『一徹者』とは・・実は状況を見て自らの考えを押し通す人なのです。
若い時に野球やサッカー、柔道などのスポーツを経験している人達に共通して感じることがあります。
それは何かをする時に多少のことではあきらめない粘り強さと、その反面で本当に無理なことに対する無謀な挑戦をしないということです。
これはスポーツとい名の勝敗を決する勝負をしてきたことで得られた感覚なのだろうと思います。
というのは、勝つために懸命に努力をすることで勝利を手にした時に大きな感動というものを得た経験から、何かをおこなう時にはその勝利の悦びを目指すことで人一倍の努力が出来るのだと思います。
反面で大変な努力をしていても勝者がいれば敗者もいます。
負けた時には大変悔しい思いもする筈です。
そのことで相手の悔しさや、自分の能力を受け止めることが出来るようになるのでしょう。
この自分の能力と相手の立場が理解できて、尚且つ結果に対して努力が出来るというのは仕事においても大変に大事なスキルです。
そういう意味ではスポーツ以上に、命を掛けて戦をしていた戦国時代の武将達はこの勝敗を決する局面を繰り返し経験してきた訳ですから、現代の私達に必要なスキルがそこには沢山あるはずです。
前々回に織田信長の戦は桶狭間の戦い以外は、奇襲や変則的な戦い方はせず常に勝てる戦を仕掛けていたと書きました。
これは信長の率いる兵達が決して屈強な猛者達で無かった為に、数や戦略にて勝機のあると判断した戦しか行わなかったとも言えるのです。
実際に柴田勝家のような猛将もいるにはいましたが、全般的には尾張の兵は脆弱で決して強くは在りませんでした。
その為に浅井、朝倉連合軍対織田、徳川連合軍による姉川の戦いの際にも、織田軍は二万の軍勢で半数以下の浅井軍八千に対して数にものを言わせて潰しに掛かったのでした。
しかし、如何せん織田軍の兵はあまり強くありませんでしたから、少数の浅井軍の兵に押された状態になったのです。
一方で多数の朝倉軍に対して、織田の援軍としてこの戦に望んだ徳川軍は少数で挑んでいました。
しかし徳川軍は勇猛で屈強な三河武士の集まりで知られる通り、圧倒的な数の差を物ともせずに朝倉軍を蹴散らして行きました。
そんな中で、信長の命により徳川軍の援軍として織田より兵を率いてこの戦いに参加していた稲葉一鉄という武将は、織田軍のピンチに気付き、自らが参戦している徳川軍が優位と見るや朝倉軍対徳川軍の戦線から離脱して、浅井軍対織田軍の戦に参戦しました。
その際には織田軍を押し込んでいた浅井の兵達に対して横合いから一気に突き崩す形で攻め入って見事に形勢を逆転させて織田軍を勝利に導いたのです。
こうして織田、徳川の連合軍が姉川の戦いで勝利すると、信長はこの稲葉一鉄の活躍に感謝して褒め称えました。
しかしここで、自軍の戦に対する力量とこの戦における徳川軍の活躍ぶりを理解していた稲葉一鉄は、自らを褒め称える主君信長に対してこう答えました。
「殿は人を見る目の無い大将です。今回の戦の優劣がお解かりでない。此度の戦は浅井、朝倉軍の猛攻に我が織田勢は敗走の一歩手前まで追い込まれていました。これを救ったのは某などではございません。徳川殿率いる三河武士のおかげにございます。某など三河武士の方々の活躍から見れば赤子も同然。現に数で圧倒する朝倉軍を徳川軍が押し込んでいなければ、某は殿の軍勢に援軍として向かうことなど出来申さん。今回の勲功は徳川殿率いる三河武士の皆々様のご活躍をまずはお褒めになるべきなのに、それを我が軍のふがいなさをごまかすように織田家の家臣である某を第一に誉めそやすとは、片腹痛し。これでは徳川殿達に織田家は面目が起ちますまい」
この言葉には、さすがの信長も素直に従い、直ぐに戦功を見直して家康に感状を与えて誉め称えています。
この稲葉一鉄のように、自分の能力と相手の立場を理解して、尚且つ努力を怠らない者達がたくさん戦国の世にはいたのです。
ちなみに状況が読めて努力するだけでなく、あの短気な信長に対して、自らが信じたことに命を賭して諫言できたこの稲葉一鉄は、非常に一本気な人物でした。
現代で一本気質な人のことを
『一徹者』 『頑固一徹』
などと呼んでいる語源はこの稲葉一鉄という人物なのです。
※ちなみに『一鉄』という呼び名は今回の話の後年になっての呼び名で『良通(よしみち)』と言うのが正しいのですが、一般的に知られる『稲葉一鉄』の名で今回は統一しています。
悲劇をも喜劇にしている『デスパレートな妻たち』
大人気の海外ドラマ
『デスパレートな妻たち』
シーズン4が、DVDで現在6巻までレンタル開始されています。
他の人気海外ドラマがシーズンを重ねる毎に段々とトーンダウンしてくるように感じている中で、このドラマはますます面白さをUPさせている気がします。
そもそも日本の人気ドラマというのは、回を重ねるごとにキャラクターの設定と内容が安定して行き、そこに予定調和の安心感に似た感覚を見出す作品が多いように思います。
ですから若干のキャラクター入れ替えなどをして飽きさせなければ、偉大なるマンネリによるスタンダート・ドラマ(相棒、水戸黄etc・・)として定着して行く気がします。
それに引き換え最近流行の海外ドラマは、展開の妙と早いキャラクターの入れ替わりと言ったスピード感や以外性を魅力としています。
こういった刺激的な展開が、現在の日本でもブームを起こしている要因ではないでしょうか。
しかし、こういった次々に展開の妙を作り出す方式においては回を重ねれば、どうしても奇抜さを出す為に無理な展開などが増えざるをえません。
そうなると、どうしてもこじ付けによる無理な展開などが目立ちだします。
『ターミネーター・サラコナークロニクルズ』
や
『HEROES』
などの展開にはそういったことによるトーンダウンを私は感じています。
※これは私の個人的な主観ですが・・
ところが
『デスパレートな妻たち』
においては今シーズンを見始めて今までよりも、さらに引き込まれてしまったんです。
それは設定や展開事態は、他の海外ドラマと同様かそれ以上にハチャメチャになっているのですが、ドラマの根底に流れるテーマというか雰囲気が
『人生(世の中)は喜劇である』
といったものをかもし出していて破天荒な展開も
『笑い』
『悲哀』
『驚き』
として、すんなりと受け入れられるのです。
日本の作品で言えば
『古畑任三郎』
に代表される三谷幸喜さんの作品に似ているかもしれません。
内容は、不倫や個人の身勝手な感情からの騙しあい、果ては殺人まで起こるのですが、その間逆にある思いやり、互いをいたわり合う友情といったことが同じ土壌で起こります。
親子の愛情と確執などもそうですが、このコメディ的な世界観においては、全ての出来事が自然に受け入れられるのです。
ですから回が進むにつれて、ますます内容が濃くなり面白くなってきます。
まだご覧になっていない方には是非、観てもらいたいと思う作品です。
ちなみに、このドラマは4人の個性的な女性とその家族が中心のお話です。
私がお気に入りなのは、前半ではガブリエル・ソリス、後半ではブリー・バン・デ・カンプです。
勝者の戦い方とは?
このブログの趣旨は
『戦国時代から不況下におけるチラシ販促の仕方を学ぼう』
というものですが、そのせいなのかこのブログを見た方から良く
「不況の時こそ攻めの姿勢が大切ですよね」
と言った意見に同意を求められることが多くなりました。
確かに基本的には
『ピンチはチャンス』
と捉えて前向きな攻めの姿勢が必要です。
『販促広告などは削減すれば、そのまま売上減に繋がりかねない』
と何度もブログにも書いてきました。
しかし何でも良いから攻めの姿勢と言うことでは、いかに戦国時代とはいえ悪戯に兵力を疲弊させることになり結果は出せないでしょう。
実際に名将と言われる者達は如何にして戦わず勝つかを考えたり、同盟と裏切りの繰り返しにより武力衝突を避けて力を付けて行った者達ばかりです。
そんな駆け引きも含めて現在の不況下に立ち向かう術をご紹介しながら学んでいければと考えてこのブログを立ち上げたのですが、一般的な皆さんの戦国時代のイメージは
『攻め合って戦に明け暮れた勝者が、織田信長でありその後に豊臣秀吉、徳川家康が勝ち上がり天下を牛耳った』
と、お考えになられているようで少し驚いております。
というのも戦国ブームと騒がれる昨今においても、やはり歴史と言うものに興味のない方では戦国の三傑ですら名前を聞いたことがある位の状況なのでは?
と思っていたからです。
意外に有名な武将達は皆知られていて、それなりに知識もお持ちの方が多いことに戦国ブームは本物だなと感じました。
けれどやはり、その武将に対する認識はイメージ先行で織田信長は、冷酷で残忍な戦を仕掛けて負け知らず、怖い者知らずのイケイケ、ドンドンなタイプで、先に上げた
『戦に明け暮れて強引に天下を取った』
主役でヒーロー的な捉え方をする方が多くいるようです。
その結果が冒頭の
「不況の時こそ攻めの姿勢が大切ですよね」
に繋がっている気がします。
確かに信長はイメージ通りの攻撃型の戦も多数行っていたり、自らに刃向かう者には容赦なく焼き討ちや一族郎党までの処刑といった戦国時代においても、残虐とも取れる行為を行っていますが、反面イメージとは似つかわしく無い行為もたくさん行っています。
たとえば、戦上手な武田信玄に対しては必要以上に恐れていて、自らが足利義昭を奉じて京へ上る際には、北より迫り来る信玄を恐れて同盟を結び、媚をうるように高価で手の込んだ贈り物をしています。
その信玄が義昭と袂を別った信長に対して京へ進軍して来た時は、もはや信長の命運も万策が尽きたと思われました。
しかし運よく(信長にとっては)信玄はこの上洛に向けた進軍中に病で他界します。
このことで九死に一生をえた信長ですが、その後も信長の周りには敵だらけです。
そうなると今度は敵の中でも最強の上杉謙信を恐れて、信玄と同様に同盟を結び贈り物攻撃をして北よりの脅威を逃れようとしています。
このように実際の信長は自分より強い敵とは、決して戦おうとはぜずに勝てると見込んだ時にしか自ら戦は仕掛けていないのです。
唯一の自分より強い相手との戦は、信長の名を世に知られることになった桶狭間における今川義元との戦ですが、これも自らが仕掛けた訳でなく、降って沸いた災難(信長にとって)のような戦でした。
この戦を一か八かの奇策を持ってして勝利したことで信長は戦国の世に名を馳せた訳です。
しかしそれ以後の戦においては、強敵に無謀な奇策で挑むことは一度もありませんでした。
むしろ強敵を避けて、勝てると踏んだ相手や時期にだけ一気に叩き潰す戦をして行ったのです。
また、浅井長政に裏切られて勝てると踏んだ戦が、浅井、朝倉軍に挟み撃ち状態にされた際には、自ら単身で馬を駆けて戦場から逃げ出しています。
この際に、殿(しんがり)を自ら申し出て命を賭しての信長単身の敗走を助けたのが羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)です。
この敗走戦は金ヶ崎の退き口と言って、後世まで撤退戦の代名詞にもなっています。
信長の軍団というのは自身が司令塔となり勝てる戦を家臣を使って行い、負け戦は直ぐに逃げ出して自身さえ生きていればまた軍団は立て直せるといった考えの下で形成されていたのです。
このように、勝算がある時は一気に攻めて、勝ち目の無い時は守りに入るという戦法が実は戦国時代でも常套手段だったのです。
ただ単に強気で
『不況の時こそ攻めの姿勢が大切』
と言った猪突猛進型の考えは戦国時代でも通用しなかったと言えます。
次回も他の武将における戦の仕掛け方の妙をご紹介したいと思います。
ねじれ現象
SP(セールスプロモーション)の仕事というのは、商品販売において有効な宣伝手法を企画、提案して実施するものです。
私の会社は主にチラシやカタログ、ノベルティグッズの企画提案から制作、そして地域ごとへのマーケティングや配布といったことを行なっています。
こういった広告会社はお客様に企画や手法の提案をして採用されれば依頼を受けて実施する訳ですが、全ての内容を自社でこなせる程のインフラ整備は難しい為に、ベンダーさんへ発注をすることになります。
ちなみに、このベンダーさんをよく下請けと言った言葉で表現しますが、私はこの言葉があまり好きでなくて強力会社さんと呼んでいます。
私の会社では、制作とポスティングにおいては自社グループで一部を賄いますが、基本は印刷、ノベルティーの制作、SP現場の設置などを外部の強力会社さんへ発注することになります。
これはクライアント様とベンダーさんとの間に立って仕事をするということなのですが、その際に
『ねじれ現象』
を起こして業務がスムーズに行かないことが良くあります。
どういうことかと言うと、クライント様から業務上のお願いを受けます。
たとえば扱う商品がチラシである為に刷りあがった物を強力会社に納品することが必要になります。
そこでクライアント様がチラシの納品場所を変えたい等の急な変更をされた場合には、引き取り等の業務が発生します。
当然本来なら、その配送費用が追加で加算されますが、ある程度の取り引きがある場合やその担当者様の手違いで起こったことで予算が取れない場合には、サービスにて引き取りを行うようにお願いされることがあります。
ここでは2つの答えがあります。
1つは
『配送費を請求できなければ引き取りを断る』
と言った対応をする。
当然この対応は商取引における契約上は何の問題もない対応ですが、この答えによって一連の業務が行えなくなったり、今後のクライアント様との取り引きが継続できなくなるリスクがあります。
2つ目の答えは
『解りました。サービスで引き取りを行います』
と言った対応です。
この場合はクライアント様からは感謝されて営業上は、その後のお取引においてもメリットが生まれるでしょう。
さてここで2つ目の答えを選択すると次なる問題が生じます。
それは実際にこの引き取りを行うのがベンダーさんである協力会社ですから、その会社に引き取りを頼むことになります。
この強力会社さんが先程と同じ状況で2つ目の答えを選んでくだされば、それで一応の問題は解決です。
けれども
『無理を言わないで下さい。配送費が頂けなければ引き取りは出来ません』
と言った、先に選択した答えと違う選択をされると余計な配送費が原価として発生します。
実はこういったねじれ現象による状況に対して私は、答えというのは無くて状況判断で良いと思っています。
但し、どちらの答えを選んでもねじれ現象がないようにすることが大切だと考えています。
この場合はクライアント様の無理を聞くなら、ベンダーさんにも無理を聞いてもらう。
ベンダーさんの立場を酌んで無理なお願いをしないのなら、クライアント様にも毅然と料金を頂く。
と言ったねじれの無い対応が必要です。
一貫した対応により、極端に言えば強力会社を守る必要ある現状であればクライアント様であっても筋道を通す。
業績の状況によってクライアント様を立てると判断すれば、強力会社さんに理解を求める。
と言った信念のもとに決断をすることが大切だと感じます。
一番いけないのは、どちらにも良い顔をしてリスクを全て背負い込む、ねじれた現象を起こすことでしょう。
筋道と判断という2つのことが、ねじれ現象を起こさず苦難な状況を打開するキーワードです。
バイトの雇用や広告宣伝が出来ない企業が増えている現状
しばらく更新をお休みしてしまい申し訳ありませんでした。
ご心配や、問い合わせのコメント、メールも沢山頂いておりまして本当にありがとうございました。
本日より完全復活をさせて頂きますので、よろしくお願いします。
さてブログをお休みしている間に政権交代を果たした民主党は、国民の代表である政治家が主導で官僚の優秀な力を活用できるようにする。
マニフェストの実行に向けて(子供手当てや高速道路の無料化)の財源確保の為、予算の見直し。
さらに労働者の最低賃金の引き上げやパートアルバイトに至るまでの保障制度確立。
これらに向けて精力的に動いています。
一連の動きはまさに日本が変るんだというダイナミック変革を感じさせてくれます。
しかし、この民主党のマニフェストによる変革の主軸は何処にあるかと考えると、消費者や生活者の目線での改革ということに尽きるように思えます。
これはこれで良く理解できるのですが、私の会社はチラシによる宣伝すなわち広告という物をなりわいとしています。
言ってみれば一番に景気同行の影響を受ける業態です。
ですから、現状で優先順位をつければ景気回復が最も望まれる立場にいます。
この視点から見ると、少し一連の政策に不安を覚えざるをえません。
① 働く人や生活者が豊かになれば → 消費が増えて → 景気画が回復する。
②企業や雇用する立場の業績が上がれば → 雇用が増えて生活者が豊かになり → 景気が回復する。
民主党の政策は①の考え方によって行われているようです。
この①と②の関係は大きく見れば
『卵が先か?鶏が先か?』
ということでしょう。
今までの自民党の政策は『②の論理』と『選挙における集票の対策』から、企業にべったりであったり、税金を使っての公共事業の拡大路線でした。
しかし、その結果は無駄な箱物や公共事業によって、不正や無駄使いの温床を生んだり、企業よりの政策から生活者をかえりみないものでした。
このことで浮動票と切り捨てていた有権者達からそっぽを向かれて、今回の政権交代を生んだように思います。
その為、当然ながら民主党はその反対路線である①の論理から生活者目線のマニフェストを掲げて勝利し、それを実行しているわけです。
けれども、果たしてこの政策は現状に沿っているのでしょうか?
チラシ広告という商売の最前線において営業をしていると感じるのは、何処の企業も経営が非常に厳しく、切り詰めるのは人件費と広告費だということです。
その結果、広告費の削減は
『宣伝が減る → 売上の低下 → 更なる経営の逼迫』
という負のサイクルへと進んでいる気がします。
人件費の削減も、コンビニや中小企業ではオーナーが自らの休日を返上してバイトのシフトをカット等を行ってやっと経営を成り立たせています。
小売で無い企業においても、業務量の減少からワークシェアリングを行い社員の労働時間や給与を減らして、何とか雇用を保っているのが現状です。
そんな中で、労働者の最低賃金の値上げや、パート、アルバイトの保険制度への加入による負担金を企業が捻出すれば企業はやっていけません。
本当に苦しい状況で経営をしている企業が多いという、現場の状況が見えているのでしょうか?
これでは更なる雇用の減少や連鎖倒産を生み、その結果は大きく税収も減ることになります。
けして以前の自民党のような癒着体質の企業支援をしろとは言いませんが、公平間のある企業支援や商売による独立支援などの政策を同時に行わずに、生活者や労働者の支援を最優先にすることは景気をさらに失速させるように思えてなりません。
子供手当てや生活支援金の直接支給においても、この景気対策による不況の脱却が見込めない中で行えば、支給金を将来の不安から貯蓄へ回したり、決して良い例えだとは思いませんでしたが、パチンコ等のギャンブルで一攫千金をねらう目的に使用されるというのも、あながち的外れとはいえませんよね・・・
偶然のタイミングを必然にするには?
今日は新規のお客様に、チラシの封入セットとポスティングについてご説明をして来ました。
そのお客様とお話が出来たのは、営業の新人社員がテレアポをおこなった際にお約束を頂くことが出来たからでした。
新入社員の取ったアポでしたので、私が同行することを決めて他の社員にその話をしました。
すると、同行先となるそのお客様の所へは、以前から他の社員が新規の営業にて連絡をしていたが何時も断られているとのことでした。
新人の営業トークが先輩社員より上手だということはありえませんでしたので、きっと広告に対して何か考えているといった良いタイミングに当たったのだろうと考え、こちらの説明内容を聴いて頂けるチャンスではないかと期待をこめて伺いました。
そんな訳でお邪魔して率直に、新規の営業連絡に対してお約束を頂けたことの理由をお聞きしてみました。
するとやはり、現在のチラシ制作や配布に対して若干の不満があり、丁度良いタイミングで営業電話が架かって来たので話を聞きたかったとのことでした。
チラシというのは不特定多数に配布するので正式な反響以外にも、こういった営業の問い合わせやクレームが多数来るものだとおっしゃられて、その為お客様の中では、営業電話が鳴るということは現在の広告会社がきちんと配布をしているとの証拠だと認識されていました。
ですから、他の広告会社からの営業電話が鳴っても会う必要性は無いので今まではお断りをしてきたのだそうです。
ところが
「最近になってチラシの配布をしても反響が落ちて来たので、チラシ単体でなく効果を考えて封筒等に入れたDMのような形態にし、広告会社も変えてやってみようかと思ったとたんに、営業の電話もまったく鳴らなくなったんですよ」
と苦笑いしながらお話になられました。
丁度そんな中で私の会社が営業電話をさせて頂き、お会いすることが出来たということだったので色々なチラシに付いてのお話をさせて頂くことが出来ました。
今回は狙った訳ではありませんが、お客様が聞きたいと思うタイミングでの説明だった為に非常にスムーズに話が通り、直ぐにお仕事の依頼へと繋がるお見積りのご請求を頂きました。
同じ内容の説明でも、聞き手が受け入れ態勢がある場合とそうでない場合ではまったく違った結果になります。
この新人営業社員には帰社の際に、こういった良いタイミングの出会いがあったのも、普段から腐らずに努力をしてきた結果だよと伝え、今後も新規営業を絶やさぬようにと話して聞かせました。
けれども、私の中では今日の出会いをタイミングと言って片付けてしまえば、それまでですから
『効率良いアプローチ先の見極め方法を考える』
という宿題が出された出会いだったように思います。
デリバリーによる食事のモニタリング体験?
9月に入って風邪により高熱が出て体調を崩してしまいました。
インフルエンザの可能性もあったので病院で検査をしてもらったところ、風邪と診断されてまずはホッとしています。
けれどもブログの更新も儘ならい状態で当然のごとく、仕事もできずに休養を余儀なくされてしまいました。
今回、私を診断してくれたお医者様に聞いたのですが、風邪というのは正式病名では無く、発熱、鼻づまり、喉の炎症、腹痛、等が表れた症状の総称だそうです。
そしてこの風邪という症状は、普段の生活の中で快食、快眠を心がけて体調を整え、手洗い、うがい等の徹底をすることでほぼ発症は防げるとおっしゃいます。
この話を聞いて自己管理が出来ていなかったことを痛感して反省しきりです。
確かにあまり風邪をひかない人というのは、基礎体力が高いということもあるのでしょうがその基礎体力自体が、適度な運動や食事により養われている訳ですから、普段の生活で規則正しい生活をおくるといったことの大切さを、改めて感じています。
さて私は一人暮しの為、自宅に引きこもっている間は食事も3食の全てをデリバリーで過ごしました。
普段は仕事で見慣れているチラシやメニューもこのような状態ではとても見ごたえがあり、しかも便利でした。
寿司、ピザはボリュームがあるので定価としての価格設定は納得ですが一人で病気の時に注文するには量が多く、やはりパーティー等のハレの場において頼む者だと実感しました。
まあ、一人で食す一回の料金としては割高感を感じましたけれども、ハレの日の食事という感じは、風邪で沈みがちな気分をUPさせてくれるものでした・・・2日で飽きてしまいましたが。
中華とお弁当については日常の食事の延長にある為か、味に落着きを感じてあまり飽きがこなかっことから最後の3日間は
『弁当(和食)→中華→弁当(洋食)』
の宅配サイクルが続きました。
単身者の病気の時に向けた、デリバリーオーダーの需要モニタリングを実践していたような闘病期間でした。
現象ばかり語りますが原因は?
『逆風が吹き荒れた』
『地殻変動が起きていた』
『有権者の思いが振り子のように一方に触れていた』
まあ、今回の選挙での惨敗に対する落選者のコメントからは、一様にこれらのセリフが口をついて出てきます。
かろうじて生き残った(ほとんどが比例復活)議員も
『これからは、この結果を受け止めて反省する所は反省し、もう一度建て直しをしたい』
と口を揃えて言っています。
なんだかこれって人ごとのように感じますよね。
そもそも逆風や地殻変動が起こって振り子のように、一方に触れたのには原因があるはずです。
その原因をきちんと理解して語れずに、現象のみを口にするようでは落選して当然といえるでしょう。
『有権者の思いが振り子のように一方に触れている』
なんてセリフにおいては、皆が何も考えずに一過性の判断で流れに乗ってしまったと言いたげです。
これじゃ有権者を馬鹿にしているとしか思えません。
『反省する所は反省し・・』
については麻生総理も口にしていますが、やはり何を具体的に反省するのかは一切言いません。
たまりかねて質問者が
『総理の座を2人も続けて投げ出したといったことがこの結果を招いたのでは?』
と聞いても
『これまでの色々なことが積み重なって、わが党に対する不満となったのでしょうからその辺はこれから分析したいと思います』
なんて質問とかみ合わない返答をしています。
今更なのですが、このような小学生みたいな発言をする人達がこの国の舵取りを与党としてやって来たのかと思うと現在の景気情勢が、これで済んでいるだけましだとも思えてしまいます。
これについては、過去において先人達が勤勉に勤めあげて作ってくれたこの国には幾許かの余力があったのだろと感じます。
けれども言葉は悪いですが、その余力を食いつぶして来たのがここ数年の政治家だったのでは?
とさえ敗戦の弁を聞いていると感じて来ます。
政治家というのは選挙で民意によってチェックが入り、場合によっては入れ替えが在る訳ですから大変だとは思いますが、逆に考えれば民間企業でならとっくに潰れてしまうような失敗があっても、任期中はその資格を保障されているともいえます。
このことが悪い意味で、失敗しても任期中は大丈夫という甘えを生んでいたように感じます。
また選挙に勝てるように支持団体を抑えておけば、後は焼刃的に動いても何とかなるだろとの考えもあったのではないでしょうか?
そうでなければ、これだけの惨敗に対して敗戦理由を明確に語れない訳がありません。
そんな政治が続けられたことで、さすがに有権者も政権交代を望んだのではないでしょうか。
今回の選挙では強固な支持団体だった医師会の一部などからも、NOの結果が出されています。
ですから
『風が・・』
『地殻変動が・・』
といった現象ばかり口にして、厳しい戦いだったと選挙活動を振り返るのではなくて、せめて
『総理の投げ出し』
『役人の手綱が捌けない』
『不用意な閣僚の発言や対応』
といった解り易い原因位は理解した上で、改めるそぶりを見せてくれないと野党に成ったら今度は、政権政党の足を引っ張る泥仕合を仕掛けそうだと不安が募るばかりです。
史実に基づくエンタメが大河ドラマ
昨日の大河ドラマ天地人では、徳川家康と前田利家の最後の対面シーンが魅せてくれましたねぇ。
なんと利家が脇差を抜いて家康の喉元に突きつけ、今後の秀頼と豊臣家への忠義の確約を取り付けました。
このシーンは史実や今まで伝えられてきた逸話においては、利家が自身の余命は幾許も無いことを悟って、家康に今後のことを頼むというものでした。
そして、その経緯の解釈は大きく別けると二通りありました。
1つは家康が見舞にやって来ると聞いて、利家は嫡男の利長に
「今後のことは心得ているな」
と問うたところ、利長は
「もてなしの準備は整っております」
と答えました。
それを聞いた利家は利長の機が読めぬ弱気ぶりに、今後の前田家をおもんばかります。
そして、見舞いに来た家康と対面した際は、やんわりと見舞いの礼を言うと自らが亡き後のことを家康に託します。
そして、家康が帰ったあとで利家は布団の下から脇差を取り出し、差し違えてでも家康を斬るつもりだったことを利長に告げるのです。
けれども、その気構えの無かった利長に対して
「お前に器量がもう少しあれば、家康を生かして帰すことも無かったのだが」と嘆くというものです。
この逸話に対しては利長が器量無しであったと見る向きと、そうではなくて利長は父の差し違える覚悟を知っていて、それを敢えて止める為にわざと愚かな返事をしたという二通りの解釈がされています。
2つ目は、自分の余命を考えた上で前田家の存続を一番に考えた利家は、家康に前田家と利長の今後を懇願します。
それは、まるで秀吉が秀頼と豊臣家を託して死んでいった時と同じでした。
家康は内心でほくそ笑みながら、その約束を取り交わして死に逝く利家を立てたというものです。
従来の説はこういった形で利家が家康に対して今後を託すのですが、今回の内容は脇差を実際に家康に突きつけて意地を魅せてくれます。
このシーンでの利家役の宇津井健さんは渋かったですね。
また声を裏返して答える家康役の松方さんも、らしい演技で見る者をひきつけてくれました。
今回のドラマならではのエンターテインメントによる見せ場作りは、従来の家康に利家が屈する感のある展開と違って、利家が意地を見せてくれましたので利家ファンには、たまらなく燃えるものがあったのではないでしょうか。
大河ドラマはよく、史実とかけ離れた演出をすることで不評を買うことがあります(今回もそうですが、重要なシーンにいるはずの無い主人公が必ず絡む等)が、今回の演出は成功だったのではないでしょうか。
季節感
私は三軒茶屋に住んでいて地元に行きつけのスナックがあります。
その店は10人程が座れるカウンターと5,6人のボックスが2つある程度の広さです。
この店のマスターは、たおやかな感性をしていて夏はスダレや団扇、冬はモールなどの小物により、こまめにお手製のディスプレーを施して季節感を演出しています。
それが大掛かりなイベント的内装ではない為、うるさい感覚(何か無理やりに夏休みやクリスマスなどをイベントとして押し付けられる感覚)が無く、こじんまりとした空間の店内で自然に、季節感を感じながら楽しいお酒が飲めるのです。
何気ない生活の中で私達は、日の長さを始めとして
『春には桜』
『夏にはひまわりや澄んだ空の雲の流れ』
『秋にはコスモスの花や紅葉』
『冬には雪景色』
などに触れて季節の移ろいを実感しています。
そしてそのことで、時の流れに思いを馳せたりするのではないでしょうか。
私自身はこの季節の変わり目を迎えるごとに、また一つ歳を重ねた自分に気付き、昨日までの自分に反省したり満足したりしています。
そしてこれから来る季節に対して、希望や不安といった思いにはせることを繰り返してきている気がします。
けれども、年々4つの季節を繰り返してくると感動や実感が薄れて日常の出来事になって来ている部分も自覚してしまいます。
広告の仕事をしていると、この季節の移り変わりによって人が動いて売り上げのUPに繋がることから、決まりごとのように内装や宣伝イベントの開催を活用します。
ですから先程のうるさいと表現をした、げんなり感というものをプライベートでは感じるくせに仕事では過剰な季節感UPの表現を使います。
反面で都心では、実際に春から夏にかけて蝶が舞う姿を見てリアルに季節を実感することなどあまり無くて、TVや雑誌、チラシなどで蝶の絵や写真を見て
『あ~もう春だなぁ』
と感じる方もいるのではないでしょうか?
クリスマスなどのイベントは特に、年末の街でツリーやネオンによる装飾を見て気分が高まる方が殆どでしょう。
こう考えると季節を感じることも、やはり『感じる』部分に個人差があり、それは年齢や地域が大きく関係してくる気がします。
若い人程その変わり目が新鮮に移り歳を重ねた方は、なれとは言いませんが日常の1コマになるのかもしれません。
行きつけの店の自然な演出を感じてお酒を飲んでいたら、人工的に作り出す押し出しのキツイ季節感の演出と、さりげない季節感の演出を使い分けることが必要だなと考えてしまいました。