、琉球独立論は沖縄では受け入れられないのは地元では常識であり、今これが盛り上がっているというのは、県外での出来事と斬り捨てた。だが、それを百も承知の地元左派は「沖縄の自己決定権の回復」と言い換えていると。
 
 仲村氏は中国共産党新聞の1964年の記事を示しながら、沖縄復帰運動は、毛沢東が仕掛けたのはほぼ間違いないと断じ、日共の背後に毛沢東が糸を引いていたことを明らかにした。日本を反米闘争の統一戦線に組み込もうというのが、60年代の毛沢東の戦略だったという。
 
 仲村氏いわく、「民族」とは…
    ”歴史と使命を共有した運命共同体”である。
 よって、沖縄戦は「日本民族の歴史」。沖縄復帰も「日本民族の歴史」。
 
 沖縄の平和記念公園にある「平和の礎(いしじ)」には、47都道府県から沖縄に向けて出陣し、散華した英霊の名が刻まれている(国籍を問わない亡くなったすべての人々)。
 
 最後に仲村氏は、沖縄の復帰は、沖縄戦の英霊の志が太田實中将の電文「~県民に後世、特別のご高配を賜らんことを」となり実現した日本民族の誇るべき日なのだと締めくくった。