悪党で自由人 松永弾正久秀
前回、戦国時代の三大梟雄と言われた『北条早雲』『斎藤道三』『松永久秀』の3武将の中で、私が一番インパクトを受けて魅力的に感じるのは松永秀久ですとお伝えしました。
今回はその理由と松永久秀がどういった人物であったかをご紹介します。
私が松永久秀に魅力を感じる理由は、この人物が非常に己の欲求に素直であったということです。
人間はことの良し悪しや状況で自己の欲求というものを押えて生きています。
もちろんそれが出来るのは人間が他の動物と違い、知性や理性といったものを持っているからなのですが、それは時として窮屈に感じることがあります。
その点、久秀は時代が戦国という世であったとはいえ、己の欲求に沿ってとんでもないことを次々と行っているのです。
それは茶人や築城といった文化的な価値観から異性への欲求まで幅広く、さらにそれを行うに際しての合理的な判断力なども含めて、非常に高い才能の持ち主であったと思われます。
久秀のはっきりした生い立ちは解っていませんが天文9年(1,540年)頃に三好長慶の右筆となったことが解っています。
この三好家の一文官でしかなかった久秀は、三好長慶が将軍足利義輝と細川晴元を京から一時追放した後に、再び将軍義輝を呼び戻して傀儡として実権を掌握するまでの間に大きな力をつけて行きました。
久秀が三好家の中で力をつけていった経緯には、主君である長慶の弟や子供が次々と死んでいったことがありますが、これらの死は一説によると久秀が関与していたと言われています。
こうして将軍を傀儡として天下の実権を握った三好家ではありましたが、長慶は久秀が行ったであろう親族暗殺により気力を失いノイローゼのような状態になって亡くなります。
すると三好家の実権は、久秀と三好氏一族の重臣であった三好三人衆によって牛耳られてしまいます。
これが久秀の三大悪事として有名な物の一つ目である
『主家乗っ取り』
です。
その後は長慶の死によって、これまでの三好家の傀儡となってきた将軍足利義輝が現状を良しとしなくなり三好家と対立しだします。
そこで再び三好三人衆と手を組んでなんと、言うことを聞かない将軍足利義輝を暗殺してしまいます。
これが二つ目悪事である
『将軍暗殺』
です。
さらに三好家の実権を争う形で、三好三人衆と対立することになるのですが、その際に三好三人衆が東大寺に立て籠もると、大仏殿ごと火をかけて焼きはらってしまいます。
これが三つ目の悪事
『東大寺大仏の焼討』
です。
ですから今の世で世界遺産にも指定されいる東大寺ですが、現在ある奈良の大仏は江戸時代に再建された物なのです。
この後には足利義昭を奉じて京へ上洛してきた織田信長に対して時世の気を見て取り入り、いちはやく降伏します。
その際には信長に九十九髪茄子という名茶器を献上して、恭順の意を示すといった俊敏な対応で世渡りをしています。
信長は徳川家康に久秀を引き合わせた際に
「この老人は全くもって油断ができない梟雄である。彼の行った三悪事には、わしとてかなわん。一つ目は三好氏への暗殺と謀略による主家の乗っ取り。二つ目は将軍の暗殺。三つ目は東大寺大仏の焼討である。常人では一つとして成せないことを三つも成した男よ。」
と言って皮肉っています。
ちなみにこの発言をした信長は皮肉を言っていますが、彼の行動や能力を認めての発言だったようです。
しかし聞いた家康は松永久秀という男を理解する気は、まったくなかったようです。
こんな久秀ですから当然その後に渡って二度も信長を裏切ります。
それでも信長は彼を許していきます。
その理由は私が思うに
◎信長は能力主義者ですから、京都の政治や敵対勢力の三好家に対する久秀の情報価値を考慮した。
◎自分に似た目的に対してぶれない考え方に共感した。
◎茶人として久秀が目利きして収集していた茶器を欲した。
の三つがあるのではないかと思います。
それが証拠に信長は二度目の裏切りにも、名器である平蜘蛛茶釜を差し出せば助命すると言って久秀を説得していました。
しかし久秀はそれを拒絶して、平蜘蛛茶釜と共に立て篭もっていた大和信貴山城の天守閣にて爆薬により自爆して果てたのです。
この時代において自刃することはあっても、自ら爆死というのやはり前代未聞のことでした。
この死に方だけでなく松永久秀という男は、前代未聞、日本初といったおこないが多方面で沢山ありました。
天守閣を城に築いたのも初めては久秀だと言われています。
また久秀は好色で陣中にも女性を連れてことを致していたとも言われていますが、性技指南書なる書物も記していました。
三好三人衆との戦の際には敵方にキリシタンが多くいたのですが、それにより日本で最初のクリスマスを理由にした休戦なども行ったとされています。
ここにご紹介したことはどれも傾いた物が多いのですが、それを実践する基になっていたのは欲求に素直に従うことと、彼の持っていた個別の才能のように感じてなりません。
松永久秀には戦国時代だからこそ貫けた悪党の美学を感じます。
『天下取り』と『下剋上』が戦国時代の真の姿ではない。
戦国時代と聞くと一般的には
◎各武将が天下を目指して争った。
◎誰もが下剋上を目指して身分に関係なく争った。
こんな認識が持たれているのではないでしょうか?
1つ目の天下取りに関しては、過去のブログにおいて領土拡大の戦をする武将はいても天下という発想で戦を試みたのは織田信長くらいである。
それゆえに信長は革命児と言われていると紹介してきました。
では2つ目の身分を無視し誰もが下剋上をおこなっていた。
というのはどうかというと、これも実は戦国という言葉のイメージからそう思われているだけで間違いなのです。
確かにこの時代は下剋上と言った家臣が主家を乗っ取る行為がいくつかはおこなわれ、それが認められてきました。
しかし、誰も彼もが上位者を倒して上に行くことが許されていた訳ではありません。
なぜなら、実際には天皇による冠位の譲呈は公家によっておこなわれていましたし、将軍も権威が落ちていたとはいえ武家の棟梁として存在していたからです。
ただし、現代のように交通や通信の手段が発達していないことから、将軍家などの権威低下はそのまま各地域の指導者達への統率力を奪いました。
その結果、各地で領土の奪い合いが勝手におこなわれ幕府はそれを黙認するしかなかったというのが事実でしょう。
また、その権威の低下も地区やその領主の意識によりまちまちで、上杉謙信のように有名無実な関東管領職というものにこだわり続けて、あくまでも権威を重んじて幕府による体制の復興を考える領主もいました。
ですから領土の取り合いはともかくも下剋上によって主家の乗っ取りをおこなった者は、他の領主からすれば極悪非道な所業であると断ぜられました。
これは他家でおこった下剋上という考え方を認めてしまえば、自分の家中でも下剋上が起こってしまう訳ですから当然でしょう。
このような経緯の中で、下剋上を行って力を伸ばした者達の代表として三大梟雄と言われたのが『北条早雲』『斎藤道三』『松永久秀』の3武将達です。
歴史に興味の無い方でも北条早雲と斎藤道三は、認知度が高いので名前くらいは聞いたことがあるのではないでしょうか?
実は私が思うには歴史ファン以外からは一番認知度が低いと思われる松永久秀のおこなってきたことが、一番インパクトがあり魅力的に感じます。
次回はこの松永久秀についてご説明したいと思います。
経営者の考え方は様々
よく経営者の方で忙しい時には、自分がもう一人欲しいといったことをおっしゃる方がいます。
比較的こういった発言をする方はワンマン経営をしていて、自分の理念なり思った形でビジネスを進めたいとのお考えをお持ちのようです。
これは一つのビジネスにおける形ですから間違っているとは思いませんが、会社や組織の発展を念頭に置いているなら、決して良い考え方では無いかも知れません。
一方で自分で出来ることは自分でやるので、忙しい時にはもう一人の自分でなくて自分に無い能力がある助っ人が欲しいという方もいます。
こういった方は先程の経営者とは逆で、組織を大きくすることを経営理念として合理的に必要な人材を欲しているように感じます。
この考え方にどちらが正しいといった答えはありません。
それぞれが経営理念に沿っての感じ方だといえるでしょう。
ある飲食店へ初めて入った時にメニューを見たら、種類が色々あって注文に迷ったとします。
その時は何が食べたいというのが特に無ければ、どのようにして注文を決めるでしょう。
客の立場からすれば、初めて入った店は何が美味しいかというのは解りません。
そこで店の人に注文を決めてもらう方法をとったことはありませんか?
酒の席なら特に
「お任せで見繕って持ってきて下さい」
「お勧めをお願いします」
といった注文の仕方をすることも多いのではないしょうか?
けれどお店によっては
「そういった注文の受け方は当店ではおこなっていませんので、メニューからお決め下さい」
と言われることもあります。
そんな店の場合は
『メニューを見ても初めての為にどれが美味しいか解らないので頼んでいるのに!』
との思いから、不親切な対応をする店だと感じる方もいるでしょう。
けれど店側にすれば、あやふやな注文を受けてしまうと後々の料理を出した時や支払時に味や値段でもめる可能性があります。
ですから注文はきちんと指定を聞かなければお受けしないといった理由があったりします。
こういったところに、その店の経営者の考え方というのが現れます。
トラブルのリスクとお客様の希望を測りにかけて、お客様の希望を優先する考えの店は『お任せ』や『適当に見繕って』という注文を受けてくれるでしょう。
リスク回避を優先すれば「メニューからお決め下さい」といった対応になるのでしょう。
この経営理念や方針というのは、答えが無く経営者が決めることなのです。
ですから前者のお客様の希望を優先する考え方で、お客様からそのオーダーの受け方を評価されて流行れば成功でしょうし、トラブルの耐えない店になってもその店の責任ということになります。
良くないのは中途半端な対応をすることで、そのお店のカラーがはっきりとしない場合です。
何処にでもクレームを付けたがる人はいますから、どんなカラーのお店を運営しても多少のトラブルは出ます。
けれどもはっきりとした経営方針なり店内ルールなどを打ち出せば、それが結果に繋がります。
もちろんその結果とは店が流行る、流行らないといったことだけでなく、イメージや従業員の態度そして客層などトータルで見た答えです。
就職活動をしている方達は、就職先を選ぶ時には是非この飲食店を選ぶような目で会社の社風や経営者の経営方針などを見ると良いかも知れません。
また独立、起業をお考えの方達は、自分がどのような考え方で運営を行いたいか?
ということをもう一度思い返して見て下さい。
何も理念が無いのであれば、昨今の不景気のなかで無理に独立や起業することは思い留まった方が良いかもしれません。
クラッシュアンドビルド
『ひな壇芸人』
という言葉が脚光を浴びてしばらくたちますが、今や普通に受け入れられています。
その影響で大勢のキャストで行うトーク番組でも、後ろにいる人達を皆が意識して観るようになってきました。
場合によっては前列のメインキャストよりも意識してしまうまくらいです。
この
『ひな壇芸人』
という言葉はアメトークという番組でバラエティートーク番組のひな壇で後ろに座る、その他大勢という位置にいた芸人特集が組まれて生まれた言葉です。
いわゆるガヤ芸人といわれる、にぎやかしでキャスティングされていた品庄や土田輝之などが、どうしたら前列のメインキャストに絡んで話しに加わったり、オンエアーでカットされずに画面に自分達の存在をのこせるかといった裏テクニックを疲労したのが切欠で世に広まりました。
ですからこの話の本質は楽屋落ちを表に出したことなのです。
そして表に出したら世間が認めて認知されたということです。
これと似た例で、スーパーで牛乳などの賞味期限がある商品は一日ごとに新しい物が入荷されるとその新しい商品を陳列棚の奥へ置き、古い商品を前に出すというのがあります。
この行為は店側の裏事情で古い商品からはけて行き、商品の循環をよくしてロスを避ける販売テクニックでした。
しかしスーパーの販売術といった内容で世間にこの楽屋話を伝えてしまった為、今ではほとんどの消費者は理解してしまい、買い物をする際は後ろの商品から買うといったことが当たり前になっています。
このように物事の楽屋裏を見せることで、従来の物事におけるルールが通用し難くなり崩壊するといったことが沢山あります。
私自身は、こうして物事というのは皆に理解されながら成熟して行く物だと考えています。
ルールや慣習に絶対は無いと思っているので常に、新たなルールや手法を確立していかねばと感じています。
そのことで新たな価値観や本質的な物が見えてきて物事は成熟するのでしょう。
厳しく言ってしまえば、この変化に新たな手法が生み出せず崩壊してしまうジャンルや物は、そこまでの物でしかなく本質的な価値は乏しく一過性の物だったのだろうとも感じます。
しかし一度出来たルールや手法で利を得たり答えを出した人は、その変革にブレーキをかけます。
当然に既得権益は守りたいと考える訳けです。
この保守派と改革派の戦いというのが物事の変化の本質といえるでしょう。
私は大きな眼で見た時に物事には
『クラッシュアンドビルド』
という考え方が必要だと考えているので
『守ること、変えること』
も大切だと思いますが、明らかな矛盾が生じる事例については
『壊すこと、作ること』
に意識がいきます。
やはり戦国の世でこの
『クラッシュアンドビルド』
をおこなった織田信長という人物に大きな影響を受けているのだと思います。
大きなことを書きましたが、実際のところは信長ほど大きな器では無い為に小さなことに拘ってしまいますから、こうありたいとの願望かもしれませんけれど。
戦国時代の贈り物
プレゼント付き広告というものがあります。
景品やノベルティグッズに社名などの広告を入れて配ることでレスポンスを上げる手法です。
このプレゼントによりコミュニケーションを図る方法というのは戦国時代にもありました。
有力な大名や殿様に価値ある物を献上することで、相手との好を通じて戦を避けたり同盟の絆を強めるといったことを図ったのです。
また家臣が自らの地位を安泰とするために献上品を送るといったことなどは、今も昔も変らないといえます。
織田信長は天下統一に向けて自らが中央に進出する際に、四方を敵としている時期がありました。
さすがの信長もそのような状態では身動きがとれません。
そこで信長は東の武田信玄や上杉謙信と言った、当時最強の軍備力を誇る武将達との軋轢を避けて西へ向かう為に再三に渡って贈り物をしています。
武田信玄へ贈られた物などは、その器にまで気を使い漆塗りの物を使用しました。
この器に信玄は目を止めて家臣に漆器を削らせてみたといいます。
するとその器は何度も漆を重ねて塗られた極上品であった為、贈答品に対して器にも気を使う信長という人間に感心して心を許したとの逸話もある程です。
また権力者に対して献上品を送るというのは誰もが行うことでしたので、ありきたりな物を送っても効果がありません。
四国の大名長宗我部元親は、豊臣秀吉が天下統一の最後に行なった小田原征伐に際して水軍を率いて参加しましたが、その前年まで秀吉に服従することを拒んでいた為、四国討伐を受けていました。
そこで元親は今後の秀吉の覚えをめでたくする為にと、度肝を抜く物を献上して皆を驚かせました。
なんとそれは鯨でした。
浦戸湾に迷い込んだ鯨を捕獲して100人以上の人夫を使い大坂城へ丸ごと持ち込んで献上したのです。
これには秀吉や大坂へ集った諸大名も驚き一気に元親は名を上げました。
この時代では、象の献上というのはありましたが丘へ引き上げた丸ごとの鯨というのは最も大きな献上品といえたでしょう。
また変った献上品としては、宣教師から信長へ贈られた黒人というのがあります。
この当時の世界は大航海時代といわれていて、海を渡って領土を侵略し現地の人達を奴隷化するのが当たり前の時期です。
この黒人男性も奴隷として信長に献上をされたのでした。
しかし、信長という人は合理主義者ですから始めは見たことの無い、肌の色が黒いこの人間をまがい物と考えました。
肌に何か黒い物を塗っていると疑って彼の肌を家臣に洗わせました。
そして、いくら洗っても白くならないことでまがい物でないと理解をすると、今度は彼を色の黒い人間と認めて家臣とします。
禄と『ヤスケ』という名を与えて武士として扱ったのです。
ここが信長が他の人達と違うところです。
皆が黒人の存在を知らずに、他の生き物と同様に扱った時代に彼だけは、色が黒いだけで一人の人間であると直ぐに理解したのです。
そして、であるならば家臣として貰い受けようと考えたのです。
またヤスケの黒人独特の身体能力の高さにも信長は目を付けました。
元々が能力主義の信長です。
この優れた運動神経を持つヤスケを、いずれは正式な武将にするつもりだったとも言われています。
このことでヤスケ自身も、奴隷としてではなく家臣という人間扱いをする信長に心服して非常に素直に従ったとされています。
このヤスケは信長が本能寺で明智光秀に打たれた際も、側近として側から離れずに信長を守る為、明智軍と戦っています。
このように戦国時代には変った献上品が多くありました。
このことは何時の世においてもプレゼントをされると、人は喜んで贈り主に心を許すものだとの証明では無いでしょうか。
ただし贈り物攻撃で好きな人を射止めても、その後に
『釣った魚に餌はやらない』
では男女の仲では効き目が薄いかもしれませんので気をつけましょう。
他を理解するという縦の糸
メディアの発達に伴い情報化社会と言われて久しいですが、多様な情報が巷に溢れ返っている世の中なのに、実は私は個人の持っている情報量はそれ程多いとは感じていません。
当然、知識レベルも情報の量と比べて高い水準だとは到底思えないのです。
これは何故なんだろう?
と考えてみました。
これだけ情報量が多いと個人レベルでは必要な情報とそうでない情報を自らの価値観に合わせてチョイスすることになるのでしょう。
そして全体としては、それ以外の関係無い情報は無駄な物として受け流しているように感じます。
何故そう感じたかというと広告という形で、商品の情報を提供する側にいる私自身が、より効果を上げる為に世代やその商品を必要とする環境の人達へと絞り込んで発信している側面があるからです。
要するに送り手側は多くの人達の中でターゲットを絞り込んで情報を発信していて、それを受ける人達も多くの情報の中から自分が欲しいと思う情報だけをチョイスしているということです。
したがって個別の情報と特定の人達が狭い範囲の情報交換をしていて、その情報交換のライン数は小さな物から大きな物まで多様にあると言えるでしょう。
これがある意味で価値観の多様化を引き起こしている原因かもしれません。
こういう書き方をすると価値観の多様化が悪いことのように思われるかもしれませんが、様々な価値観が認められ多用な認識が通用するということはカルチャーの発展や豊かな社会を作り、とても良いことだと認識しています。
ただしそれは、全体を把握する力がないと世代や各価値観により分離された溝がある社会を作ってしまう恐れを感じます。
言ってみれば、価値観や世代という横の糸は沢山あるのですが、それをつなぐ縦の糸が無い状態を作り出します。
横線だけを沢山引いていくと平面においてはそれが面となります。
それが今の社会と言えるかもしれません。
しかしその社会という面は、あくまで横線だけで作られた世界です。縦の紡ぐものが存在しないので、その平面を立てるとバラバラと崩れてしまう危うい世界です。
価値観というのは多様なものですが、複数存在する価値観を共存させるには、その互いの価値観同士をつなぐ為の
『他を理解する』
という価値観も有しないとなりません。
これが今の時代は希薄な為に各家庭化、格差社会、ザブカルチャーの発展などの現象を起こしているといえるでしょう。
私は実は世の中で起きていることは押しなべて、同じ土壌で語れると感じています。
よく政治や思想、人生観などを話すと
「難しい話はするなよ」
と言われたり、少し下ネタを話すと極端に嫌な顔をされることがあります。
もちろんTPOはありますが、私の中ではこれらは繋がっていて一つの話だったりします。
『政治→少子化問題→結婚→夫婦のいとなみ』
と全て繋がっています。
下ネタなどのジョークが好きな人は
「難しい話は止めて○○しろ」
なんて下世話なジョークオンリーで場を作ろうとします。
その逆で政治や人生観を語るのは好きなのですが、少し下世話なところへ話が行くと露骨に相手を軽蔑する方もいます。
もちろんその人の倫理観や好みは尊重したいと思いますが、繋がっている話を個別に割いてその価値観しか受け付けなければ、全体は見えません。
『恋愛』と『結婚』は別物だと声高に言う人も多いですが、それは当たり前でのことで強調して言うことでもないだろうと思ってしまいます。
むしろ別物だけれども、かなり近いところに位置するこの2つの価値観をどう繋いでフラットに考えながら2人が幸せになるか?
を考えるべきだと思うのですが、どうしても『恋愛』と『結婚』を別物して合理的に考える方が上手く行くと思っている人が多いようです。
※または、そう考えなければ幸せになれないと思っている人かもしれません。
せっかく多くの情報が得られる時代なのですから受け手側がもう少し柔軟に物事を捉えて、
『他を理解する』
を覚えれば、情報に左右されるのではなくて包括して受け止められてその結果、豊かな価値観による人生が送れるのではないかと感じます。
マンパワーによる業務
チラシという広告媒体は、チラシ自体を表現方法やアイデアの活用によってクオリティの高い物に仕上げても、即レスポンスに繋がるという単純な物ではありません。
それは何故かというとチラシのクオリティを上げても、肝心なユーザーへとチラシが届くまでの間にはマンパワーを活用した非常にアナログな世界が介在しているからです。
チラシが目的の場所や人へと届く際には必ず人間の手による『配達』や『手渡し』という行為が必要だということです。
何百人から何万人、場合によっては何十万人の手元へチラシが配られるといった行為は、全て人によってなされるのです。
デジタル化された現代においてミスというのは、機械のエラーやシステムによる不具合といったことが原因で起こる物との認識が一般的です。
しかしマンパワー(労働力)による行為で起こるミスは、人の『怠慢さ』『勘違い』といった事によるヒューマンエラーが主になります。
機械の故障やルールによる不具合は修理や修正をすれば改善されますが、マンパワーによる業務はその業務につく個々の人材が失敗をしないように注意するしかありません。
ですから、そこには人材教育という物がどうしても必要になります。
配達や運送であれば時間内に物を一定量届ける為のノウハウや、交通事故を起さないようにする注意力が必要になります。
接客業であれば、お客様とのコミュニケーション能力が必要です。
そして何よりこれらの仕事を行う人材一人一人の責任感と言った意識が重要になってきます。
この意識というのは機械を扱う場合のように、コードとコードを繫げばこうなる。
といったものと違って、こう考えましょうと言っても個人が納得や理解したかは実際に作業するまで解りません。
また、物と人では権利や責任が違います。
例えば販売する商品が物であれば、売れなかった場合は在庫として保管して置けますが労働力が商品であれば、仕事が無いから休めと言ってしまうと労働者は収入が途絶えるので、他の職場へ移ってしまいます。
したがって、一定量の業務の確保が必要です。
業務量と作業人員の調整は、一般の物販における仕入れと在庫の調整以上に難しいといえます。
店舗などによる接客業であっても顧客の増減に合わせて、スタッフの人員シフトを調整する際に苦労をするのはこの為です。
ですから人材教育とその人数確保が出来ていないままチラシ配布を行うと、いくら良いチラシを作っても
『ユーザーの手元へ届かない』
『配達員がコミュニケーション能力に欠けてユーザーと揉める』
などの原因でレスポンスが得られなかったり、イメージダウンの逆効果を生むことになります。
最近はこの不況下で世間に労働者余りが生じています。
その為に、この配布業務という仕事を比較的安易に考えて起業する方も増えています。
チラシによる販促をお考えになる皆さんは、
『チラシのソフトとしてのクオリティ』
『配布という流通システム』
『人材教育』
という、3つのポイントを考慮することでより良い販促を行って欲しいと思います。
開戦!小牧長久手の戦い
使者の話にざわつく中、家康が口を開いた。
「数正よ!まだ使者殿の話は終わっておらぬ。口を挟む出ない」
動揺して問い返した数正の発言を抑えるその声は強い口調であったが、表情は相変わらず笑を絶やしていなかった。
「使者殿よ先を続けられよ」
にこやかな笑みを数正から年配の使者へ向けて家康は話の先を促す。
「わが殿、織田信雄はもはや秀吉の主家をないがしろにする振る舞いに、我慢ならぬと申して羽柴秀吉を討つと申しております」
今度は忠勝が使者の話しに割って入った。
「秀吉殿を討つとなっ!信雄様は本気でござるか?」
「控えよ忠勝!」
忠勝の発言に少し大きな声で制した家康の表情からは笑顔が消えていた。
「そちらはわしが使者殿の話を最後まで聞こうとしておるのが解らんか!わしが気が短いことなど解っておろう。二度と話の腰を折ることまかりならん!解ったか!」
そう言うと今度は使者達に向かって話し始めた。
「使者殿達もそうじゃ!わしが、ありていに申せと言っておるのじゃから用件を早よう言わぬか」
その家康の豹変に若い二名の使者が振るえ出したが、年輩の使者は一呼吸おいて家康の目を見て話し出した。
「では申し上げます。わが殿、織田信雄は秀吉征伐に起つ所存にございます。然るにわれら織田家家臣はここに至る迄、このままでは織田家を秀吉に乗っ取られてしまうは必定と考え、徳川様と力を合わせて秀吉対策を講じたいと願って参りました。そのこと、既にご理解頂いておるものと存じ上げますが如何にございましょう」
真っ直ぐに目を逸らさず話す年輩の使者の質問に家康も目線を逸らさず答る。
「そうであったかもしれんのう・・しかし、信雄様はその方らの苦労が解らずに秀吉の策にはまったようじゃのう」
やや嫌味な表情をした家康は話し終えて目線を使者から数正に移した。
今度は和正がそれを察してすかさず口を開く。
「あいや、お話に割って入ることお許し下され。ご使者殿よ、ご無礼は承知で申し上げるが、信雄様が三家老をお切りになったことは織田家中にて・・ご・ご乱心との見方は無いのでござろうか?」
数正は信雄を織田家中が見限り下剋上を促すことで、早すぎる秀吉との開戦を避けることを考えていた。
「無礼を申されるな!我ら織田家の者は殿がお決めになった秀吉討伐を、主命に従い行なうにこれ違わず。ついては・・家康様に伏してお願いを申し上げまする。もはや頼れるのは、亡き信公の盟友でござった家康様しかございません。何卒・・何卒、共にお起ち頂とう存じまする!!」
ひれ伏す使者達を横目にして家康は、榊原康政、本多重次、本多忠勝、石川数正の順で一人ずつ視線を投げかけていった。
その都度、目線の合った者達が小さくうなずく。
しかし最後の数正だけは首を横に振ったのだった。
どの位の無言の時がすぎたのであろう、ひれ伏す使者達にはこの時の流れが永遠に続くように感じられていた。
家康は大きく息を吸い込むと決断を口にした。
「よいだろう、使者殿のお言葉承った。この家康、信長公には並々ならぬ恩があり申す。徳川家は信雄様と共に秀吉征伐に起ちましょうぞ」
遂に本格的な羽柴と織田、徳川連合の戦がここに開戦となったのである。
『天下の調整役』 豊臣秀長
前職でファミリーレストランに勤めていた社員が私の会社にいます。
彼が面白いことを言っていました。
よく『お客様は神様』だと言うがこれは少し違って『お客様は殿様』だと考えて接客に勤めるよう心がけていたと言うのです。
なるほど、面白い例えだと思いました。
相手が神様ではどんな間違った言い分でも聞かなければなりません。
これが殿様の場合は少し違ってきます。
どんなことでも受け入れて指示に従うのが当たり前なのは変りませんが、それがあまりに理不尽であったりお家の為にならない事であれば重臣が諌めることも許されます。
もちろんその諌め方が悪ければ手打ちにあうこともありますから、状況に応じてのことです。
それでも神様と比べれば間違うこともあり、それを正す為の意見を述べる余地があるということです。
出来る限り主君の意に沿うように事を運びながら間違いを諌めることが重臣の役目ともいえたでしょう。
飲食と言う最も顧客と近いところで商売をしてきただけに、説得力のある表現だと感心しました。
何でもお客様の言うことを受け入れるだけが商売の基本では無く、お客様に気持ちよくお金を払って頂きながら無理な要求には理解を求めることが大切だと改めて感じる話でした。
しかし実際には、神様でなく殿様であっても中々意見をするのは難しいことに変りありません。
戦国時代の殿様と重臣における関係でも上手に主君を諌めて家中をまとめられる者がそうそういた訳ではありません。
そんな中で主君を諌めながらことを進め、その主君を天下人にまで押し上げた人物がいます。
その人は豊臣秀長です。
そうです、あの豊臣秀吉の弟にして大和大納言と称された人物です。
秀長は秀吉の弟であったことを差し引いても、よく主君である秀吉を立てた上で諌めるべきところは諌めるといった言動を徹底しておこないました。
その結果『天下の調整役』といわれて豊臣政権の中心を担った人物でした。
天下統一の最終期において中国、四国、九州の制圧を先頭に立って実際におこなったのは全て秀長でした。
しかしその制圧が最終局面になるとその都度、秀吉を呼び寄せて成果を秀吉の指示としてまとめています。
世間に対して自分が平定したのではなく、兄である秀吉が治めた事と知らしめる為です。
そうした実績の基で、秀吉が本来持っている『出世欲』や『ことを急ぐ気質』から軽挙に出る時は
「それはおやめなされ、今後の評判に差し障りますぞ」
「和睦や臣下の礼を求める者には、処分は軽減してお命は救いなされ」
といった進言をしていました。
秀吉にすると気持ち良く手柄に酔い、自分の我がままにブレーキをかけてくれることで物事が上手くいったのですから言う事なしの存在だったでしょう。
彼ほど自分は引いて主君を前面に立てながら、事を行なった武将は珍しいといえます。
それは、秀吉の弟でありこの地位まで上り詰めながら後世にはその名がほとんど伝わってはいないことでも解ります。
今でこそ前記した事実を秀長がおこなったことは皆に知られていますが、江戸時代から昭和の初期までは豊臣秀長の存在は、一般には知られていませんでした。
彼が世に知られる人物となったのは、堺屋太一による
『豊臣秀長―ある補佐役の生涯』
という本が出版されたことに起因して世間が彼に興味を持ち、その業績を調べて行ったからです。
戦国時代においてはさすがに秀長の名が世に出ないことはありませんでしたが、その後の江戸時代になると徳川家によって豊臣政権における情報や伝聞には規制がおこりました。
ですから秀吉を補佐した秀長の名や業績は、表に大きく出てこなかったのです。
このことは規制がかかれば表に出ない位に、自分は影となることを徹底していた証といえます。
にも係わらず秀吉補佐役として諫言することはしっかりとする。
そんな重責をこなしていたのです。
秀長の存在がいかに大きかったかは秀長の死後にはっきりと現れます。
秀長亡き後は、誰もが天下人である秀吉に意見を言えない状況が起こります。
その為に
『利休の切腹』
『関白豊臣秀次の罷免と切腹。その後の秀次親族に対する粛清』
『朝鮮出兵』
『文官と武断派の確執』
などが立て続けにおこります。
これは秀長が抑えてきた、秀吉の性格における負の部分が表に出た結果といえます。
こうして秀吉晩年の豊臣政権は弱体化して行き、自らの死を持って家康に取って変られることとなりました。
冒頭に書いた『お客様は殿様である』という考えで接客をするのならば、この豊臣秀長という人物から多くを学ぶことが出来るのでは無いでしょうか。
押尾学の生き方とインチキ商品の販売って似ていない?
押尾学さんが薬物使用で逮捕されました。
漏れ聞く彼の過去の言動から、いつかこのようなことになるんじゃないかと思っていました。
彼の過去にしたとされる発言には驚く?というか呆れるものが多数あります。
『押尾学の学は、オレが何かを学ぶんじゃなくて、おまえらがオレから学ぶってことなんだ』
『オマエらが今付き合ってる女はオレと付き合えないから仕方なくオマエらと付き合ってるんだ』
『ロックとか、パンクじゃなくて、押尾学というジャンル』
※THE傲慢!お前は何様だ?
『石原知事と、連れションしたことがある』
※これ野外なら犯罪ですが・・しかも相手が石原都知事って何故に??
『人生に必要なものは3つある。愛と友情だ』
※あと1つはいったい・・
『1日が24時間って、誰が決めたんだ?』
※誰も決めてません、現実です。
『ハートで勝負するなら、俺の生き方はロイヤルストレートフラッシュ』
※ハート以外でもこの役は出きるんですけど・・
『未来から来たターミネーターなら、俺の音楽を正当に評価できるかもね』
※ターミネーターじゃないと理解出きないってことですね。
etc・・
何処まで本当に彼が発言したのかは解りませんが、これだけ色々言ったとされるからには近いことを普段から口にしていたのでしょう。
けれどこんな発言を繰り返して素行不良の行動を繰り返す彼が、女性にはとてもモテたんですね。
普通であれば素行不良な上、尊大で愚かな言葉を次々に口にして女性関係も派手な人に何故?
と思うのですがそんな彼がカッコイイと感じてしまう女性が確実にいる訳です。
これって雑誌などで宣伝されている開運グッズやダイエット商品がトンデモ説明やキャッチを使っているにも係わらず、次々と売れているのと同じ事なのでしょう。
『自信満々に大きな事を言う』と、ありえない事でも信じてしまう人が多いということなのです。
私の場合は、何かを信用する時にはその事に根拠があるかどうかで決めています。
けれどそれを説明する相手の態度という本質とは違う要素で、信用するかしないかを決めてしまう人が沢山いるのも事実です。
そんな人達を狙って次々と胡散臭い宣伝や言葉でおかしな商品の販売をしたりする輩が、雨後の筍のように現れると全体としての社会の成熟度の低さを感じずにはいられません。
もちろん大口を叩いて自分を大きく見せたり、インチキ臭いことを堂々と謳って物を販売するのは言語道断ですが、それを受け入れる側の意識についても疑問を感じてしまいます。
大人が子供に注意をしないとその子供は増長して行く様に、明かにおかしい事や態度を受け入れることも、そういった人達を蔓延らせることに繋がるでしょう。
真実を見抜く眼というのを鍛えたいものです。