新暦で正月を祝うのはアジアでは日本だけか? 


日本でも明治以前は旧暦で正月を祝っていたのだが。


で、妻が台湾人ということもあり、我が家では、新暦と旧暦の両方の正月を祝う。


つまり年に2度正月がやって来ることになる。


と言っても旧正月中は普段通り仕事があるし、あくまでも家庭内だけ正月気分。




新年の挨拶をしおうと、さきほど台中の義母へ電話したところ•••


ジャリジャリジャリ〜という牌を弾くけたたましい音が聴こえてきた。


そう、一家総出で麻雀を興じていたのだ。


新年の挨拶もそこそこに、義母に「今麻雀しているから!」と言われ、塩対応されてしまった😢


で、その時送られてきた写真。

メガネをかけているのが姪っ子(二十歳)で、すでに幼少期から麻雀に興じていた。




プロの料理人である義弟が作った年菜(台湾版おせち)



来年の旧正月は久々に台湾で迎えたいとつくづく思った次第。


ただし、麻雀はやらなくてもいいが。

仙台駅西口から徒歩10分の「仙台トラストタワー」


高さ180m、地下2階、地上37階建ての、北海道を含む北日本では最も高いビル。



28階〜36階は某外資系ホテル○ェスティンの客室。



31階客室から望む仙台夜景。

この夜景が見たくて、年に一度は北日本一のノッポビルへやって来る。

高層階から眺める仙台の夜景は、なかなかオツなもんだな。


翌日の朝、大観音様を撮影するも、これがスマホ撮りの限界か。


31階から眺める地上はジオラマの世界だった。


交差点を行き交う人々がアリの集団に見えてくる。

車はまるで模型やオモチャのようだ。

2025大阪万博から帰仙して。


万博を訪れた3日間、在阪中を含め計4日間に渡り、写真を大量に撮ったがゆえに、UPするのを忘れたものが多々ある。その一つが来阪初日、伊丹空港で食したとんかつ定食。

使っている肉が、なんと宮城県産の三元豚だった。

大阪で故郷の豚肉を味わえるとは望外の喜びである。


柔らかい肉に舌鼓を打つ。うまし、うまし。

この在阪中、とんかつを2回食したが、とんかつの旨さを再認識した次第。五十路半ば過ぎた頃から牛肉よりも豚肉を好むようになったことも一因だが。




巡った数々のパビリオン

10月1〜3日の3日間をかけて55年ぶりの万博を駆け巡った。


以下巡った各パビリオン。

1日目、オーストラリア館、インドネシア館、シンガポール館。


2日目、UEA(アラブ首長国連邦)館、ポルトガル館、ブラジル館、コモンズC、コモンズB。


3日目、トルクメニスタン館、テックワールド(台湾館)


あの混雑で、この数のパビリオンを巡れたのは上出来だと思う。



万博会場最寄駅•夢洲駅のコンビニでゲットしたミヤックンたち。



後ろ姿もめんこい(かわいい)



美しいものは芸術ではない

1970と2025、両万博のレジェンド。


美しいものは芸術ではない。「なんだこれは?!」と驚くもの、奇想天外なものこそ芸術であると生前語っていた岡本太郎もミャックンを見たら認めてくれ、喜んでいたことだろう。



1970と2025の2度の大阪万博に行けたわたくしは、ほんと幸せ者である。


わたくしが生きている間、今後自国開催の総合万博はもう巡って来ないだろう。



帰仙したその夜、今回万博に同行していただいた大阪のブロ友しゅしゅさんが551蓬莱の肉まんとシュウマイが送ってくれ、仙台の自宅に届いた。


玉ねぎの甘みがアクセントになっており、この味はクセになる〜 うまし、うまし!


しゅしゅさん、ありがとうございます🙏


一月二日、鹽竈(しおがま)神社へ初詣。


正月二日目でもこの混雑ぶり。牛歩の如くゆっくりと進む。





旧字体は味わい深く美しい。

わたくしが台湾と出会った13歳から慣れ親しんできた旧字体の繁体字(正字)なのがうれしい。日本でも戦後しばらくは旧字体が主だったはず。



笑っている。めんこいな。


早咲きの桜が開花していた。




初詣ついでに訪れた神社間近にある旧亀井邸


総合商社カメイの初代社長亀井文平が大正13年(1924年)建築。




一気に大正時代へタイムスリップ。






コウモリを象った亀井商店の社章。


襖の引き手もコウモリ型🦇



これはこれは懐かしい座卓。祖母の家にも威風堂々鎮座ましていたのを思い出す。やはり和室には座卓が似合う。


わたくしの好きな作家の一人、西洋人初の日本語作家リービ英雄さんの書斎も座卓で原稿を書いている。おまけにパソコンを使わず昔ながらの手書きによる執筆。



正月中なのに、すでに雛人形が飾られていた。通年飾っているわけではないと思うが。






初詣と大正時代の日本家屋を堪能し、大満足なり。


時は10月3日


55年ぶりに訪れた万博は、今回3日間に渡り各パビリオンを巡り、いよいよもって今日が最終日。


今日を逃したら、きっと後悔するだろうとの想いで、事前予約できなかったTEC WORLD(台湾館)へ向かう。「何時間待っても入るんだ!」という強い決意で。

大人気パビリオンだけあって長時間待つことに。2時間半は待っただろうか。それも愛する台湾に触れ、感じ入るためなら我慢できる、我慢できる、我慢できる。


今回の万博では待ち時間が長く、ご一緒いただいた大阪在住のプロ友しゅしゅさんが用意してくれた折り畳み椅子が大いに役立ち、楽チンで待つことができた。しゅしゅさんに改めて感謝🙏


この「TEC WORLD」の名称に込められた、秘められた意味を後々知ることになる。




待ちも待ったり、やっとこさ入ることができた。


台湾島をイメージした立体骨組。






タブレット上の蝶を触ると、中央のモニターに蝶が飛んでいく仕組み。


台湾最高峰3,952mの玉山。

年配者には新高山(ニイタカヤマ)と言ったほうがピンと来ると思う。


デジタルアートに暫し見惚れる。



台湾経済の生命線•••半導体。





台湾は世界に冠たる半導体王国。(一昔前は日本だったが)





TEC WORLDの名称に込められた意味とは•••



TECH WORLD

TECH WORLD

TECH WORLD•••頭の中で何度も復唱する。


ああ、そうだったのか!

TECH WORLD•••なぜこの名称にしたのか合点がいった。


55年前の「1970大阪万博」を最後に、国として総合万博に参加していない台湾。


1971年アルバニア決議により国連から追放され、それ以降、国際的行事において国名や国旗を掲げられない。


それでも台湾の存在を示したいとの強い想いが、この名称「TEC WORLD」に如実に込められている。


TEC WORLD、それぞれの頭文字はTW

TWは台湾の略式国名コード。日本ならJPNまたはJP。


そう「TEC WORLD」この名称自体が台湾そのものを表しているのだ。


あからさまに国名を掲げられない故の苦肉の策。というよりは、実に妙案でナイスネーミングだと思う。あっぱれ!


これで、なぜTEC WORLDの名称にしたのか、やっと解けた次第。


国際社会における台湾の立場は弱いが、それに屈しない台湾の気概と意思表示が「TEC WORLD」の名称に込められている。


また、中共政府がクレームの入れようがない、お見事なカウンターパンチを彼らに喰らわせた形だ。





TEC WORLDの見学を終え、万博を巡る旅最終日の締めメシはカツ丼(カツが立っている!)ガッツリ系で大満足なり。うまし、うまし!




これで万博は見納め。なんとも名残り惜しく大屋根リングを後にする。2025万博よ、サヨナラ!


次回2030年の総合万博はサウジアラビアの首都リアドで開催される。その時わたくしは還暦半ばだ。気が遠くなる。




土産があった。

で、TEC WORLD(台湾館)で来館者に配られた帽子。日によって配られるものが異なる。これは記念になる。


万博から帰仙後、もったいなくてまだ使っていない。

あ、そうだ、んだ、んだ、次回訪台時に使うべ!



つづく

55年ぶりに訪れた大阪万博。

閉幕してから1ヶ月半経過したが、今もこうして記憶·記録·思い出を綴っている。



10月2日(木)

万博2日目の続き編




ブラジル館

予約なしで入れた。


予約なしの、行き当たりばったりのパビリオン巡りも楽しみのひとつであった。



森をイメージしており、独特の世界観だ。









地球の肺アマゾン熱帯森林の危機

二酸化炭素を吸収して酸素を生成排出しているアマゾンの熱帯森林は地球の肺と呼ばれている。


それが現在、大豆畑の拡大や違法伐採により、元来の森林面積の15パーセントが消失。これは日本の国土1.1倍に相当する。


近い将来アマゾンが「地球の肺」と呼ばれなくなるかもしれない。



未来食堂

海老天タルタルサラダうどん


プラジル館を出たあと遅めの昼食に「未来食堂」へ寄り、来版して初のうどんを食す。10月初旬の大阪はまだ暑く、冷たいうどんは食が進み、まことにうまかった。



コモンズCへ

数ヶ国が共同で展示するコモンズ館。一気に数ヶ国巡られるので得した気分だ。



イスラエルに関心があるので入ろうとしていたところ、予想もしていなかったことが•••


なんと「贖罪の日」により終日閉館であった!

こういうことがあるとは思いもよらなかった。残念〜

気を取り直して次へ。



コモンズC

ジャマイカ



人類最速の男ウサイン•ボルトとツーショット。

2009年ベルリン世界陸上で打ち出した100m走9秒58と200m走19秒19の世界記録は未だ破られていない。


「大阪の妹」と呼んでいる友人しゅしゅさんとかみさん。


「レゲエの神様」ボブ•マーリーもいた。

1981年36歳の若さで亡くなった彼もジャマイカ出身。




夜の帳が下りる頃







ミャックンよ、次回君に会えるのは万博記念公園だ。

会場の顔だったミャクミャク像が来年大阪吹田市の万博記念公園へ設置されることになり、これでまた来阪する理由ができた。


当初、キモいだの醜いだの散々言われていたが(わたくしもそう言っていた一人だった)時の経過とともに、よくよく見てみると、愛嬌があって癒し系のミヤックンにいつの間にかゾッコンになっていた。


ミャックンよ、めんこいな〜



夜恒例の打ち上げ花火に見惚れながら、本日これにて散開。



つづく


連載中の2025大阪万博関連記事を一時中断。



わたくしの日課としている散歩や散策。今それが安心して出来ず、控えていた。


仙台郊外の台原森林公園

自然豊かなこの公園もわたくしの大好きな散歩コースの一つなのだが、ここにもついに熊が出没してしまった、出没してしまった、出没してしまった。



熊対策は争点にならず

熊被害が拡大の一途をたどり、災害級といえる現況、目下喫緊の課題というのに、先月行われた宮城県知事選では、熊対策がまったくの争点に挙がらなかったのは至極残念でならない。


熊問題に関して候補者たちは、頭の片隅すらなかったということか•••


わたくしの政治的信条は保守だが、民の命を守り、暮らしを守るのに、右も左も中道もない。





品薄の熊よけ鈴

今は、どこもかしこも熊よけ鈴が品薄である。

さて、どこで取り扱っているだろうかと陳思黙考していると、かみさんが「モンベルならあるんじゃない!?」と言うではないか。


んだ、んだ、んだ!モンベルならあるべぇ!と、わたくしも唸る。


とある日、モンベル仙台店へ向かう。

モンベルは台湾でも、つとに知られている存在で人気が高く、我々が入店した時にも台湾人グループが熱心に品定めをしていた。









熊のぬいぐるみが出迎えてくれた。

熊被害の現況を思うと、なんとも複雑な心境になる。ぬいぐるみはかわいいが···



さすがはモンベル、熊よけ鈴があった!

かみさんの言うとおりだった。かみさんよ、ありがとう。

耐久性のある真鍮製、税込1870円也。


これで万全というわけではないが、安心の一助にはなる。


もちろん極力山側には近づかないのが一番で、今後は街中中心の散歩散策を行うことにする。


本題に入る前に


2日前の日韓首脳会談で冒頭、李在明大統領と握手を交わした高市早苗首相は、席へ向かう途中、太極旗と日の丸に正対し一礼。


一方、李大統領は両国旗をスルーして席へ向かった。


相手国に敬意を払い、礼を尽くした高市首相。


無言で圧倒的品格の違いを見せられ、韓国内では感嘆した人たちもいるという。




本題へ


前回記事の続き、10月2日(木)万博2日目のパビリオン巡り。


万博初日は夜間入場だったので、必然的に帰りも遅くなり、ご一緒していただいた大阪の妹と呼んでいる•しゅしゅさんに、還暦夫婦のワガママを言って、翌日2日目の夢洲駅待ち合わせ時刻を昼12時にしてもらった。


前々回の記事でも同様な事を書いたが、夢洲(ゆめしま)の読み方が当初わからなかった。その件をしゅしゅさんに話し、再確認した次第。


中洲(なかす)があるから夢洲を勝手に「ゆめす」とか思ってたりした。今思えばホント小っ恥ずかしい(笑)


また、北京語読みの「ㄇㄥˋㄓㄡ」(モンジョウ)が頭に浮かんでたりして、第二母語の弊害が出てしまった、出てしまった、出てしまった。




日本館

人気があり過ぎて予約なしには入れなかったので、外観だけパチリ。


予約制を設け、万博協会側は当初「並ばない万博」を掲げたが、それは理想論に終わり、どこもかしこも並ぶことがメインになってしまった。


1970万博は今回の3倍近く入場者数が多かったのだが、それでも人の流れは、断然1970万博のほうがよかった。


連日2万歩以上歩き、かみさんも「疲れた〜」を連呼していたが、それも心身共充実した、実に気持ちいい疲労感であった。



アラブ首長国連邦(略称UAE)館

ナツメヤシの葉軸を束ねて作った高さ16メートルの柱は圧巻。


当パビリオンは流れがよく、すいすいと入れた。




ナツメヤシでこんなこともできるのかと感心。




ドアップ画面

ナツメヤシの葉軸を間近で見るのは初めてであった。


ここで、ふと思ったのは、我が家の庭に植えてあるシュロの葉軸を寄せ集めたら、同じようなものが作れるのではないかと。

万博から帰仙後に撮ったもの。秋になりシュロの葉はすでに枯れ落ち、葉軸も簡単に折れる。新鮮だったら強度があり、いい感じに柱が作れると思うが。




ポルトガル館へ






今から約480年前、日本が初めて出会ったヨーロッパ。


日本へ西洋文明の扉を開いてくれたポルトガル。伝えてくれたのはキリスト教や鉄砲だけではなかった。


日本語にあるポルトガル語由来の言葉の数々が映し出される。


なお、日本統治時代の影響を受けた台湾でも閩南語で「パン」と言う。食パンなら「ショッパン」。


「天ぷら」の語源もポルトガル語由来だったことをここで知る。


当館の映像とは関係ないが、日本語の「ありがとう」がポルトガル語の「obrigado」が語源という説がある。しかしながら、これは偶然だと思う。


このように、ポルトガル語由来の言葉については枚挙に暇がない。


古くから日本と関わりが深いポルトガルが、近隣のアジア諸国よりも身近に感じる。そう感じるのは何もわたくしだけではないでしょう。


ポルトガルの電力供給の82%は、風力や水力、太陽光などの自然エネルギー、いわゆる再生可能エネルギー。

(日本では不可能だ)


すごいな、ポルトガル!


それゆえに環境保護の大切さを、ぐさっと来る刺激的な言葉で訴える。




地球を壊しているのは•••



つづく

本題に入る前に

前回記事でトルクメニスタン館入館を10月2日と書いたが、実のところ10月3日であった。我ながら還暦おじさんの勘違い、甚だしく記憶力のなさに苦笑するばかり。




未知の国、中央アジアの北朝鮮へ


熱望していたトルクメニスタン館へ満を持して向かう。


トルクメニスタンがパビリオンを構えているとは会場入りする数週間前まで知らず、今回万博の旅に同行してくれた友人しゅしゅさんが、その存在を教えてくれた。

しゅしゅさん、ありがとうございます!


しゅしゅさんのブログ、万博記事が始まった。よっ、待ってました!







人気パビリオンだけに行列を成していた。


中央アジアの北朝鮮と呼ばれる理由

1991年ロシアから独立し、1992年に初代大統領サバルムラト•ニヤゾフが就任すると、言論の自由を規制し、野党弾圧、個人崇拝色を強め、彼は終身大統領として2006年に亡くなるまでその座に就いていた。


初代大統領亡き後、当時副首相だったグラバングル•ベルディハメドフが2代目大統領に就任し、2022年までの16年間も在任。


その後3代目現大統領に就任したのが、2代目大統領の長男セルダル•ベルディハメドフ。いわゆる権力の世襲である。まるで金王朝


また、報道の自由ランキングでは常に最下位かその辺り行ったり来たりしている、まことに情報統制が厳しく、国民に強権圧制を敷き、これが西側諸国から非難されているところである。


いよいよ未知の国へ入国•••もとい、入館。


そこには北朝鮮と見紛う世界があった。


個人崇拝の象徴、国家の長の肖像画が飾られていた。


セルダル•ベルディハメドフ大統領。現在44歳という若さ。

空港や街の通りの至る所に大統領の肖像画が飾られているという。まんま北朝鮮だべ。


入館して即動画映写室に通される。そこに一歩入ると、壮大なCGが映し出され、ま〜すごかった、すごかった!内容は自国への美辞賛辞が多かったが。


以下青文字はナレーション。

その大地は揺るぎなく、民は祝福され、栄光は世界に満ちるーそこは独立と永世中立の国トルクメニスタン!


幾世紀にもわたり隊商が行き渡ったこの大地は、かつて偉大なるシルクロードの中心でした。



面積は日本の約1.3倍。人口は約660万人。なんと国土の85%は砂漠である。


五千年にわたるトルクメニスタンの歴史の源には、高貴なる祖先オグス•ハンが立っている。


比類なき駿馬は、トルクメニスタンの誇り!





美辞賛辞のオンパレードが続くナレーションはいちいち覚えていないが、壮大なCGには引き込まれる。これを毎日見せられたら洗脳されるかも?•••


首都アシガバート。真っ白な建築物が多いのは外壁の主要建材が大理石だからである。大理石が最も多い都市としてギネスに登録されており、ホワイトシティーの異名を待つ。

真っ白の大理石だらけの建築物群は圧巻だな。


何度も出てくる英雄、偉大なる指導者アルカダグ。

2代目大統領、グルバングル•ベルディハメドフを指している。


個人崇拝は、やはり北朝鮮並みだ。

〜ウリナラの偉大なる首領様ミダ〜という感じ。




幸福、繁栄、そして調和ある発展の都市を望む者は、英知の都へ来るべきです!




絨毯も主要な輸出品目の一つ。



民を食わせているということか?


トルクメニスタンは石油産油国にして、世界有数の天然ガス資源国でもあり、世界第4位の天然ガス埋蔵量を誇る。


上述の理由から民を十分に食べさせているということか?•••同じく独裁国家の北朝鮮とは置かれた状況が異なるということか?


余談だが、2010年上海万博では北朝鮮もパビリオンを構えていた。その際、日本人入場者の中には拉致されるのではないかと本気で心配した人がいたという。



その後我々一行は当館3階のランストランでトルクメニスタン料理を食す。このレストランへ入るのにも長蛇の列に並んで、やっとこさ入れた。



我々は、伝統的なトルクメニスタンの米料理パロウを注文した。


牛肉がホロホロ柔らかく、うまし!口中調和•••野菜と米のハーモニーも良かった。


国土の85%は砂漠だが、米もよく食べられているのには意外だった。


ランチ後テラスに出てみると、素晴らしい眺望が広がっていた、広がっていた、広がっていた。

大阪の妹しゅしゅさんが撮影に集中している処。



テラス越しに大屋根リングがスッキリ見える。







1970万博と同様、2025万博も水をふんだんに感じられた。


以下2枚は1970万博のもの。




当時幼稚園児だったわたくしも、55年ぶりに訪れた万博では還暦おじさんになり、顔のシワが増え、白髪が目立ち、まるで浦島太郎になった気分だ。気持ちは二十代の時と変わっていないが!これホント!


1970と2025の2度の自国開催の万博へ行けたわたくしは幸せ者だべ、幸せ者だべ。



かみさん撮影によるテラスからの眺望動画。


ここで、ふと思う。

海外旅行が自由化されていないトルクメニスタンにおいて、報道も規制されるなか、今回外の世界を知った万博スタッフは日本で自由を謳歌したはず。


半年間開催された万博が閉会し、帰国した彼らは、今何を感じているだろうか•••


何か特別な国の事情がない限り、彼らは、もう2度と来日することはない。そう想うと、切ない。


こういうわたくしも、生涯トルクメニスタンへ入国することはまずない。あり得ない。


•••それゆえに、当館への入館がとてつもなく貴重だったのだ。


つづく

この記事をUPする本日が、いよいよもって半年間開催された2025万博の最終日を迎える。


名残惜しい、実に名残惜しいが、当ブログでは万博記事をしばらく続ける。



55年前の1970大阪万博では親戚宅に1週間お世話になったが、今回2025万博の旅は、江坂駅から徒歩1分の某Aパホテルが万博会場までの拠点宿となった。


朝食は某Aパホテルと提供している某Kメダコーヒー店へ通う。メニューには某Aパホテル宿泊者専用のものがあった。


この日我ら還暦夫婦は「たまごサンド」を注文。茹で野菜のコールスローサラダ付き。飲み物は2杯選べる。我々が頼んだのはブレンドコーヒーとコーンスープ。


さすがは某Kメダコーヒー、ガッツリ系だ!

(もはや「某」の意味がないが)





万博2日目


この日も会場間近の夢洲駅は人波でごった返していた。

宿泊ホテルから徒歩1分の江坂駅で地下鉄御堂筋線に乗り→本町駅で大阪メトロの中央線に乗り換え→夢洲(ゆめしま)駅で下りる。そして当駅構内で大阪の友人しゅしゅさんと待ち合わせる。


仙台を発つ前から交通機関利用法のイメージトレーニングを繰り返し、この行程をすっかり覚えてしまった。



どこまでも果てしなく続く人の山



人山人海。北京語で山のような海のような人集りを表す熟語だが、会場はまさにそれだ。


人混みと書いて「人ゴミ」と読む。


この人混みに、まるで人がゴミに見えると通りすがりの年配女性が語っていたのにハッとさせられ、鋭い表現だと思った。


長蛇の列に並ぶわたくしも、そのゴミの中の一つか(笑)•••




1970万博の入場者数が驚異の6421万人!対する2025万博はそれには遥か遠く及ばないのであるが、人の密度については今回のほうが超密だ。


上述の理由により会場内の移動のほとんどが牛歩であった。




今回の万博で大いに役立ったもの。

スマホよりも紙の地図のほうが断然視覚的に見やすい。

目的地を探すのが容易であった。アナログの勝利!


折り畳み椅子。これがなくては長時間列に並び待つことなど不可能に近く、各パビリオン巡りは予定していた半分も達成できなかっただろう。


ジャバラ状で、畳むと非常にコンパクトになり、持ち運びが楽々。


紙の地図と折り畳み椅子は万博必需品で、各パビリオン巡りの立役者と言ってもよい。これらは友人しゅしゅさんが準備万端で用意してくれた。

しゅしゅさん、多謝!



トルクメニスタン館

入国するのが難しいと言われる中央アジアの独裁国家トルクメニスタン。


北朝鮮と並ぶ独裁国家?!


人気パビリオンの一つだが、友人しゅしゅさんが最新情報を調べてくれ、今なら長時間待たなくても入れることがわかり、我々3人一行は未知の国•独裁国家の扉を開くことになる。詳細は次回へ。


つづく