戦国チラシ起業セミナー※現在配信停止中です。復活をお待ちください! -2ページ目

生涯無傷の知勇の将  其の② 本多平八郎忠勝  二

元亀元年(1570年)の姉川の戦いにおいて、単騎駆けにて約1万の朝倉勢に対して正面突破を試みた時には、さすがのわしも命はないとの覚悟だったが・・


殿(家康)は


『平八郎を捨石のように死なせては成らぬ!なんとしても助けよ!』


と、榊原康政に命じて下さった。


殿の命にて横手より進軍してきた康政とわしに挟まれた朝倉勢が逃げ場を失い混乱をきした為、敵方の指揮をとっていた猛将真柄直隆とわしは一騎打ちをすることが出来た。


これにより戦後に信長殿より


『日本の張飛』


との誉め言葉を頂いた時は気恥ずかしさを感じたものだった。


この信長殿の誉め言葉と、その後の一言坂の戦いで武田方の馬場美濃守の軍から撤退する際に殿軍を引き受けたことで得た


『家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八』


なる狂歌が、後にも単騎がけを行うわしの命を救うことになるとはその時には思わなんだ。


それは小牧長久手の戦で僅かの手勢で進軍して秀吉殿を挑発した時のことだった。


わしは命を捨てて秀吉軍の足止めをする覚悟でいた。


事実、秀吉軍の若き猛将である福島正則や加藤清正らは、わしの首を取る為の許可を秀吉殿に求めていたそうだ。


しかしその時の秀吉殿は前に述べた信長殿や武田軍からの、わしへの評価を聞き及んでいて


『わざと寡兵で大軍に勇を示すのは、我が軍を暫時喰い止めて家康の軍を遠ざけるためであろう。徳川家を滅ぼした際には、彼を生け捕ってわしが家臣に致す。決してその方らは手出しをすることをゆるさん』


と、わしの討ち取りを禁じたという。


このようにわしは、確かに他の者より武勇に優れておったかもしれんが、それ以上に周りからの評価によって生涯無傷にて戦場を駆け抜けることが出来たと思うておる。


この猛将という評価は時に主君である徳川家康の考えさえも変えさせたと思うている。


わしの娘婿にあたる真田信之と共に、関ヶ原の戦い後に徳川に楯突いた信之の父である真田昌幸と弟の真田信繁(幸村)の命乞いをした際には、殿の怒りは凄まじくまったく助命の嘆願は聞き入れられなかったものだ。


そこでわしは


『この願いがお聞き入れ頂けなくば、某は殿と一戦致す覚悟にござる』


と、言ってやったわい・・


すると殿は本心とは思っておらなんだろうが、わしとの戦では命がいくつあっても足らんと助命をお聞き入れくださったものだ。


まあ殿の件は冗談としても、戦の無い世を我が殿である家康が作り出した今では、この本多平八郎忠勝は武勇という評価の鎧をまとわぬ身ゆえに、小刀一本の手慰みで簡単に傷ついて血を流しおるわ・・


こんな、もの想い忠勝がふけったかどうかは解りませんが、実際に小さな小刀による自傷の傷が忠勝の生涯で初の外傷と言われており、それからしばらくして徳川四天王として、泰平の世を家康に築かせた猛将本多平八郎忠勝は亡くなったのでした。



にほんブログ村 企業ブログへ にほんブログ村 企業ブログ その他サービス業へ にほんブログ村 ベンチャーブログへ

にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ ブログランキング・にほんブログ村へ

生涯無傷の知勇の将  其の② 本多平八郎忠勝  一

戦国時代に戦の最前線に立ちながら生涯無傷を通した武将・・今回は本多平八郎忠勝のお話です。


本多忠勝は、其の①でご紹介した馬場美濃守信春を凌ぐ知名度があるので、戦国ファンであれば今更ご紹介するまでもない武将と言えるかも知れません。


そこで今回は彼の生涯を、忠勝自身の気持ちになってご紹介してみようと思います。




老齢の域に達していた本多平八郎忠勝は、彫り物をしていた手元が狂ってしまい持っていた小刀で指を傷つけてしまった。


傷ついた自らの指より流れ出る赤い血を観ながら・・


(わしの身体もやはり人の物であったか・・傷を負えば血が流れ出るものだな・・)


そんな当たり前のことに僅かではあるが感動している自分にフッと笑みを浮かべると、自身の身に傷一つ負うことのなかった人生を振り返りだした。


幼少の頃のわしは誠に一本気であったなぁ~・・


『おいらの名前は鍋之助!親父は松平の殿様に仕える本多忠高だ。おいらも父ちゃんのように強い武士になるんだ!』


幼い頃のわしは、父上に強い憧れを抱いていたものだ。


しかし今思えば人の世は無常なものであると知らされるはずの父の死さえも、戦国の世を生き抜く為の強さを得る切欠としていた気がするわ。


織田家と松平家・今川家の西三河における勢力争いによっておこった安城合戦で親父殿である忠高を失った際には気が高ぶり、今は感じる無常の思いも気付くことはなかったように思う。


『ちくしょう!何で父ちゃんは死んじまったんだ!おいらは絶対に戦なんかで死なないぞ』


そう心に誓ったわしは、兵法を習う為に妙源寺の和尚の下に通い孫子の兵法を学んだ。


幼いながらも親父殿の命を奪った戦というものが、どのような物であったかを孫子の兵法書により学んで自信をつけていたわしは、その時期に駿府の今川家に人質として送られることになっていた父の代より仕える松平の若殿元康様(後の家康)の側小姓に立候補して共に駿府へ人質として送られた。


『この鍋之助が側にいて殿様を守ってやるから安心しろよ』


自分より年上の殿である元康様に対しても生意気な口を利いていたものだ。


けれども、そんなわしのことを元康様は頼もしく感じて下さっておった。


人質生活の中で元服を迎えたわしに


『鍋之助よ、お前はその勝気な性格なら戦に出ても負知らずであろう。まさに、ただ勝つのみだ。よってこれより本多平八郎ただ勝つと名乗れ』


と忌み名を授けて下さった。


『ただ勝つかぁ~。うん!気に入りました。殿!この名に恥じぬ活躍をしますぞ』


その名に恥じぬようにと初陣の際には殿の馬前で馬印を掲げて出陣したことが、つい昨日のように思い起こされるわ。


その後も『ただ勝つのみ』の気持ちで元康様の側で戦に明け暮れたが、この頃のわしは鹿角脇立兜(かづのわきだてかぶと)に身を包み、愛槍として蜻蛉切を手にするなど、まさに怖い物知らずであった。


けれど、そんなわしとて人の子である、ある時にいつものように戦場にて『愛馬である三国黒』にまたがり槍を繰り出していた際に、討ち取った雑兵の中にまだ童の顔があることに気付いて闘志が衰えたこともあった。


この時よりわしは自らの手で討ち取った敵の供養にと大数珠を下げて戦場に赴く事とした。                                      つづく


にほんブログ村 企業ブログへ にほんブログ村 企業ブログ その他サービス業へ にほんブログ村 ベンチャーブログへ

にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ ブログランキング・にほんブログ村へ

何故にどうぶつ?

以前にも書きましたがチョコクッキーの類に今もまだハマっています。


99イチバで売っている『あっ!おやつ発見』というB級スナックシリーズのチョコビスケットが今のお気に入りです。


これが中々馬鹿に出来なくて、素朴な味で美味しいのですが・・・


味や商品の質とは関係無く、さすが100円の商品と思わせるチープ感をかもし出しています。


その商品はこちら・・


青葉広告「戦国チラシ起業セミナー」



どうですか?


この動物の絵のクオリティは・・


ここまでして何故に動物のキャラにこだわるのでしょうか?


別に動物ビスケットでなくても良いのに・・・


繰り返しますが味はそこそこなのです。



にほんブログ村 企業ブログへ にほんブログ村 企業ブログ その他サービス業へ にほんブログ村 ベンチャーブログへ

にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ ブログランキング・にほんブログ村へ


1967年生まれの人は私と同級生?

言葉と言うものは活用される時代背景や状況で、多様な変化を繰り返すものだと認識をしています。


ただ、その変化を無条件で認めていくと、何が正しいのか解らなくなり無秩序になってしまうでしょう。


言語学者の金田一春彦先生は以前このブログでも紹介した「ら」抜き言葉を


『若者による言葉の進化』


として認めています。


私は金田一春彦先生のこの表現を用いるなら、言葉の変化には『進化』と『退化』があるということが言える気がしています。


そして『退化』している言葉使いの活用は控えるようにすべきだと感じます。


同級生という言葉があります。


これは同じ学級内で時を過ごしたクラスメートというのが本来の意味です。


しかし最近の人は、同学年の人を指して同級生と言ったりします。


平気でテレビタレント達がバラエティー番組の中で、初対面の同じ年生まれの人に対して


「同級生ですね」


と言っていたりします。


クラスメートであれば初対面のはずが無いのに、何をこの人は言っているんだろう?


と思いながら番組を観ることが多々あります。


『同級生』『同学年』『同窓生』『同年代』


それぞれにきちんとした意味があります。


棲み分けして活用できる正しい表現方法があるのですから、この言葉使いは間違っているだろうと思っていました。


ところが調べて見ると


同学年の者全てを含む意味として近年は使われる』


という表記の辞典、辞書が多数ありました。


これには本当に驚いてしましました。


同じ歳の人を括る表現方法を知らないというボキャブラリーの無い人達が増えて



『同学年』と似て非なる言葉である『同級生』


を代替で使う行為から生まれた言葉使いなのですから


これは言葉の退化といえるでしょう。




最近の若者言葉で


『ヤバイ』


というのがあります。


美味しい物を食べた後や感動をした時に『ヤバイ』と言った表現をするあれです。


これは『進化』でしょうか?


『退化』でしょうか?


無理やり進化と考えられなくもありませんが・・


『ヤバイくらいに美味しい』や『ヤバイくらいに感動した』


などの、言い回しを楽にする為に後ろを省略して『ヤバイ』の一言で表現していると考えれば


『言いやすい言葉へと進化した』


とも言えるでしょうが・・


けれども本来の『ヤバイ』の意味は


『危険な状況、危ない状況、不都合が生じる事態』


です。


ですから現在使われている


『最高、凄く良い』


との表現は真逆の意味として使われていることになります。


それ以前に元々が『ヤバイ』といった表現はあまり品の良い言葉ではなくてスラング的な言葉ですから、この言葉使いを公に認めるのは理解し難いと思うのは私だけでしょうか?


『起きた事』や『在る物』


を否定は出来ませんが言葉使いくらいは、それを良しとするか否かの基準くらいは持ち合わせないと無秩序になって行く気がしてなりません。



にほんブログ村 企業ブログへ にほんブログ村 企業ブログ その他サービス業へ にほんブログ村 ベンチャーブログへ

にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ ブログランキング・にほんブログ村へ

お店の経営は店長産業

店舗などを有して商売をする場合に成功するかどうかは、店舗の立地と運営業務をきちんと出来る人材がいるか?


といったことが大きなカギとなります。


では一般的この2点がどれだけ理解されて店舗ビジネスがおこなわれているでしょうか。


『店舗の立地』


については商圏における世帯数や事業所数、富裕層の比率、区画や交通の便による動線などが出店に際して考慮される重要項目ですから、余程の無理な出店計画を立てない限りクリアされているべき項目といえます。


無理な出店にでも構わず店舗を増やすといった企業認知度のUPを図る企業価値向上によるビジネスであれば別ですが・・


一方の


『店舗の運営業務をきちんと出来る人材がいるか?』


についてはどうでしょうか?


個人経営や数店舗のオーナーさんによる経営店の場合は、しっかりとした店舗運営が出来る店長と呼ばれる人材が切り盛りしているケースが見受けられます。


半面で多数の店舗を運営するチェーン店のような形態では店長の能力に左右されない運営マニュアルのような物があって、それに沿った宣伝、仕入れ、接客、スタッフの管理を行なえば一定レベルの運営が出来る仕組みになっています。


その為、ある意味では経営母体の社員が現場研修のような形で店長を持ち回りにおこなうケースも見受けられます。


確かに多店舗展開をおこなってきている企業の場合は膨大な量の過去における営業データーと経験値がある為、そのノウハウに沿う戦略を実戦することで結果を残すことが可能だといえます。


ですが商売は生き物であり、その都度においてエマージェンシー対応が販売現場では求められるのが実態です。


場合によってはマニュアル対応による弊害トラブルといったことが起こることもあります。


私は顧客の対応、店舗スタッフの管理、戦略の構築という物はノウハウでクリア出来ても、地域や店舗の運営スタイルとそれに準じた接客を通じての顧客との繋がり等といった人的要素が主になる部分は、店舗の現場で直に接していて生まれる物だと考えています。


マニュアルよる高度な戦略は確かに必要ですが、それをおこなうのは人だということです。


そしてそれは


『こうすれば、こうなる』


といった論理的な対応で、結果を出したりミスが改善出来るのは人的要素を必要としない業務だけであり、人が介在しておこなう業務にはヒューマンサクセスやヒューマンエラーが常に起こることを意味しています。


店舗ビジネスの中心にある物は、お客様と接客するスタッフという人で構築されています。


ですからそれを取りまとめて答えを出す立場の店長という人材の能力が結果に大きく影響すると考えています。


極端に言えば


『店舗ビジネスは店長産業』


だと思っています。


良い店舗物件や事業計画があり時流に乗って店舗展開しても、全ての店舗が成功する結果には中々なりません。


そこには人材(店長)が育たないと上手く行かないといった理由があるように思います。


店舗を運営していて事業の拡大をお考えの方には、人材の育成が追いつかない急な多店舗展開で企業認知度やイメージUPによる企業価値の構築へ向けたビジネスをするのか?


商売の拡張を軸として店長となる人材の育成をした後に、納得のいくクオリティーの店舗を作りたいのか?


方向性を決めてその後の出店をお考えになることをお勧めします。



にほんブログ村 企業ブログへ にほんブログ村 企業ブログ その他サービス業へ にほんブログ村 ベンチャーブログへ

にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ ブログランキング・にほんブログ村へ

生涯無傷の知勇の将 其の① 馬場美濃守信春

戦国時代にその名を馳せた武将達というのは、激しい戦に参加したことで大なり小なり皆、手傷を負っているものです。


しかし数ある戦に参加しながら、生涯において体に傷を負わなかったと言われる武将が2名います。


その人物とは徳川家康に幼少より仕えて、徳川四天王の一人に数えられた本多忠勝と、武田信玄の父、信虎の代より使え、信玄の息子、勝頼と武田三代に使えた馬場美濃守(馬場信春)です。


この両名に共通しているのは並外れた身体能力があったことは間違いありませんが、武勇だけでなく他の者達からの人望が厚く知略も優れていたということです。


まさに知勇を兼ね備えた武将だったのです。


少し前の記事で書いた、物事が見える能力(知)と出来る能力(実行力)を兼ね備えていたと言えるでしょう。


今回はまず馬場美濃守をご紹介したいと思います。


この馬場美濃守は元の名は教来石景政という名前で武田家に信玄の父、信虎の代より仕えていました。


しかしこの信虎は気性が荒く、決して名君ではありませんでした。


民、百姓を戦に明け暮れることで休ませることなく疲弊させ、領民より不満が募る政をしていたのです。


またある時には、自分に意見する家臣の加賀美虎光仕という人物を容赦なく手打ちにしてしまいました。


さらに、そのことを諌めようと意見した主要の重臣達、馬場、内藤、工藤、山県といった者達を皆、処刑してしまいます。


こういった信虎の横暴な性格を危惧して、今後の武田家の行く末を案じた重臣の板垣信方、甘利虎泰らと共に主君信虎の武田家追放計画を立ててそれを実行します。


こうして武田家は信虎から信玄へと代替わりをしたのでした。


その後、信玄の下で活躍をした教来石景政は、先の話で処刑されたことにより家名が断絶していた甲州武田家譜代の名門である馬場氏の名を告ぐように信玄に命じられて馬場民部少輔信房となります。


その後も戦の度に活躍をして、鬼美濃と恐れられていた先輩武将の原美濃守虎胤が亡くなると、この勇猛さにあやかれと美濃守の官位を譲り受けることになります。


そして現在伝えられる馬場美濃守信春という呼び名になりました。


この頃より信玄の信頼がさらに厚くなり、時には信玄に対して意見をするように(信玄に進言なんて・・笑)なっていました。


桶狭間の戦いで三国同盟を結んでいた駿河の今川義元が織田信長に討たれると、今川家は息子の氏真の代となりました。


この氏真が梵将と見るや信玄は同盟を解消して駿河へ侵攻しました。


その際に信玄は攻め滅ぼした今川氏真の館を探索させて今川家由来の宝物を奪い取るように家臣達に指示したのですが、いざ宝物を館より運び出そうとする者達に対して馬場美濃守は


「滅び行く敵の宝物を奪い取るのは野党のおこないと同じで恥知らずのすることだ」


と言って家臣達に強奪を止めさせて全ての宝物を、火をかけて燃え盛る館の中へ戻させました。


後になりこのことを聞いた信玄は、自分のした指示により危うく武田の名を汚すところであったと馬場美濃守の指示に感謝して


「さすに自分より七歳年長の武将だけあり深慮がある」


と語ったそうです。


このように信玄には信頼されていた馬場美濃守でしたが、信玄没後の勝頼に仕えた際には、偉大な父親であった信玄を超えようともがく勝頼にとっては、家臣である馬場美濃守の言葉が父親である信玄の意見に聞こえて心ならずも馬場美濃守の意見を聞き入れられないことが重なったといいます。


そして長篠の戦において、織田、徳川連合軍の鉄砲と柵を駆使した近代兵法の前に武田家は有能な家臣達がことごとく亡くなっていきます。


ついに戦場に武田軍が敗れ退却命令の法螺貝が吹き鳴らされました。


今までほぼ負け知らずに戦を進めてきた武田軍の古参の武将達は、初めて聞くこの撤退へ向けた支持の法螺貝の音色に無念の涙を流して退却を始めたといいます。


そんな中で馬場美濃守は反転して殿を勤めて他の者達の退却を助け、自らは織田軍の中へ突っ込んで行き戦死をします。


この後の武田家は滅亡することになりますが、生涯にわたって仕えてきた主家の滅亡を見ること無く散った馬場美濃守は幸せだったのかも知れません。



にほんブログ村 企業ブログへ にほんブログ村 企業ブログ その他サービス業へ にほんブログ村 ベンチャーブログへ

にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ ブログランキング・にほんブログ村へ

なにか変だぞ?と感じる決着

あれ?なにか変だぞ・・


朝青龍の引退表明で世間は大騒ぎ。


マスコミはこぞって最強横綱、朝青龍のこれまでを伝えていますが・・


『大相撲は、スポーツ、興業、伝統文化の三側面がある国技であり、その最高峰に位置する横綱には強さだけでなく品格が求められる』


結局この考え方が、まだ現役として相撲の取れる朝青龍を引退へと追い込んだ訳ですが・・・


品格とは程遠い


『やんちゃ』


な朝青龍を横綱にしておいて何を今更になって、品格うんぬんと言っているんだか・・・


品格を求められる程に崇高な世界なのに一方では興業芸能の世界にどっぷりのタニマチによる


『ごっちゃん体質』


が、まかり通っているのは品格のひの字も感じられないのでは?


そもそも大相撲って正式な国技では無いし・・・


しかも引退を自己申告したことで、本来暴行事件という不祥事を起こしてクビのはずが一億円クラスの慰労金まで貰うらしい・・







あれ?なにか変だぞ・・


小澤幹事長が不起訴となり世間は大騒ぎ。


マスコミはこぞって今後の民主党の対応を注目していますが・・


『秘書が勝手にやったこと』


このお約束のセリフで明らかなトカゲのシッポ切りをしておき、現状では小澤幹事長の関与を立証するのが困難なことから不起訴となったら、鳩山首相は幹事長続投を示唆。


しかも


「本人は起訴されずとも秘書は起訴されるのだから、このまま幹事長を続けることはどうなのか?」


といった記者の質問に


「小澤幹事長本人がお決めになること」


との発言・・・


これは立証がされなければ問題無し、秘書の逮捕、起訴も小澤さんの問題で小澤さんの進退も本人が決めることという意味か?


そして、この気を使った物言いでは何だか総理より幹事長の方が偉いと感じてしまうのは私だけでしょうか?


それにしても、去年の時点で小澤幹事長の口から公の場で発せられた


「資金管理団体陸山会の土地購入資金は定期預金を担保にして借り入れた資金を充てた」


との内容と、現在の


「個人貯金を家族名義で所有していたもの」


という言い分は、づれているんですよね。


これって明らかに黒に近い灰色でなんですが・・


黒でなければ良しって事なのか?





昨日はこの2つのニュースが繰り返し報道されていました。


『朝青龍の素行不良問題』



『小澤幹事長の資金管理団体陸山会による土地購入問題』


の一応の節目が重なった訳ですが、なんか変だぞ?


と感じる物事の決着の付け方には


『もやもや感』


を感じました。


問題が起きた時に良いか?悪いか?の2極で判断が付くことは以外と少なくて、大抵はそこに


『落し所』


を見つけて解決を図ることになります。


ですがその


『落し所』


を決める場合にはやはり良いか?悪いか?の基準によるバランスと、誰にとっての落し所か?が必要だとこの2つのニュースから感じました。



朝青龍は自ら引退を申し出て相撲界から身を引き、マスコミはこぞって名横綱の引退を惜しむ報道をして勇退的な終わり方をさせる。


相撲協会は朝青龍のキャラクターによる人気で相撲界の人気を、若貴ブーム後の支えとして来たがその素行が増長して問題になってきていた為、ここらで体よく朝青龍を引退させる。


これは相撲協会と朝青龍の間では


『落し所』


としてまとまったように思いますが、実際は2者間での


『落し所』


でありファンや一般の目から見た場合の視点が抜けている為に私は、なにか変だぞ・・


と感じた気がします。


本来は、一般の目、当人である朝青龍、相撲協会の三方から見てある程度納得が行く


『落し所』


をもう少し模索すべきだったのでは?


と感じます。


小澤さんの問題も検察と小澤さんの戦いとなり、その結果を受けての鳩山首相(民主党)と小澤幹事長の間での『落し所』というのが、起訴されれば議員辞職。


起訴されなければ現状維持にて夏の選挙へ向けての戦い。


といった2者 + 検察による


『落し所』


としか感じないこの結果は、肝心の国民の気持ちが無視された者だといえるでしょう。


大岡越前の


『三方一両損』


のお話ではありませんが、もう少し広い目で物事をみて公の場における問題は解決へ向けた


『落し所』


をさぐることが必要なのでは?


と感じたニュースでした。



にほんブログ村 企業ブログへ にほんブログ村 企業ブログ その他サービス業へ にほんブログ村 ベンチャーブログへ

にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ ブログランキング・にほんブログ村へ







見えたこと(気付いた)ことを書いています。

ここのところ忙しさにかまけて更新をしていませんでした。


それにも関わらず、前回の記事にコメントやメール、そして知り合いからの意見など沢山の反響があり驚いています。


拙いブログですが、楽しみにしてくださる方がいることに気付かされ感謝です。


本当にありがとうございます。


サボらず更新をするように心がけようと思います。


さて、その前回の記事に対して頂いた反響ですが、鳩山首相の人柄に期待をするといったものと、首相として適さないといったダメ出しをするものに分かれていました。


その中でも、今までにない無いタイプの首相なだけに長い目でみて国民が鳩山政権を育てるべきとの意見や、トップに立つ人間には決断力が必要であり鳩山さんは首相に向かないといった、両極端な意見が目立ったことに混迷する現状を強く感じました。


時代の風というか価値観やカルチャーがある程度一定の方向を向いて入れば、これ程の両極端な意見が均等に寄せられることは無かったのでは?


と感じています。


ただ混迷する時代であればこそ、様々な価値観の中から一つの方向性を示して国を引っ張っていく為には、より強い意志を持つリーダーの必要性を感じるのは確かです。


そんなことを感じさせてくれた前回の記事に対する意見でしたが、題材とした内容に対してでは無くて、記事を書いた私の考え方に対する反響もありました。


それは、決断を下す立場の人を


『平等コンプレックス』


と揶揄して批評するのも良いですが、あなたならその立場に立った時に何が出来るのですか?


といった内容でした。


この意見に対して基本的に、私は不況下の中で営業を始め広告宣伝の末端に位置するチラシの制作や配布といった、ことを起こす現場で感じた経験や、そこで感じた矛盾から来る疑問などの解消法をお伝えしているとの自負があるだけに


『机上の論理による評論』


と受け取られたのは少しショックでした。


けれども、こうして不特定多数の方に何かを題材にして語りかけることをすれば、少なからず評論的な要素も出てきてしまうものだと気付き、考えさせられました。


中島みゆきさんの歌で時刻表という曲があります。


その詩の一説にこんな内容があります。


誰が悪いのかを言い当てて  


どうすればいいかを書きたてて


評論家やカウンセラーは米を買う


迷える子羊は彼ら程、賢い者はいないと思う


後をついてさえ行けばなんとかなると思う


見えることと それが出来ることは 別ものだよと米を買う


この詩が私は大好きで、若い頃からよく聴いていた曲なのですが、詩を受けての解釈が若い頃は多少の僻み根性から、現実には


『言うは易し、行うは難し』


だよと受け止めていました。


けれど色々と経験を重ねて来ると、物事を俯瞰して考えて計画を立てることの大切さと、その計画を実行する努力の大切さが両方必要なことに気付きました。


そう思うと、この歌は見えることと出来る事は個別の能力であり、どちらかに偏よる考え方に対して疑問を提示しているように感じ出し、それを一生活者が自分の立場から


『ぼそり』


と呟いて生きている。


そんな情景が


『見えることと それが出来ることは 別ものだよと米を買う』


に集約していると感じるようになりました。


ですから私の書く記事は多少の傾いた表現を用いていますが、評論ではなく歴史やビジネスから見えたことを書いていると受け止めてもらえればと思います。


にほんブログ村 企業ブログへ にほんブログ村 企業ブログ その他サービス業へ にほんブログ村 ベンチャーブログへ

にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ ブログランキング・にほんブログ村へ

平等コンプレックス

民主党が政権交代を成し遂げてから、はや5ヶ月が経とうとしています。


ハネムーンの期間を過ぎて、いよいよシビアに評価をする声が上がる中、鳩山首相の決断力の無さを問う声が多くなってきました。


鳩山首相は相手の話を聞きすぎて、其のつど相手の言い分に対して理解をした発言を繰り返しており、結果的に発言にブレが生じて何も決断をしていないといった評価がされ始めています。


このことは、鳩山首相の性格に起因された結果だと私は思っています。


そう感じる理由は、鳩山首相という人の性格にある種の


『平等コンプレックス』


というものがあるように感じているからです。



鳩山首相の生い立ちはご存知の通り大変な名家の生まれです。


そして北海道という祖父の代からの地盤がある場所で立候補をして当選し政界入りを果たしています。


こうして当選した鳩山さんはその後しばらくして、こんなことを口にしていたそうです。


「自分よりも優秀な人達が選挙により落選して政治家として活躍できないことがある。けれども自分は恵まれた状況で政界に残ることが出来てしまう」


大抵の人は恵まれた環境で育つと、おごり高ぶった選民意識を持ちがちです。


けれども鳩山さんは自分の家庭環境や生まれによって、他者よりも優位にことが進む故に能力ある人を押し退けて評価を得てしまうことに疑問を感じていたようです。


そのことはある種のコンプレックスとなっていたようで、自らの恵まれた立場を利用して私による意見を通すよりも、能力のある相手に対しては話を良く聞くといった姿勢をとることが多くなっていったようです。


私はこういった立場の違いによる不平等なことに対して立場が強い相手をひがんだり、ねたんだりすることや、その逆で立場が強いことで、立場に関係無く努力した相手と自分を比べて自信喪失することなどを


『平等コンプレックス』


と呼んでいます。


人は生まれてきた時点でそれぞれが個別の立場と能力を持っています。


お金持ち、貧乏といった環境の違い、運動神経、IQといった能力の違いなどがそうです。


そしてそのことで他人と比較してひがんでも何も始まりません。


ですから現実の自分の立場と能力を理解して認めた上で人それぞれの人生を歩む為の努力をすることが大切だと感じます。


当然マイナスの自覚だけでなく、プラスの自覚も必要ということになります。


むしろプラスの状況の時の方が、おごりや選民意識により差別を生む危険があるので歪んだ理解による問題が生じる危険があるかもしれません。


そういった意味では鳩山首相のように謙虚な考え方は大事だといえるかもしれませんが、だからといって必要以上に周りに気を使うことは一国の首相としては決断を遅らせてしまいう為、問題があるといえるでしょう。


以前の別と差別』 において物事には違いがあり、そのことに対して差別はいけませんが区別はしなければいけないと書きました。


これは全ての物事には差異があり、決して平等では無いが為の判断基準があることを意味しています。


おかしな判断基準での差別は絶対にしてはいけないと同時に、物事の差異に対してはきちんとした区別をしましょうということでした。


ですから平等で無いことに対して選民意識を持つことは差別と同じで非常に危険なことですが、そのことでコンプレックスを持つというのも、きちんと区別ができない考え方と言えるでしょう。


鳩山首相の人柄と人間性については個人的に大変好意を持っていて期待もしています。


なによりも私が感じているのは、前政権時の麻生首相による発言のブレには、調子の良いその場限りの勢い発言によるブレと感じましたが、鳩山首相の場合は前記した自嘲気味の、相手を気遣う発言によるブレだと感じています。



ですからその人柄による考え方でかまわないので、物事の差異に対してはきちんとした判断基準の下で区別して決断してもらいたいと感じます。


あまりこの状況が続けばプロセスは違ってもブレて決断できないのは一緒ということになってしまいますから。



にほんブログ村 企業ブログへ にほんブログ村 企業ブログ その他サービス業へ にほんブログ村 ベンチャーブログへ

にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ ブログランキング・にほんブログ村へ

キャラクター

ルパン三世のキャラクターとその世界観を現実のものとして活用し


「不況などの暗いニュースばかりが目立つ日本に、愉快・痛快な話題を提供して活力を与えよう」


をテーマに、日本テレビ、バンダイナムコゲームス、平和etc・・のルパン三世と関係の深い企業6社協賛によるファン参加型の


LUPIN STEAL JAPAN PROJECT


といプロジェクトが立ち上げられています。


昨年末よりルパンに盗んで貰いたいものをファンに募集し、その結果、


『渋谷モヤイ像』



『大阪食い倒れ人形』


といった各地域における有名なオブジェなどが次々とルパンの犯行声明によって盗まれてきました。


そして本日は東京ドームシティにて


『お宝山分け会』


といったイベントが開かれているようです。


そういえば昔、大ヒット漫画


『明日のジョー』


で主人公ジョーのライバルである力石徹が死んだ時には、あまりに魅力あるキャラクターであったことからファンにより現実に葬儀が執り行われました。


最近では


『昇魂式』


と称して北斗の拳に登場するラオウの葬儀も現実の世界でおこなわれています。


このように人の心にしっかりと定着したキャラクターというのは、時として現実に生きる私達よりも世の中に影響力を及ぼすことがあります。


この影響力による価値が重要になる、漫画やドラマの主人公といった架空の世界の人物からスポーツ選手、芸能人といったメディアの向こう側にいる人達などは、常にキャラクターの確立が求められているといえます。


そして確立したキャラクターの認知度や個性は、肖像権などの権利を有していてビジネスが成立しているといえるでしょう。


ですから芸能人や政治家といった多くの人達を相手に訴えかけることが必要な人達は、私(プライベート)と公(パブリック)により、まったく異なったキャラクターだったりします。


いわゆる、キャラクターを演じることによって作り上げるのが仕事だといえるからです。


※ただ芸能人のようなエンターテーメントでは良いですが、政治という現実の生活では、100%では無くとも公私がブレないことが望ましいとは思っています。


私(プライベート)と公(パブリック)の二面性というのは芸能人や政治家だけでなく、実は私達みんなが持っているあたり前の感覚だと私は思っています。


たとえば自宅の部屋にいる時は、服を脱いで裸で寝転がり肩肘を付いてテレビを観ながらくつろいでもいても全然OKでしょう。


これはこの時間が、私(プライベート)だからといえます。


しかし一歩玄関を出た場合は全裸でいることはまず無いはずです。


それは外出した瞬間から意識が、公(パブリック)に変わっているからです。


人前に出たら、だらしない格好はしない。


これはそういった自分を無意識に演じているといえるでしょう。


嫌なことがあっても笑顔を絶やさない人は、皆から癒し系として親しまれますが、これもある意味で自分の為か相手の為かは別にして努めて笑顔を絶やさない人を演じて作り上げているといえるでしょう。


演じるという表現をすると、どうしても


『騙している』


とか


『裏表がある』


と捉えられそうですが、そもそも人には


『公私』


の別があり、その中で自分を律することや、こうあるべきとの姿や理想に近づける為の努力をしているのだと考えれば、この差異に対してずるさは感じないはずです。


自分のありたい姿を思い浮かべて、そこに近づけるよう演じることでキャラクターを作り上げることは、公人でない私達にも大切なことのように思います。


プライベートでどんなに落ち込んでいても、朝起きてスーツを着た瞬間からパブリックな対場に立てる人って仕事のできる方に多いんですよね。



にほんブログ村 企業ブログへ にほんブログ村 企業ブログ その他サービス業へ にほんブログ村 ベンチャーブログへ

にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ ブログランキング・にほんブログ村へ