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区別と差別

一杯のラーメンにも、各ラーメン屋さんにより出される者には違いがあります。


その違い(面の太さや具材など)があることを理解して、お客となる私達はお店を選んでいるはずです。


この店を選んでいる行為は、その店ごとの味や店内の感じから店を区別しているといえます。



こういった区別をするという行為は、物に違いがある以上は必ず行われることです。


また違いを認めて区別して対応することで個性というものが生まれ、その力が発揮されるのだとも思っています。


では、あるラーメン店の店主と仲の悪い人が、お店の悪口を広めたとします。


その噂を聞いてその店に行く、行かない、の判断をしたとしましょう。


これも区別といえるでしょうか?


ラーメンの味やお店の居心地などによる差を見極めて食べに行くか行かないかの判断をしている訳では無くて、根拠の無い噂で他のラーメン店と差をつけて判断したのならこれは区別ではなく差別ではないでしょうか?


私の中では物(者)の違いを理解して、その特性によって生じる差を別けることは区別だと考えています。


そしてこの区別という振り分け方は必要なことだと思っています。


けれどその物(者)が持つ特性とは別な判断基準によってあえて差を付ける行為は差別となり、好ましくないと考えています。


この差の別け方を、差別と区別という言葉に例えて判断をしています。


男と女、すなわち性別においても大きな違いというのが存在します。


まず体形的な差があり、それに伴う筋力や持久力さらに子供が生める、生めないといった決定的な違いなどがそうです。


当然その差は区別をして、男女が互いに弱い所は補い、秀でている所は伸ばすべきだと考えます。


しかし、男でも家事が好きで尚且つそれを上手にこなせれば、男と女の差以前に家事をする能力の差が他の人より優れているのですから、区別して主夫?を選択することに問題はないでしょう。


それを


「男の癖に・・」


という理由で否定したり非難するなら、それは差別となるでしょう。


また女性は出産を出きるという能力を持っていますが、それを今は控えてでも仕事をしたいという意志をもって社会に出れば、どうせ女性だからすぐに出産、退職するだろうといった差別をするより、その時点の本人の覚悟と能力による差を持って、業務に向くか向かないかの区別をすることが必要だと思います。


性別、人種、個人の私惑などにより、本来の適正や能力以外の差を生み出して、別け隔てる行為は差別であって好ましくない行為といえるでしょう。


またその逆もしかりで、本来の能力差に対して判断される区別さえも、差別反対といった批判をすることにより、何でも均一に対応を求めることも大変愚かなことだと感じます。


違いがある物は、その違いをしっかり区別して対応するべきですが、その違いが偏見や慣習といったイメージであれば、それは差別という負の判断といえるでしょう。


広告宣伝をする上でイメージというのはとても大切な要素になります。



特に商品宣伝などにおいては、他の商品との差別化を明確に打ち出したイメージで宣伝を行うことが商品の訴求効果を上げます。


この場合の差別化は私の中では、商品の持つ特性の区別が根底にあるのが絶対条件です。


根拠の無いイメージのみでの宣伝は長続きせず、場合によっては差別を生む危険もあると思っています。


イメージというのは増幅する過程で、根拠の無い差別を作り出す危険性があるということを認識して、本来の特性や違いを理解したイメージ戦略が商品宣伝にも必要だと考えています。


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