中野剛志著「国力とは何か」(講談社現代新書)を読む | 世日クラブじょーほー局

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国力とは何か―経済ナショナリズムの理論と政策 (講談社現代新書)/中野 剛志

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 本書は経済書に分類されようが、冒頭の序において、今般の東日本大震災に際し、天皇陛下が発せられたビデオメッセージの内容を紹介しており、好感が持てる。

 著者の中野剛志氏は、TPP反対の急先鋒として、一躍その名がメジャー入りを果たしました。1971年生まれの40歳。こういう若い論客が、国策に関する議論をリードすることは頼もしいかぎり。経歴も東大卒後、英エジンバラ大、経産省課長補佐を経て、現在、京都大学大学院准教授という異彩ぶり。話しぶりに少なからぬチャラさが残るが、経済論客の将来の有望株。

 さて、本書のメインテーマが「経済ナショナリズム」。この用語は、1929年のウォール街の株価大暴落に始まる世界大恐慌と、各国の保護主義に基づくブロック経済化が先の大戦を誘引したことを彷彿とさせ、どうもキナ臭く聞こえる。しかしこれは排外主義を常とするものでなく、ただ国民国家を土台とし、あくまで、国力増進を大目的とするプラグマティックなイデオロギーだそう。

 それに対して、今日の経済学の主流派が、「経済自由主義」。これは「自由市場こそが、経済厚生を増大する最良の手段である」とする。その代表がいわゆる新古典派。またこの「経済自由主義」において、「『国家』は中立的で、市場にできるだけ介入すべきでない存在として扱われている」のであり、また「経済現象を合理的な個人に還元して分析しよう」とし、「『国民』という概念をもたない」のだという。それ故にボーダーレスを叫び、経済のグローバル化を推し進めてきた、あらためてそうなのかと思う。

 自由主義が英米系の保守主義に淵源をもち、そのまま保守主義は必然的に経済自由主義を要求すると認識しがちで、国家の積極的コミットの役割をとく、ケインズ主義は、社会主義なりと切って捨てられてきた。自由主義社会に身をおく立場として、また、ソ連を頂点とする共産主義の失敗を目の当たりにして、自由主義が正義で、社会主義的あるいは共産主義的であることを忌避する冷戦時代のままの理解があり、これがかつての小泉構造改革を真に理解する妨げとなったように思う。

 しかし今日、明らかに経済自由主義が行きづまりを見せた。そして今まで陽の目を見なかった「ケインズの復権」が要求されているということ。主流派経済学に拘泥する限り、解決の糸口は見出せない。

 そして、中野氏は、「経済ナショナリズム」に裏打ちされた国民国家であってこそ、ケインズ政策を有効に実行することができるとして、オランダ、ベルギー、スイスなどの西ヨーロッパの小規模な社会民主国家をあげ、

国際経済の変化と圧力に柔軟に適応することを可能にする国内経済政策とは、自由放任ではなく、国家介入と社会民主主義であったのだ

と説く。

 わが国の財政当局は、インフレに対する危機意識は強いが、デフレに関しては鈍い感性しか持っていないように見受ける。現在の日本経済は、デフレ不況だという。デフレとは供給過剰から物価が低下し続ける現象。供給と需要のギャップ=デフレギャップを埋めるためには政府による積極的な財政政策が有効。

 そこで財政問題をどう理解するかが鍵になってくる。わが国の国債発行残高のGDP比率がギリシャよりも悪いとして、近い将来の国家財政破綻の危機が叫ばれるが、実際に破綻したギリシャとわが国は全く違う。わが国の既発行国債の9割以上は内債であり、一般家計は1400兆円の預貯金を有し、かつまた対外純資産の額は、240兆を超えるという(09年時点)。そして長期金利は、低い水準で推移している。すなわち今は財政再建の時でなく、デフレ脱却のために、思い切った財政出動こそ必要である。(このへんの内容は、本書とともに、前掲藤井聡著「公共事業が日本を救う」「日本強靭化論」参照のこと)

 中野氏は、国家の財政状態が適切であるか否かの判断は、債務の絶対額ではなく、国家財政が国民経済にどのような影響を及ぼし、どのように「機能」しているかを基準とすべきとして、アバ・ラーナーの「機能的財政論」を紹介している。それは、政府の財政活動(課税、国債発行、政府支出、資産売却など)をあくまで民間のマネーの保有量の調整手段と考える。また「財主金従」という立場である。

 さらに、ポーランドの学者ミハウ・カレツキの

財界が政府支出の拡大を嫌がる理由のひとつは、積極財政による完全雇用の達成が労働者の政治的・社会的地位を上昇させるからだ」を引き、

公共投資の拡大で、失業率が下がり、賃金が上昇すると企業の国際競争力は低下するからである」と解説。

加えて「グローバル化した企業と投資家はデフレ不況を好む」という。

 さて、その財界の後押しによって、野田首相は、蛮勇をもって、TPP交渉参加を表明した。確かに鳩山、菅政権の失政が悔やまれるにせよ、アメリカに足下見られて、「はいそうですか」というわけにはいかない。TPPをダシにした日米同盟の深化など下策中の下策でしょう。日本は、国際政治について、あまりにナイーブすぎないか。現在米国債保有高世界一は、中国だ。これだけでも、米国は中国に対して、正面きってモノ言えないだろう。オバマの輸出倍増計画のターゲットはズバリというか、日本しかなかろうに。その他8ヶ国が束になっても、日本1国のGDPの半分に満たない。ニクソンショックを持ち出すまでもなく、国際政治は、もっとリアルで、ギラギラした国益のぶつかり合いだと知るべきだ。

 菅首相が発した「平成の開国」とは、これまでのわが国の先人たちの努力を愚弄する言葉だろう。なんとなれば、わが国の関税の全品目の平均は、世界で下から5番目の低さという。農産物に関しては、米などは、確かに高い関税がかかるが、アメリカよりは高いとしても、これも平均すれば、EUや韓国よりも低く、世界でもかなり低い順に位置する。だからこそこれまで、自由貿易を守るため、WTO交渉等を通じ、ここまで関税を引き下げ、営々とその地位を築いてきたのではなかったか。それを何を今さら「自由貿易を守れ」だか。わが国はなぜこうも卑屈で、自虐的か。

 2年前の政権交代は、小泉政治の否定が、一つの旗印だったはずだが、現”どぜう政権”は、消費税率アップの国際公約など増税&財政再建路線、TPP推進など対米追従路線、女性宮家の創設のための政府の勉強会=皇室解体などまるで、小泉政権の引き写しではないか。増税反対派や、TPP反対派を「抵抗勢力」とイメージさせる戦略もウリ二つだ。このどぜう政権は、どうやらというか、やっぱりというべきか、反日政権という生ぬるい表現では足りない、日本解体推進政権といえる。読売新聞12月2日付トップには、「首相 女性宮家の検討加速」とある。皇統護持、皇室の安寧のためには、旧皇族の皇籍復帰しかない。女性、女系天皇に道を開く、女性宮家など愚の骨頂。(女性宮家については、前掲中川八洋著「小林よしのり『新天皇論』の禍毒」、渡部昇一、中川八洋共著「皇室消滅」など参照のこと)

 今や民主党のマニフェストは破綻し、政権交代の名分は、完全に失われた。現どぜう政権には、即時解散総選挙を要求したい。