映画「聖の青春」を観る | 世日クラブじょーほー局

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 村山聖(さとし)は、5歳で難病「ネフローゼ」と診断され、高熱や低血圧などの症状に苦しみながら入退院を繰り返し、まともに学校に通うことがかなわなかった。幼少期の入院中に将棋と出会い、13歳で奨励会に合格、17歳で四段昇段し、プロ棋士となった。その後、闘病しながらも、めきめきと頭角を現し、「東の天才・羽生と西の怪童・村山」と並び称され、25歳で七冠を成し遂げた羽生善治に、翌年、竜王戦で勝利するなど名勝負を繰り広げたが、その後、膀胱がんを発症し、余命半年と宣告される。一旦は手術を拒否した聖だったが、再び戦うために手術を決意し、膀胱と前立腺を全摘出する。そして臨んだNHK杯決勝での羽生との対局は、聖が終盤、羽生を追い詰め、投了(詰み)寸前まできたところで、持病の影響か聖の大落手により、急転直下敗北を喫し、これが羽生との最後の対局となった。同年(98年)8月、聖は転移したガンの進行により息を引き取った。両親が見守る病院のベッドの上で、混濁する意識の中、「8六歩、同歩、8五歩…」「2七銀」と棋譜をつぶやいたのが、辞世の言葉だったという。激しくも切ない、太く短い生涯だった。享年29歳。

 

 聖は生前一度だけ、ライバルであり、憧れの存在でもあった羽生とプライベートで差し向かう時間があった。竜王戦で羽生を下したその晩、聖から声をかけ、ひと気のない夜の大衆食堂に二人で入ったのだ。普段無口な聖がさかんに羽生に語りかける。聖の趣味は、少女漫画、麻雀、競馬。一方、羽生の趣味はといえば、チェスくらい。生い立ちや風貌もこれでもかと正反対の二人。そこで聖が切り出す。自分には2つの夢があると。一つは「名人」になること。もう一つは素敵な恋愛をして、家庭を持つこと。でも病気だから無理だと。しかし逆に病気でなかったら、将棋とも出会えなかったかもしれないし、羽生との勝負もなかったと。それまで静かに聞いていた羽生が「私は今日あなたに負けて死ぬほど悔しい」と返した。お互いを認め合った間だからこそぶつけ合えた本音であり、まったり感とバチバチ感が交錯した本作の重要なシーンだ。

 

 将棋に限るまいが、勝負の世界は厳しい。中学を卒業して奨励会に入会し(入会までも相当な実力がいる)、昇級・昇段争いを繰り広げ、三段まで昇段すれば三段リーグに所属し、半年間に及ぶリーグ戦を勝ち抜いた上位2名のみが四段に昇段、晴れてプロデビューとなるのだ。ただ、リーグ戦は年2回のため、1年で誕生するプロ棋士はたったの4名という狭き門。なおかつ、満21歳までに初段、満26歳までに四段昇段できなければ退会処分となる。そうなったら、その後の身の振り方を一から考えなければならない。劇中、同じ森信雄門下で、聖の弟弟子である江川(染谷将太)がもう後のないリーグ戦で、中学生を相手に終盤、緊張のあまり、顔面蒼白となり、鼻血を吹き出すシーンは痛ましいほどだ。

 

 縦36センチ×横33センチという小さな戦場に、20の駒を武器として戦う頭脳ゲームである「将棋」。興味ない人は一生触れることもない。この将棋に青春も人生をも捧げた人たちがいる。村山聖は手術で男性機能を失ってなお、「名人」を目指して戦い続けた。それほど人を魅了して止まない将棋の世界とはどういうものか。役作りのために20キロ体重を増やし、羽生に似せた東出昌大との緊張感漲る対局をはじめ、松山ケンイチの演技は白眉で、それを語って余りあるといえよう。自分自身に命を削ってもかなえたい理想や目標があるだろうか。聖の人生を通じ、今一度深く考えてみたい。

 

(出演)

松山ケンイチ、東出昌大、染谷将太、安田顕、柄本時生、リリー・フランキー、竹下景子、鶴見辰吾、北見敏之、筒井道隆、ほか

(監督)森義隆