映画「ドラゴン・タトゥーの女」を観る | 世日クラブじょーほー局

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ドラゴン・タトゥーの女 [DVD]/ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

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 デビッド・フィンチャー監督、ダニエル・クレイグ主演というところで、当方の食指が動いた。原作は、スウェーデンの作家スティーグ・ラーソンの世界的ベストセラー「ミレニアム」シリーズ3部作の第一弾。ラーソンは、ビッグネームとなった自身の成功を知ることなく、50歳で世を去ったそうだ。当方は、原作はおろか、予備知識もないままに劇場へ足を運んだ。

 作品の舞台は、北欧スウェーデン。この国の漠としたイメージのほかは、あまり馴染みがない。まず本編前のオープニングのイメージ映像が、バックに流れる激しいロック(ツェッペリンの「移民の歌」のカヴァーだそう)とともに、強烈な威圧感と異様さを感じさせる。

 物語は、スウェーデンを代表する資産家一族の中で、将来を嘱望された才気煥発な少女が、40年前に失踪したまま、事件は迷宮入り。その事件の解明のために、気鋭のジャーナリストに白羽の矢が立つという具合だが、何せ登場人物がやたら多く、またその人間関係が複雑ときているうえに、シーン展開の速さも相俟って、俄にはストーリーが飲み込めない。劇中、主役であるダニエル・クレイグ扮するミカエルが、事件調査の依頼者である一族の長老から説明を受けて、「もう誰が誰だか…」と嘆くほどだ。

 しかし一体、この作品で、フィンチャーが訴えたかったメッセージとは何だろう。原作に忠実な作品だというので、それはそのまま原作者ラーソンのメッセージとなろうが、とにかくよくわからない。

 北欧の裕福な社会民主国家スウェーデンの意外な暗部を晒してみせることだったのか。高級誌のジャーナリストとして経済界や政界の不正を暴くことに情熱を傾ける主人公のミカエルは、実際のラーソン自身を投影したのだそう。

 今回主役のダニエル・クレイグは、これまでの役どころのような超人的なヒーローでなく、平凡かつ地味な中年キャラクターを違和感なくこなしていてよかった。彼はやはりいい俳優だ。普段は、研ぎ澄まされたハガネのような肉体美を誇るが、本作の役作りのためにその肉体に炭水化物を解禁し、ウェイトアップしたのだそう。

 しかし、このミカエルというキャラクターは、正義漢ではあるが、我々が通常期待するような紳士では決してなく、ある面ではむしろ俗人中の俗人だ。劇中では何せ彼の不倫を含め、これでもかと執拗なまでに激しいセックスシーンやレイプシーンが随所に出てくる。局部にモザイクを施してまで幾多のそのカットを挿入しなければならなかったのは、むろん作品の性質上、人間の本能の赤裸々な様を写し撮る必要もあったろうが、やはり原作に忠実だったということか。

 雪と氷に閉ざされ、住民は一様に第一次産業に従事し、静かでゆっくりとした時間が流れていくというような北欧スウェーデンに対する漠たるイメージを容赦なく覆す、ニューヨークかと見紛うほどの近代ハイテク都市としての顔。そしてそこに巣くう底なしの欲望と異常犯罪の実態をラーソンは、浮かび上がらせたかったのか。

 タイトルが示すもう一人の主役である、ミカエルの助手として雇われるドラゴンタトゥーの女、ルーニー・マーラ扮するリスベットの強烈さ(生い立ち、容姿、超人的能力、ライフスタイルetc.)にそれは端的に表れていよう。この全く不釣合いで両極端な二人のコンビ(唯一の共通点はワーカホリックなところくらいか)の活躍が、世界中から喝采を持って迎えられたのだった。言いたかったのはこれか。巨悪と闘うにおいて、遠慮会釈なくタブーを打ち破ってみせますよと。

 ラストにオチが控えているが、全体として、とにかく強烈で、しんどい映画。その中で、ミカエルの娘が、高校か大学かの入学が決まり、父親を訪ねてきて食事をともにするシーンがあったが、最近カトリックの信仰を持ち始めたとして、食前の黙祷を捧げる娘に、ミカエルが心ならずも付き合って一緒に目を閉じるシーンが、唯一妙に、安堵感を与えてくれた。

出演)
ダニエル・クレイグ、ルーニー・マーラ、クリストファー・プラマー、ステラン・スカーシュゴード、スティーヴン・バーコフ、ロビン・ライト、ヨリック・ヴァン・ヴァーヘニンゲン、ジョエリー・リチャードソン、ほか
(監督)デヴィッド・フィンチャー