川村邦光著「弔いの文化史」(中公新書)を読む | 世日クラブじょーほー局

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弔いの文化史 - 日本人の鎮魂の形 (中公新書)/中央公論新社

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 本書は、古代から現在に至る日本人の死生観や弔いの変遷を、民族学者・国文学者である折口信夫の鎮魂(タマフリ/タマシズヅメ)論を手掛かりに解き明かしていく。

 特に印象的だったのは、東北地方には、盲目の巫女が近親の死者・先祖の霊を呼び寄せ、その思いを語らせて弔う、「口寄せ」という風習が今でもあり、それを伝える第6章「弔いとしての口寄せの語り」だ。口寄せの呼び名は各地で異なり、「潮来」(イタコ)は有名だが、他に「オガミサマ」、「ワカドノ」などがある。

 この口寄せは、かつては、目が不自由な人が生計を立てる手段でもあったようだ。そう聞けばもともと特殊能力があるわけでもないのだとすれば、インチキくさい気もするが、幼少期から寺などで厳しい修行によって、霊力の研鑽を積むのだ。1940年頃には500人以上存在したらしいが、今現在新しいなり手がなく、消滅の危機にあるという。なお晴眼の巫女もいて、盲目の巫女とは別に「カミサマ」と呼ばれるらしい。古くから東北地方において、「口寄せ」は弔いの文化の中核にあった。これを「巫俗文化」というのだそうだ。川村氏いわく、「ここで大切なことは、生者が死者の声を聴くという心構え、あるいは聴くことができるという信心」だとする。信じる者は救われるといえば、茶化すようだが、信仰とはそういうものだろう。

 また山形県最上・村上地方にみられる「ムサカリ絵馬」を紹介している。これは結婚式の光景を描いた絵馬を寺院に納めるというもの。さらに青森県津軽地方には、花嫁・花婿人形の奉納という風習が見られるという。男には花嫁人形、女には花婿人形が奉納される。これはいずれもあの世で未婚のまま早世した者の霊を結婚させるという弔いの風習なのだそう。これなど死んだ子の年を数える以上に無駄な抵抗にも思えるが、「この世で断絶してしまった戦死者の生を、せめてあの世で叶えさせることによって弔い、死者とともに生きていこうとし、死者への思いをたえず新たにしつつ、ともに歳を重ねいき、あの世で相応の歳になって、再び巡り会うことになろう」と川村氏は解説。そして河北新報1996年5月16日付で掲載された「霊界結婚式」の記事を取り上げる。これは、48歳の母親が中学一年生の息子を亡くし、その十三回忌の法要の際に「霊界結婚式」を行ったというものだ。25歳となった息子の小学校時分の友達も駆け付けたという。以下はその母親の述懐―

「お寺で息子の名前のほか、お嫁さんの名前まで聞かれ、びっくりし、慌ててしましました。急いで考えたのが、わたしが昭和の昭子だから、平成の成子です。不思議なもので名前を付けた途端、情がわいてきて『成子さん、息子を頼みます。これからは二人で仲良く暮らしてください』と思わず言ってしまいました。母の手から、成子さんの手へ息子を渡したようです。『私の務めは終わった』と吹っ切れて、涙が止まりませんでした。『ねぇー、嘉一、これからは一人じゃない。成子さんと二人だもの、寂しさやつらさも二人で分け合って、あの世とやらで仲良くしてね。お母さんも生きている限り、お父さんと仲良く頑張ります』(中略)息子のためにしてやれる親の最後の務めを果たし、安心して帰ってきました。」

 自己満足といえばそれまでだが、元来、親が子に対する最大の望みは、結婚して所帯をもち、孫を産んでくれることであり、これは心の自然の発露。一方、子が親にしてあげたい望みは数あれど、その最大のものは、やはり同じく結婚し、孫をもうけてやることだろう。これまた同じく心の自然の発露。こう考えればこの儀式は、生者と死者、お互いの心の傷を癒し、その親子の永遠の絆を取り結ぶ知恵として先祖代々受け継がれてきたのだといえる。これはまったく理性の問題ではない。

 「供養と名づけられた死者に向けられた踊りや絵馬奉納などは、人の脆くはかない身体や表象を媒体として、死者と交渉する営みであり、生者による弔いの形としてあらためて見直してみてもいいのではなかろうか。」と川村氏。廃れ行くにはそれなりの理由があるなどと、したり顔で評論している場合でない。やはりわれわれは大切なものを失おうとしている。

  ‟月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也”

 芭蕉の「おくのほそ道」の書き出しだが、川村氏は本書の冒頭、これを記し、芭蕉が奥州へ旅立ったのは46歳だったとして、人生50年のご時世に旅立つこと、「それはまさしく死出の旅にほかならないのではなかろうか。」と提唱する。

 “メメント・モリ”…今、自らを近代合理主義のくびきから解き放ち、内的・普遍的価値観を掴むための放浪の旅にいざ、出立しようではないか。