NHK Eテレ「臨床宗教師~限られた命とともに」を観て | 世日クラブじょーほー局

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 宮城県仙台市の東北大学において、実践宗教学寄附講座「臨床宗教師研修」が、今から2年前に始まったそうだ。そこには仏教、キリスト教、神道など全国から様々な宗教者が集う。

 番組は、「今私たちの生活の場から『死』は遠くなっている。病院で亡くなる人は8割。宗教者といえども人の死に触れることはほとんどない」と解説。

 研修はそれぞれの宗派の死生観を学ぶ一方、病院実習で、余命宣告を受けた患者たちと対話を重ねる。日々死と向き合う患者からの切実な言葉に耳を傾けることで、宗教観だけでなく、生き方そのものを問い直すことが求められるという。研修期間は3ヶ月。

 この番組は、臨床宗教師となった僧侶の高橋悦堂さん(34歳)の活動を1年間にわたって、密着取材したドキュメント。悦堂さんは、宮城県栗原市にある普門寺の副住職を務めている。

 宮城県名取市にある岡部医院。ここは在宅緩和医療専門のクリニック。自宅で最期を迎えたいという患者を医師、看護師、ケアマネージャたちがチームで支え、年間300人を看取ってきたという。悦堂さんはここで臨床宗教師を担当。まず患者の日々の情報を医師や看護師と共有することから始まった。

 2013年7月から悦堂さんは、在宅医療を始めて間もない患者宅へ向かう。72歳男性。1年前に肺がんと診断され、病院で治療を行ってきたが、最近自宅での緩和医療に切り替えた。余命10か月と宣告されている。もとは工作機械の会社の経営者。仕事の話が口をついて出てきて、振り返れば「楽しかった」と漏らす。この人はなんと戒名をすでに授かっていて、悦堂さんに枕経(亡くなった直後に上げるお経)を体験したいと申し出る。そして仰向けになり、胸元で手を組み、仏さんの状態となる。「練習したいのだ」と本人。静かに目を閉じ、高橋さんの読経に聞き入る。あまり逸らずに自然体でいいんだよと諭す悦堂さんに、本人は、いや楽しみだと返す。「死」を非常に前向きにとらえているのだ。2回目の訪問時には、夢の中に亡くなった両親がでてきたと言って滔々と話しだす。両親の顔はとてもにこやかだったという。両親とは三途の川を挟んで対峙しているが、手前は濁流となっていて、「まだ来るな」と制されたという。悦堂さんが相槌を打つと、話しが通じることにご機嫌。普通の人にはこんな話しはとても通じないのだと。

 この人は、悦堂さんの初訪問から2か月後、永眠についた。

 この男性の、死を目前にした堂々たる生き様を見せつけられ、臨床宗教師として自分は何ができたのかと自問する悦堂さん。「身近に人が死ぬということを体験すると考える。坊さんとはいえ、今までそういう体験はない。(今の自分に)確固たる死生観があるかと言えば、正直弱い。」と漏らす。

 悦堂さんが臨床宗教師を志したのは、ある医師との出会いがきっかけだった。それは東日本大震災において、火葬場で遺体を供養するボランティアをしていた時だったそうだ。悦堂さんは、被災地の過酷な状況の中、宗教者に何ができるのかを考える日々だった。そんな時、臨床宗教師の提唱者である故岡部健医師と出会ったのだ。

 岡部医師は呼吸器専門の外科医で、長年病院に勤務していた。しかし自宅で最期を迎えたいという患者が多いと痛感し、在宅緩和医療専門のクリニックとして、前述の岡部医院を設立した。そこで看取った患者は2000人以上だそうだ。ところが、岡部医師には大きな疑問があった。それは、患者が死と向き合う現場になぜ宗教者がいないのかということ。医療だけでは人の死について答えることはできないと。岡部氏は「本来宗教者が、亡くなる前にきて、宗教的ケアをやってあげられたら、ご家族も亡くなられる方ももっと穏やかだったのにというケースにたくさん直面した」という。

 岡部医師は、「私は何々宗です。といって患者さんのところに行くのではなく、臨床宗教家ですけれども、うかがっていいでしょうかと言ったら、かなりの人が来てくれというだろう」という確信のもと、多くの宗教者に会い、臨床宗教師の実現に向けて動き始めたのだそうだ。

 そんな折、岡部医師に胃がんが見つかり、余命10ヶ月と宣告される。「その時、今まで緩和ケアをやって他人のことをいっぱい看取ってきたのに、自分が死んでいくのに、ちょっと準備不足だ、という感じをかなり強く受けた。」のだという。それはどういうことかといえば、「死の世界が闇であり、まるっきり見えていない。その中に降りていく道しるべも何もない状態に自分を晒しちゃっている。」と語る。臨床宗教師の未来を次の世代に託したいという岡部医師の思いが呼び寄せたのは、震災ボランティアで知り合った若き僧侶、悦堂さんだったというわけだ。岡部医師は、悦堂さんに「お前は人間が死に行く姿を見たことがあるのか」と問うたそうだ。「ありません。」と悦堂さん。岡部医師から、「僧侶というのは、それじゃダメなんだ。お前は俺の死を観察しろ」と言われたのが最初だったという。そして岡部医師は、悦堂さんを自宅に泊まらせ、少しづつ弱っていく自分の姿を見つめさせた。「どんどん痩せていき、目はうつろで、どこを向いているかわからない状態となっていく。聡明で、弁舌巧みだった先生がもう話せなくなり、動けなくなり、枯れ木のような姿になっていくのを、そばで見ているしかない。まだまだやり足りないことがあったでしょうが、諦めや、後進に託す気持ちはすでにできていただろう。」と悦堂さん。刻々と迫りくる最期の時、岡部医師と容堂さんの間には、静かで穏やかな時が流れ続けたという。

 悦堂さんは、岡部医師の志を継いで今なお臨床宗教師の姿を模索し続ける。

 悦堂さんが向き合うのは、余命を告げられた患者だけではない。今度訪問するのは、48歳の男性。この人は、30代で神経性の病気を発症し、首から下がマヒして動かすことができない。10年以上寝たきりの状態だという。口で操作できるコンピュータで、大半の時間をインターネットや、メールをして過ごしている。子供は22歳を筆頭に3人いる。今は妻と両親が生活を支えている。妻は夫の介護と子育てを続けて10年あまり。その疲れはピークに達している。この男性は妻に休んでもらうため一時的な入院を決断する。しかし慣れない環境に行くことが不安でならない。入院中、この男性を支えてほしいと医療スタッフから依頼された。「今のままだとみんな共倒れになってしまう」と。

 悦堂さんは入院したこの男性を訪問。すると自宅を離れて改めて病気になった当時の気持ちを語り出した。「家族を食わせられないというのが、辛かった」と男性。当然、自分の代わりに妻が働きに出るようになる。いずれ妻がどこかにいなくなるんじゃないかと思ったという。しかし今でもしっかりいてくれる。それだけでいいと。また「手足が動かせず、人口呼吸器をつけて、これで生きているといっても…。」と嘆く。男性は自身の献体の話もしたが、両親が絶対反対だったという。自分が生かしてもらったので、世の中に恩返しができたらいいと思ったのだったが…。悦堂さんは、自分が同じ立場であれば、個人の思いとしては協力したい。しかしたとえば両親だけでも生きていてほしいと言ってくれるのであれば、植物状態でもいいから生かしておいてほしいという率直な考えを伝え、続けて、最近思うのは、「自分の命は誰のものなの?」という。世の中には自分以上に自分の命のことを考えてくれている人がいたりするのだと男性に語りかけた。

 悦堂さんは訪問を終えた感想として、この男性の状況は、本人にしかわからない気持ちや体験のはずであって、それを自分の中の言葉で返すことの限界を感じるとこぼした。

 今まで、臨床宗教師講座を修了した宗教者はおよそ80人だという。その中には死と向き合った自分自身の経験を活かしたいと参加した人もいた。岐阜県のある僧侶。がんを患ったのは6年前。自分の経験を患者と共有し、向き合いたいと考えていた。実習の日、向かった先は、乳がんを患って骨にも転移したという婦人。余命宣告された日は、はや過ぎている。かなり前向きな姿勢の人で、死ぬのは怖いけど、今日一日一日を充実した日として送って、ものすごく幸せだと感じていると語る。しかし初めての訪問とあって、なかなか話しがかみ合わなかった。

 実習を終えた感想として、「(患者の話しを)聴くということは、ある意味こちらの生きる姿勢が丸ごと問われると思う」と僧侶。

 もう一人悦堂さんが担当した患者。この人は、膀胱がんの治療を続けていたが、最近末期の胃がんが見つかった男性75歳。1年も通院していながら、なぜ早期に発見できなかったのかという医療不信、怒りを感じているという。日頃「俺は捨てられた人間で、死ぬだけだ」とぼやいているのだそうだ。余命数ヶ月だが、本人は知らず、家族にしか伝えられていない。治りたいという気持ちが強いという。自動車整備工だったこの男性は、45歳で独立し、30年間工場を経営してきたそうだ。見るからに頑固そうで、やはりふてくされ気味の様子。それでも自ら手を加えた自慢のバイクの写真を見せ始めると顔が綻びだす。バイクは、サイドカー付きで、6気筒、1500ccだという。後部シートにこやかな奥さんが同乗している。連れ添って50年になるという。人生を振り返って、周りの仲間が応援してくれたこと、妻に苦労かけたことに感謝の意を口にし、今奥さんに迷惑かけていることが辛いのだと涙する。交友関係が広く、しょっちゅう友達がたずねてくるのが常だったが、最近男性の身の上を知ってか、ぱったりと止んだことが寂しいのだそうだ。

 この男性も悦堂さんの2度目の訪問から10日後に息を引き取った。

 自分の仕事に誇りをもってやってきたと熱く語るこの男性に、自分もここまで覚悟をもって僧侶として取り組めたらとこぼし、(患者に)学ばせていただくことばかりだと悦堂さん。

 限られた命と向きあう臨床宗教師。その数80人とは、知る人ぞ知るという存在だろう。しかし岡部医師がいうように、患者はそれを求めている。「死」に対する感性は、これまでの人生観、病気に至った経緯など人それぞれだが、ともかくもニーズがあるのだ。宗教者たる者は、利害損得を超えて手を取り合い、こういう現場にこそ、宗教者冥利につきるライフワークがあるとして力を注いでもらいたいと思うのだ。