NHK Eテレシリーズ「時空を超えて2 死後の世界はあるのか? 」を観る | 世日クラブじょーほー局

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「人は死んだらどうなるのか。この世から消えるだけなのか。それとも何らかの形で生き続けるのか。人間の意識や魂は死後も存在し続けるのか。科学では解き明かせない究極の問いに思える。しかし今、生物学者や物理学者、哲学者たちが、死後の世界は存在するのかという疑問の解明に挑んでいる」と語るナビゲーターの俳優モーガン・フリーマン。

 番組では7人の医師および科学者にその持論を語らせている。

 まず一人目は、脳神経外科医のエベン・アレグザンダー。彼は2008年、細菌性髄膜炎にかかり、7日間昏睡状態に陥ったが、その後、奇跡的に目覚め、1か月後には回復した。アレグザンダーは、昏睡状態の間、臨死体験をしたという。その内容はこうだ。

 まず、”ミミズから見た世界”があったと。見えるものがすべてくすんでいて、薄暗く、色は茶色や赤で、頭の上に木の根があったのも憶えているのだという。長い間、そこにいたようだが、記憶は失われ、言葉もすっかり消え去っていた。しかし突然、クルクル回るものが現れ、次第に大きくなり、それまでいた汚らしい世界を消し去ってくれた。そして、また突然、野原に出て、美しい蝶の羽の一部になった。周りにも色鮮やかな蝶が何百万匹もいて、群れをなして飛んでいた。それからアレグザンダーを含む蝶の群れはこの世を離れ、彼が”コア”と呼ぶ場所に行った。

 ”コア”は最初、途轍もなく広く、暗いところに思えたが、やがて暖かく神聖なものが”コア”に存在しているのを感じるようになった。それは、この世とは違う場所に存在するもので、間違いなく私たちが「神」と呼んでいるものだった。目の前にいくつもの宇宙が広がった。その宇宙の大きな部分を占めているものは、”愛”であると確信したと。

 そして、アレグザンダーいわく、「私の体験を神経科学の立場から説明するのは困難です。科学者としての私は、自分自身の体験に懐疑的だが、昏睡中の記憶はとても鮮明だ。神経生理学や神経解剖学の様々な知識を駆使して、自分の体験について考えてみた。しかし、私の体験を十分に説明できる仮説を見出すことはできなかった。それで結局、私の身に起きたことを神経科学によって説明することは、不可能であるという結論に至った」という。

 二人目は、バージニア大学医学部の精神科医ブルース・グレーソン。彼はこれまでに、1000件以上の臨死体験を調査してきたという。

 グレーソンいわく、「臨死体験で、必ず語られるのは、深いやすらぎ、安堵感、肉体からの離脱、そしてまぶしい光だ。その光は暖かさと無条件の愛にあふれている。中には、人間とは違う神聖な存在に出会ったと語る人もいる。それを神と呼ぶかは人それぞれだが、全能の力をもつ存在という点では一致している。しかし、多くの科学者は、こういった体験をニューロン(神経細胞)に酸素が行き届かず、脳に強いストレスがかかったために引き起こされた幻覚だとみなしている」と。

 1970年代、米空軍で、ある実験が行われたそうだ。それはこうだ。遠心機を使って、パイロットに大きな重力をかける。血液が足の先に集まり、脳の酸素が欠乏したため、参加したパイロット全員が気絶した。意識が戻ると「まぶしい光を見た」という人や、意識が肉体を抜け出し、自分自身を上から見下ろしていたという人がいた。臨死体験者の証言とよく似ているのだが、重要なことが欠けていたという。

 グレーソンはこう語る。「パイロットたちは臨死体験者たちと同じような体験をした。しかし、今は亡き愛する人たちとの再会や神聖な存在との出会いなどはなかった」のだと。なお、臨死体験を科学的に説明しようとするとすぐに突き当たる壁がある。それは、「考えることのできないはずの脳がなぜ複雑な思考をし、それを記憶しているのかという点だ」と。
 
「臨死体験とは、命の灯が消えようとする時に見る最後の夢なのか。それとも死の先に何かがあることを示す印なのか。真実を知るためには、魂とは何なのかを科学的に解明する必要がある。魂とは空想の産物なのか。それとも実在するものなのか。死後の世界を科学的に考える場合、欠かせない問題がある。意識とは何かという問題。意識とはどこから来て、死後どこへ行くのか」とナビ役のフリーマン。

 三人目、米アリゾナ大学意識研究センター所長で麻酔科医でもあるスチュワート・ハメロフ。

 ハメロフは、脳の活動と意識との関係性を知りたいと思うようになり、英国の著名な物理学者ロジャー・ペンローズと共同研究を始め、脳の働きに関する新しい説を打ち出して、永遠の魂をめぐる科学的論争を巻き起こしたという。この説の根幹をなすものは、脳細胞の中にある”マイクロ・チューブル”という構造だという。

 ハメロフによれば、マイクロ・チューブルとは、脳細胞の中にある管のような構造を指す。細胞骨格の一種で、細胞の構造を決定づけているという。マイクロ・チューブルは、細胞を一種のコンピュータとして機能させる役割を果たし、分子レベルで情報を処理していると考えられるという。すなわち脳を従来型のコンピュータではなく、量子コンピュータとして捉えるというのだ。

 また、”量子もつれ”というプロセスによって、ある場所で起きたニューロンの活動が空間的に離れた全く別の場所で、それに対応して反応が起きるという具合に、直接接触していないのに瞬時に情報が伝わるのだという。

 ハメロフは、脳内の意識が、量子もつれによって、広く宇宙全体に存在する可能性もあるのだという。なお人間の意識は、脳を構成するニューロンよりももっと基本的な宇宙の構成成分のようなものでできているのだとする。

 さらにハメロフはこう語る。心臓が止まり、血液が流れなくなると、脳は量子コンピュータとして機能しなくなる。しかし、マイクロ・チューブル内に存在する量子情報は破壊されず、宇宙全体に散らばる。患者が息を吹き返すと散らばった量子情報は再び脳内に戻ってくる。そして、白い光を見た、亡くなった家族に会った、体を抜け出したと言う。息を吹き返さなければ、量子情報は肉体から離れたまま魂として存在する可能性もあるのだと。すなわち量子情報が脳内と宇宙空間を行き来することが、臨死体験の本質だというのだ。

 四人目、ウィスコンシン大の神経科学者であるジュリオ・トノーニ。彼は意識を失った状態で、脳がどのように変化するのかを研究している。意識の謎を解明するのが目的という。

 トノーニは、人が夢を見ない眠りに落ちて意識をなくした時、脳がどう変化するのかを調べる実験方法(経頭蓋磁気刺激法)を考案。これによって、大脳皮質が電流にどう反応するのかを調べる。

 まず目を覚ましている状態の被験者では、その刺激が脳の一部のニューロンを活動させ、次々と別のニューロンに信号が送られる。この神経活動は、大脳皮質のおよそ30%に広がり、1/3秒ほど続く。一つの刺激が脳の中で呼び鈴のように反響している。一方、意識がない状態では、刺激を与えたニューロンは活動したが、回りへの反響は起きず、刺激がなくなると活動もすぐ止まった。眠っている状態では、脳の一部が他の部分と情報を共有する力が失われているようだと。つまり情報を共有する力こそ意識の重要な要素なのだというのがトノーニの考え。

 これをしてフリーマンが、目が覚めているときは、脳内で政府の閣議のようなものが開かれている状態と表現。大臣や専門家の意見をまとめて行動計画を決めるのだと。しかし、眠りに落ちると専門家がいなくなるため何も決められなくなるのだと説明した。

 このトノーニの研究は、昏睡状態にある患者の意識の有無を見極めるため、医療機関で応用されるかもしれないという。

 結論としてトノーニは、「意識を生み出すために複雑なシステムが必要だというのは事実だ。しかし単に複雑ということなら、インターネットも非常に複雑。あるいはチェスのプログラムも極めて複雑だ。他にも複雑なものはたくさんあるが、意識は生み出せない。意識を生み出すために必要なのは、『正しい複雑さ』だ。そんな離れ業を成し遂げられるものは、ごくわずかしか存在しない。どうやら大脳皮質は、それをほぼ理想的に達成できるようだ」と語る。


 五人目、クリストフ・コッホ(カルフォルニア工科大学、生物学者・工学者)

 コッホいわく、「脳ほど複雑なものはない。人間の脳にはおよそ1000億個のニューロンがある。一つ一つのニューロンが小型コンピュータのようなもので、それぞれが1万から10万個の別のニューロンとつながっている」のだそうだ。

 その上で彼は、「意識とは膨大な数のニューロンが活動することで、生じるもの。そこから魂が生まれ、喜怒哀楽の様々な感情も生まれる」と。

 そして結論として、「脳が機能しなくなり、ニューロンの活動がストップすれば、人々が魂と呼んでいるものも存在しなくなる」のだと語った。ま、典型的な唯物論者。

 六人目、ダグラス・ホフスタッター(インディアナ大、認知科学者)

 ホフスタッターは、より科学的な手法で魂に迫り、認知機能のモデル化に成功。人がどのようにものを考えるのかという謎の一端を明らかにしたという。

 ホフスタッターいわく、「人間は周りの世界をモデル化し、そのイメージで世界をとらえている。例えば”コショー入れ”。ちらっと見ただけで、それがコショー入れであることを認識する。心の中にすでにコショー入れのモデルが存在しているからだ」と。

 かつまた彼は、「私たち人間は、周りの世界に存在するものだけでなく、自分が何者かという概念まで心の地図に組み込んでいる。例えば自分の肉体的な特徴、ユーモアのセンス、バスケットボールのうまさ、そういった様々な要素を反映させて、自分が何者であるかという概念をつくりあげるのだ」と。

 そして彼は「精神のフィードバックループ」を主張する。テレビ画面にカメラを向けると延々とテレビ画面が映し出されるが、これがそれに当たると。これと同じように人間の魂とは、長年にわたって自分自身を認識し、その結果を繰り返し、フィードバックしていく過程で生み出されるもので、実在するものなのだという。


 七人目、スティーブ・ポッター(ジョージア工科大学、神経工学者)

 彼は半分が生きた細胞、半分が機械でできた脳を作ろうとしているという。ラットの胎児からニューロンを採取して培養し、小型の電極板の上で育てている。「多電極アレイ培養皿」と呼ばれるそうだ。電極を通じてニューロンに情報を与えると、ニューロンが反応する。その電極は、コンピュータを介して小型のロボットにもつながれているため、ロボットは、半分生きたニューロンでできた人工頭脳を持つことになる。このロボットは、「ハイブロット」と名付けられた。

 このような培養システムが、いずれ意識をもつかどうかとの問いにポッターの答えは、「イエス」。培養皿の中のニューロンは、環境から情報を受け取り、複雑な方法でそれに応えている。ごく初歩的なレベルだが、環境を意識しているのだと。別の生物のニューロンを使い、さらに複雑なシステムを作りあげれば、人間に近い意識を生み出すことも可能だと彼は言う。

 では、このハイブロットが自己を認識し、魂と呼ばれるものを持ったとしてもどうしたらそれを知ることができるか。その方法は「会話」しかないという。人工の脳に、「あなたは意識はありますか?」と尋ね、相手が「イエス」と主張してくるなら、それを信じるしかないのだと。当たり前といえば当たり前だろうが、恣意的に悪用されまいか不安に駆られる。

 今、ソフトバンクのPepper君に「君は意識ありますか?」と聞いて、もし「モチロンアリマス」と返事されても誰も信じないだろう。しかし、グーグル傘下のディープマインド社の「アルファ碁」が韓国の囲碁世界チャンピオンに勝利したり、AIが書いた小説が、日経が主催する文学賞である「星新一賞」の一次審査を通過したりなど、AIの進化には確かに目を見張るものがある。シンギュラリティが起こるとされる2045年ころの人工知能に同じ質問をし、同じ返答が返ってきたら信じるほかないのでは?誰が責任持つのか?

 しかし、ポッターは、今でも人工の脳に、ごく単純な意識を持たせることは可能だと言う。さらに彼が目指しているのは、人間の意識の完全なコピーだというのだ。たとえば、彼の意識のコピーを別の肉体に移植したら、会った人が彼自身だと思い込んでしまうようなレベルのものだと。ただそんな意識を作り出す方法は、まだ検討もつかない状況だという。

 先に登場した認知科学者のダグラス・ホフスタッターによれば、意識とは、脳が様々な情報を組み合わせて思考パターンを作り出すところから生じるものだという。ある人物の思考パターンは、その人一人のものではなく、生きている人も死んでいる人も含め、影響を受けた人たち全員の思考が混ざり合っているという。そして、人は複雑な思考パターンを他の人に伝えることもできるとして、ショパンの楽譜を取り上げる。

 白い紙の上に並ぶ黒い音符は、ショパンの精神活動の核心を伝えてくれると。高揚感、絶望、喜び、あきらめ、苦悩、さまざまな感情が曲の中に余すところなく表現されているため、私たちは、他人であるショパンの心の中を深くのぞき込むことができる。亡くなってから160年以上が経つのに、ショパンの魂の一部は、この世に残り、多くの人々の心の中で、生き続けているとし、これはある意味で永遠の魂と呼べるものだとポッターは語る。彼は科学者というより、哲学者に近いようだ。その彼の発想の起源は、妻の死がきっかけだったようだ。

 最後に、死後の世界の魂の行方について、それぞれの見解。

「意識を失えば、魂も何もかも失われる。あなたの存在は、完全に消え去るのだ。」(ジュリオ・トノーニ)

「臨死体験者の言うことをそのまま信じるなら、人間の意識や精神は肉体がなくても存在し得ることになる。」(ブルース・グレーソン)

「量子論に基づいて意識をとらえれば、私たちがこの世に存在する意味や目的は、大筋として説明できると思う。死後の世界や生まれ変わりについてもだ。」(スチュワート・ハメロフ)

「私は自分の臨死体験を通じて、この世の外でも魂が素晴らしいかたちで存在できることを知りました。それは紛れもない真実です。この世を去る時、誰もがそれを知ることになるでしょう。」(エベン・アレグザンダー)

 さて、「脳と心の問題」について、24年前に世界日報社から出版された野村健二著「創世記の科学」では、てんかんの治療と研究で知られるカナダの脳外科医ペンフィールドやオーストリアの神経生理学者で、ノーベル生理学・医学賞受賞者であるエクルズなど20世紀の科学者の見解を紹介し、心と脳が相対的に独立した実在であることを論証している。

 ペンフィールドは、心と脳の接点となる「最高位の脳機能」を上部脳幹だとみて、「脳は新たに獲得された自動的な仕組みの働く一種のコンピュータである。すべてコンピュータは外部の何者かによってプログラムを与えられ、操作されて、はじめて役に立つ。このプログラミングを指示する存在が心だ」「脳だけで心の働きを説明できるという十分な証拠はなく、人間は一つの要素ではなく、二つの要素から成り立っていると考えた方が理解しやすい」と主張。また彼は、「注意、理性を働かせて決定を下すこと、記銘、ユーモア感覚、感動、満足、幸福感、愛、悲しみなどの心の働きをことごとく脳の機能に還元することはできない」と見ているのだと野村氏。

 一方エクルズは、「網膜に映じた視覚像は一次視覚野で百万個くらいの要素のモザイクに変換され、三次、四次の視覚野で部分的に再構成され、正方形、三角形、星形といった単純な幾何学的特徴が認識されるらしいことがつきとめられている。しかし、われわれが把握する全映像はそれよりはるかに広大なものである。その映像全体がいかにして再構成されるかについてはまだ何の手がかりもない。それは、単一的性格の自己認識が、ちょうどサーチライトのように脳全体を、選択的かつ統一的な仕方で飛びかうことによって得られると自分は推定する」(「自我と脳」)という見方を示している。

 野村氏の見解はこうだ。「心には物質と全く異なる諸性質があります。物質のように複数ではなくて単数、その当人にただ一つあるだけで、ほかのものを選びたくとも代わりがないこと。生まれてこの方瞬時も消え去らず、新たに生まれることもなく、大きくも小さくもならず、分割することも、他と重ねることも、一部を他と交換することもできないこと。あらゆる空間的な特性―位置、大きさ、かたち、質量、色、におい等々がなく、したがって、感覚でとらえることができず、何グラム、何リットルというように物質的な観測器具で測量することもできないこと等々。」

 「心が客観的に存在することがこれほど確実であるにもかかわらず、それを目に見える脳に従属させて、脳の機能、あるいは所産だと見るのは、五官で観測できるものだけで理論を構築しようとする上述の科学の生んだ習慣、あるいは目に見えないもの(精神)は目に見えるもの(物質)から第二次的に派生したとする唯物論の独断から来るものです。」

 「空間的な性質のない心が上部脳幹を媒介として、ちょうどピアノを弾くようにその運動領に電気刺激を与えていると考えて、どうして悪いことがあるでしょうか。心にそういうことができるためには、心が単一の非空間的な性質のものであると同時に、物的エネルギーも有していて、物質である脳の神経線維を電気的に操作することができなければならないはずですが、すべての存在者に心的側面と物的側面があると見る統一思想は、まさに心をそのようなものだと理解するのです。」

 「DNAでさえ、脳など全くなしに、合目的的に情報を組み替えることができるのです。まして人間がどうしてものを考えるのに、いちいち脳の神経機構を通さなければならないでしょうか?統一思想のこの新しいパラダイムは、PK(念力)とか心霊現象、死後の意識の存続の問題などにも、多くの解明の手がかりを提供しています。」

 さて、「時空を超えて」シリーズは、アメリカ製作の番組だが、NHKの眼鏡に敵ったということだろう。しかしなぜ現代科学者の知見にのみ頼るのか。ペンフィールド、エクルズに限らず、過去の有用な知見をちゃんと生かせ。

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