戦国時代の贈り物
プレゼント付き広告というものがあります。
景品やノベルティグッズに社名などの広告を入れて配ることでレスポンスを上げる手法です。
このプレゼントによりコミュニケーションを図る方法というのは戦国時代にもありました。
有力な大名や殿様に価値ある物を献上することで、相手との好を通じて戦を避けたり同盟の絆を強めるといったことを図ったのです。
また家臣が自らの地位を安泰とするために献上品を送るといったことなどは、今も昔も変らないといえます。
織田信長は天下統一に向けて自らが中央に進出する際に、四方を敵としている時期がありました。
さすがの信長もそのような状態では身動きがとれません。
そこで信長は東の武田信玄や上杉謙信と言った、当時最強の軍備力を誇る武将達との軋轢を避けて西へ向かう為に再三に渡って贈り物をしています。
武田信玄へ贈られた物などは、その器にまで気を使い漆塗りの物を使用しました。
この器に信玄は目を止めて家臣に漆器を削らせてみたといいます。
するとその器は何度も漆を重ねて塗られた極上品であった為、贈答品に対して器にも気を使う信長という人間に感心して心を許したとの逸話もある程です。
また権力者に対して献上品を送るというのは誰もが行うことでしたので、ありきたりな物を送っても効果がありません。
四国の大名長宗我部元親は、豊臣秀吉が天下統一の最後に行なった小田原征伐に際して水軍を率いて参加しましたが、その前年まで秀吉に服従することを拒んでいた為、四国討伐を受けていました。
そこで元親は今後の秀吉の覚えをめでたくする為にと、度肝を抜く物を献上して皆を驚かせました。
なんとそれは鯨でした。
浦戸湾に迷い込んだ鯨を捕獲して100人以上の人夫を使い大坂城へ丸ごと持ち込んで献上したのです。
これには秀吉や大坂へ集った諸大名も驚き一気に元親は名を上げました。
この時代では、象の献上というのはありましたが丘へ引き上げた丸ごとの鯨というのは最も大きな献上品といえたでしょう。
また変った献上品としては、宣教師から信長へ贈られた黒人というのがあります。
この当時の世界は大航海時代といわれていて、海を渡って領土を侵略し現地の人達を奴隷化するのが当たり前の時期です。
この黒人男性も奴隷として信長に献上をされたのでした。
しかし、信長という人は合理主義者ですから始めは見たことの無い、肌の色が黒いこの人間をまがい物と考えました。
肌に何か黒い物を塗っていると疑って彼の肌を家臣に洗わせました。
そして、いくら洗っても白くならないことでまがい物でないと理解をすると、今度は彼を色の黒い人間と認めて家臣とします。
禄と『ヤスケ』という名を与えて武士として扱ったのです。
ここが信長が他の人達と違うところです。
皆が黒人の存在を知らずに、他の生き物と同様に扱った時代に彼だけは、色が黒いだけで一人の人間であると直ぐに理解したのです。
そして、であるならば家臣として貰い受けようと考えたのです。
またヤスケの黒人独特の身体能力の高さにも信長は目を付けました。
元々が能力主義の信長です。
この優れた運動神経を持つヤスケを、いずれは正式な武将にするつもりだったとも言われています。
このことでヤスケ自身も、奴隷としてではなく家臣という人間扱いをする信長に心服して非常に素直に従ったとされています。
このヤスケは信長が本能寺で明智光秀に打たれた際も、側近として側から離れずに信長を守る為、明智軍と戦っています。
このように戦国時代には変った献上品が多くありました。
このことは何時の世においてもプレゼントをされると、人は喜んで贈り主に心を許すものだとの証明では無いでしょうか。
ただし贈り物攻撃で好きな人を射止めても、その後に
『釣った魚に餌はやらない』
では男女の仲では効き目が薄いかもしれませんので気をつけましょう。