アベノミクスから、今度こそ“戦後レジームの脱却”へ | 世日クラブじょーほー局

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 安倍政権の経済政策=アベノミクスは、具体的な政策の執行を前に、早くも株式市場や為替相場が急反応し、国民にも好感されている。先ごろ、13兆円規模の補正予算を含む総額20兆円の緊急経済対策も打ち出された。この矢継ぎ早の経済政策の表明は、デフレ脱却への政府の強固な意志を内外に示すものだろう。しかし、日銀にさらなる金融緩和と2%のインフレターゲットを迫り、これみよがしに日銀法改正をちらつかせるなど、日銀への強行姿勢にはちょっと首を傾げる。
 
 「流動性の罠」に陥った日本経済にあっては、日銀だけに効果的な役回りを期待するのは無理であり、だからこそ自民党はすでに「国土強靭化基本法案」を策定しており、アベノミクスの3本の矢も機動的財政政策と成長戦略がパッケージとなっているんだろう。

 デフレ下のインタゲ政策は例がなく、インフレを起こしてからコントロール可能かもわからない。声高な日銀悪玉論はいただけないし、真意がよくわからないが、国中に蔓延したデフレマインドを一点突破から一気に払拭したい思惑なのだろう。事あるごとに日銀をヤリ玉に挙げる安倍首相に対して、麻生財務金融相は抑制的である。

 一方、マクロ政策の司令塔である「経済財政諮問会議」が復権を果たし、その民間議員は“やっぱり”という顔ぶれだ。そしてミクロ政策を担う「日本経済再生本部」のもとに、「産業競争力会議」が設置されているが、そこには、竹中平蔵氏がメンバーに選ばれている。当初、竹中氏は、「経済財政諮問会議」の民間議員に選ばれる案だったようだが、麻生氏が蹴ったという。(読売新聞1月10付「スキャナー」)

 アベノミクスの「機動的な財政政策」に対して、記者会見の場で「またバラマキ型の公共事業を打つのか?」の問いに、安倍首相は「古い自民党からは脱皮した」と反論したが、その「古い自民党」って小泉政権も含めた意味なのだろうか?庶民ウケを狙ったモノ言いは止めるべきだ。

 確かに、従来「景気対策」といえば、「公共事業」の積み増し、「公共事業」と言えば、「豪勢なハコモノ」の建設や「誰も通らない道路」の整備という短絡的なイメージが出来上がって、これこそ自民党政権の悪しき利益誘導型政治の象徴であり、その実、大した効果もなく、野放図に財政赤字を垂れ流してきたのだというわけだ。しかし

「日本経済が大恐慌に陥らずなんとかやってこれたのは、政府の財政支出が、企業の行動の変化によって生じた民間のデフレギャップを毎年埋めてきたからである」〔リチャード・クー著「デフレとバランスシート不況の経済学」(徳間書店)〕

 という指摘を見逃すべきでなく、逆に、このことをよく咀嚼して、国民を説き伏せてこそ、迎合政治を脱するものだろう。クー氏の「バランスシート不況」理論が正しいとすれば、この間、サプライサイド改革に血道を上げた橋本政権、小泉政権とそれを継いだ第一次安倍政権が、いかにトンチンカンだったかということになるが、現出した状況をつぶさに見れば、思い半ばにすぎるというもの。

 さて、安倍内閣は、安倍氏自信のリベンジ(本来「復讐」という意味なので。「再チャレンジ」といいたいところだが、すでにこの意も含んで使われているので、使っちゃう)であるとともに、麻生氏のリベンジでもある。

 自民党が下野する直接の引き金を引いたのは、麻生氏だった。その原因ははっきりしている。当然ながら、たまたま漢字の読みを間違えたことではないし、そんなちゃちな揚げ足取りはすべきでない。(それにしても<未曾有:みぞゆう>はないな)

 もともと麻生氏は、保守派からの期待が大きかった。しかし、実際首相の地位についてやったのは、「アパ論文」をめぐる田母神航空幕僚長の罷免、日教組批判の発言をした中山成彬国交大臣のいらぬ辞任、「かんぽの宿」の入札をめぐる鳩山総務相の事実上の更迭などなど、期待した側は、失望を余儀なくされた。 

 そして歴史的政権交代となり、以来、3年3ヶ月間、野党の冷や飯を共にしながら、安倍氏と麻生氏は思いを共有したことだろう。安倍氏が、元来ケインジアンである麻生氏を財務金融担当大臣であるとともに、副総理として入閣させたことにも窺える。「お友達内閣」と揶揄された前回の轍を踏むまいと、バランス重視と重厚感のために、本人含め総理総裁経験者二人と、野党時代を切り盛りした労に報いる面もあろうが、谷垣前総裁を入閣させた。しかし、安倍氏の本領は憲法改正を頂点とする“「戦後レジーム」からの脱却”であり、これこそ麻生氏の悲願でもあるはずだ。

 ところで、米国の「財政の崖」からの転落はなんとか回避されたが、ここには現実的な政策論争もさりながら、その深部で抜き差しならないイデオロギー対立が存在している。ノーベル経済学者のポール・クルーグマン著「さっさと不況を終わらせろ」(早川書房)の眼目は、要するに、倦まずたゆまず「ケインズ政策」を遂行せよということだろう。

「支出はその目的を問わず、需要を作り出す」

 として、米国が先の大戦に突入していく過程での軍事支出により、不況を脱したことなどを例に、その有効性を再三述べる。しかし、本書巻末の山形浩生氏の解説によれば、以前はクルーグマンも財政政策には消極的だったらしい。彼でさえ、紆余曲折を経て、こんにちの主張に至っているのだという。さて、本書で興味深かったのは、「ケインズ恐怖症」という項にこうある。

 「2005年には右翼雑誌『ヒューマンイベンツ』が19世紀と20世紀で最も有害な十大図書を選んだが、ケインズの『一般理論』は『わが闘争』や『資本論』と肩をならべている」なぜなら、「ケインズ経済学が主張する政府介入は慎ましい限定的なものだけれど、保守派はそれを許せばすぐに母屋まで取られかねないと思ってしまうのだ」と。

 そして、

 「ケインズ主義を中央計画経済や、過激な再配分といしょくたにするレトリックは右派ではほとんど普遍的なものだし、それはもっと物知りであるべき経済学者ですら、例外でない」

 とまで言うのだ。クルーグマン氏自身が、リベラル派を自任し、本書もかなり党派的であり、随所で共和党をこきおろしてもいるが、それはそうと、上記の指摘はなるほどと思えた。

 前出リチャード・クー氏は、いわゆるマネタリストの限界と、ケインズ理論に欠落していた議論を「バランスシート不況論」によって解き明かし、バブル崩壊後の国家のあるべき経済政策を見事に指し示した。この議論を嗤う者もいるが、ならば説得力ある代案と実績を示してほしい。不毛なイデオロギー対立によって、国民生活が脅かされる事態はもうやめよう。

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