映画「ゼロ・グラビティ3D」を観る | 世日クラブじょーほー局

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ゼロ・グラビティ ブルーレイ&DVDセット(初回限定生産)2枚組 [Blu-ray]/ワーナー・ホーム・ビデオ

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「グラビティ」とは重力のこと。それがゼロとは、すなわち無重力という意味。無重力と聞けば、何か神秘的で、あるいは愉快なイメージもあるのだが、実際には、実にやっかい極まる世界であることを本作を通じてこれでもかと思い知らされる。

 ストーリーはいたってシンプルだ。ロシアが自国の衛星を破壊。その破片が、スペースシャトルで船外活動をしていたライアン博士らにデブリとなって襲いかかる。果たして、このトラブルを切り抜けて地球へ無事帰還できるのか?というもの。広大無辺な宇宙空間が舞台だが、エイリアンが出てきて攻撃されるわけではないし、国家の陰謀に巻き込まれるとか、そういうのもない。何せキャストは基本的に、サンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーの二人だけ。極限まで無駄を削ぎ落として、情報をフォーカスさせている。しかし、そこに埋め込まれたメッセージは、あまりに壮麗で、シビアで、圧倒的だ。全編にわたってスクリーンに広がる目にも鮮やかな映像美は、鑑賞者を宇宙空間にいざない、主人公の息づかいまで共有させてくれる。神々しいばかりに碧く輝く地球と宇宙の漆黒の闇、生と死、希望と絶望…コントラストの妙味が次々と展開していく。

 月並みだが、宇宙から見たわが地球のなんと美しいことか。それは息を呑むほど。まるで心が浄化され、自分が再生されていくかのよう。つい映画であることを忘れ、いつまでも見ていたい思いに駆られた。まさに奇跡の惑星だ。思えば人間は宇宙にロマンを求め、いつしか大気圏を飛び出して、宇宙空間への旅を可能にしたが、人間が宇宙から地球を俯瞰することによって始めて得る感動と喜びの美的感性が、予め備えられていたかのようだ。翻って地上に降り立ってみれば、この地球の主人ヅラした人間の醜さよ。争いが絶えず、不和が絶えず、嘘、偽りが絶えない。人間とはなんとちっぽけで、性懲りもない存在か。全人類よ、この美しい地球を見よ。全生命の根源たるわれらが母なるこの地球は、モノ言わず一日も欠くことなく輝き続け、全生命体を育みつつ、46億年の歴史を紡いできた。そして、これからも永遠に輝き続けるだろうし、またそうさせねばならない。人間はこの地球の主人なのだ。それだけでいいではないか。あと何が要るというのか。

 私たちは現在、朝起きて、夜床に就くまで夥しい情報にさらされる。スマホやタブレットは常時手放せない(オレ持ってないけど)。しかしふと気づかないか。いつしか、本来持つ感性を鈍らせてはいまいかと。試みに、外界からの情報を一切遮断して、宇宙空間に浮かび、ひとり地球と向き合い、そして自らの命と向き合う。心静かに目を閉じ、自らを無の境地へと昇華させたとき、普段聞きなれたなんでもない犬の鳴き声が、また赤ん坊の笑い声が、眩しいほどの命の輝きとして自分に迫ってきて、感動と感謝に満ち溢れ、自分が「生かされている」実感に咽び泣く。‘危ない’だろうか?本作を観れば必ず腑に落ちる。

 主人公ライアン博士役のサンドラ・ブロックの演技は、実に素晴らしかったですが、その引き立て役であるベテラン宇宙飛行士マットを演じたジョージ・クルーニーの自然体の演技も光った。一見すると彼は、空気を読めない“翔んだポジティブ野郎”としか思えない存在なのですが、宇宙空間に投げ出されたライアンを救出に向かい、互いの体を一本のロープで繋ぐ。そこで地上ならば、他愛もないだろう会話のやりとりがなされる。彼らはこんな素性さえ互いに知らずに、チームとしてシャトルに乗り込んだのかと不思議に思う。しかしそれは、実に命のやりとりであり、そのひと言ひと言に、互いの全神経と全細胞がほとばしる。二人が装着した宇宙服を一枚隔てたその空間は、死と闇の世界。そこに可憐というべき二人の命が浮かんで、巨大な宇宙の法則に翻弄される。このシリアスな事態に、マットは一寸も動じずライアンに微笑みかける。このシーンに圧倒され、吸い込まれた。

 そしてマットは、この言葉を放つ。「生きて帰還せよ!これは命令だ!!」

 圧倒的な映像と、そこに埋め込まれた荘厳なるメッセージ。
アルフォンソ・キュアロン監督に脱帽。ぜひ3Dでご鑑賞あれ!

(出演)
サンドラ・ブロック、ジョージ・クルーニー
(監督)アルフォンソ・キュアロン