津波により亡くなった元上司や高校の後輩、知り合い、合わせて5人の在りし日の姿が今でも頭に浮かんでくる。皆笑顔だ。


何年経とうが、癒えることのない悲しみ。


あなたたちに会いたい、会いたい、会いたい•••



完全とは言えないながらも、ここまで復興が進んだ現況を天から見ている彼らの胸中や如何に?



仙台市勾当台公園にて献花






15年前の震災発生時刻14時46分に合わせ、沿岸部方向へ正対し、黙祷。

先週、BSテレ東の「武田鉄矢の昭和は輝いていた」を観ていたところ、久々に二葉百合子の「岸壁の母」を聴き、とめどもなく涙が溢れてきた。


この時、今から30年ほど前、台北市南京東路のとあるショーパブでの出来事を思い出す。店名は失念し、すでに店はない。


そのショーパブにおいて、ある演目で老婆に扮した団員一人が「岸壁の母」を口パクで歌い、ステージから杖をつきながら客席ひとつひとつを練り歩くシーンがあった。


歌詞に込められた意味がわかっているのであろう。なんと感極まり、老婆扮する彼は堪えきれなくなり、涙をこぼすのであった。


あの涙は演技ではなく、この時歌の情感が彼に入り込み、魂が揺さぶられ、心底溢れてきた涙と信じている。


シベリア抑留から帰らぬ我が子を待つ母親の切なる思い。実話を基にした歌詞には情感に訴えるものがあり、きっと歌詞の本意があのショーパブ団員の彼の心に響いたのであろう。そう思うほうが自然だ。




〜台湾の義母〜

台湾人のかみさんが幼い頃、ラジオから流れてくる「岸壁の母」を聴いては、母親(わたくしにとって義母)がよく涙を流していたという。


義母は、統治時代に日本教育を受けた父親が名付けた日本名「梅(うめ)」を待つ。義母はそれを誇りにしている。


ぎりぎり日本教育を受けていない世代の義母だが、それでも「岸壁の母」に込められた歌詞の意味を深く理解していたのだ。義母は今もこの歌を聴くたびに涙を流している。


で、わたくし、居ても立っても居られず、今日はカラオケへ行き「岸壁の母」を熱唱。



普段カラオケでは閩南語の歌曲ばかり歌っているので、わたくしが日本の曲を歌うのは実に久方ぶりだ。


二葉百合子本人が出演している感激もの。


わたくし、ここでも歌っている最中、涙を堪えるのが精一杯だった。そう、かつて訪れた南京東路のショーパブの1シーンを想起したのだ。


あの時のショーパブ団員の彼の気持ちが至極理解できる、理解できる、理解できる•••


歴史観、価値観を共有する台湾。


これだから台湾を愛せずにはいられない。




新暦で正月を祝うのはアジアでは日本だけか? 


日本でも明治以前は旧暦で正月を祝っていたのだが。


で、妻が台湾人ということもあり、我が家では、新暦と旧暦の両方の正月を祝う。


つまり年に2度正月がやって来ることになる。


と言っても旧正月中は普段通り仕事があるし、あくまでも家庭内だけ正月気分。




新年の挨拶をしおうと、さきほど台中の義母へ電話したところ•••


ジャリジャリジャリ〜という牌を弾くけたたましい音が聴こえてきた。


そう、一家総出で麻雀を興じていたのだ。


新年の挨拶もそこそこに、義母に「今麻雀しているから!」と言われ、塩対応されてしまった😢


で、その時送られてきた写真。

メガネをかけているのが姪っ子(二十歳)で、すでに幼少期から麻雀に興じていた。




プロの料理人である義弟が作った年菜(台湾版おせち)



来年の旧正月は久々に台湾で迎えたいとつくづく思った次第。


ただし、麻雀はやらなくてもいいが。

仙台駅西口から徒歩10分の「仙台トラストタワー」


高さ180m、地下2階、地上37階建ての、北海道を含む北日本では最も高いビル。



28階〜36階は某外資系ホテル○ェスティンの客室。



31階客室から望む仙台夜景。

この夜景が見たくて、年に一度は北日本一のノッポビルへやって来る。

高層階から眺める仙台の夜景は、なかなかオツなもんだな。


翌日の朝、大観音様を撮影するも、これがスマホ撮りの限界か。


31階から眺める地上はジオラマの世界だった。


交差点を行き交う人々がアリの集団に見えてくる。

車はまるで模型やオモチャのようだ。

2025大阪万博から帰仙して。


万博を訪れた3日間、在阪中を含め計4日間に渡り、写真を大量に撮ったがゆえに、UPするのを忘れたものが多々ある。その一つが来阪初日、伊丹空港で食したとんかつ定食。

使っている肉が、なんと宮城県産の三元豚だった。

大阪で故郷の豚肉を味わえるとは望外の喜びである。


柔らかい肉に舌鼓を打つ。うまし、うまし。

この在阪中、とんかつを2回食したが、とんかつの旨さを再認識した次第。五十路半ば過ぎた頃から牛肉よりも豚肉を好むようになったことも一因だが。




巡った数々のパビリオン

10月1〜3日の3日間をかけて55年ぶりの万博を駆け巡った。


以下巡った各パビリオン。

1日目、オーストラリア館、インドネシア館、シンガポール館。


2日目、UEA(アラブ首長国連邦)館、ポルトガル館、ブラジル館、コモンズC、コモンズB。


3日目、トルクメニスタン館、テックワールド(台湾館)


あの混雑で、この数のパビリオンを巡れたのは上出来だと思う。



万博会場最寄駅•夢洲駅のコンビニでゲットしたミヤックンたち。



後ろ姿もめんこい(かわいい)



美しいものは芸術ではない

1970と2025、両万博のレジェンド。


美しいものは芸術ではない。「なんだこれは?!」と驚くもの、奇想天外なものこそ芸術であると生前語っていた岡本太郎もミャックンを見たら認めてくれ、喜んでいたことだろう。



1970と2025の2度の大阪万博に行けたわたくしは、ほんと幸せ者である。


わたくしが生きている間、今後自国開催の総合万博はもう巡って来ないだろう。



帰仙したその夜、今回万博に同行していただいた大阪のブロ友しゅしゅさんが551蓬莱の肉まんとシュウマイが送ってくれ、仙台の自宅に届いた。


玉ねぎの甘みがアクセントになっており、この味はクセになる〜 うまし、うまし!


しゅしゅさん、ありがとうございます🙏


一月二日、鹽竈(しおがま)神社へ初詣。


正月二日目でもこの混雑ぶり。牛歩の如くゆっくりと進む。





旧字体は味わい深く美しい。

わたくしが台湾と出会った13歳から慣れ親しんできた旧字体の繁体字(正字)なのがうれしい。日本でも戦後しばらくは旧字体が主だったはず。



笑っている。めんこいな。


早咲きの桜が開花していた。




初詣ついでに訪れた神社間近にある旧亀井邸


総合商社カメイの初代社長亀井文平が大正13年(1924年)建築。




一気に大正時代へタイムスリップ。






コウモリを象った亀井商店の社章。


襖の引き手もコウモリ型🦇



これはこれは懐かしい座卓。祖母の家にも威風堂々鎮座ましていたのを思い出す。やはり和室には座卓が似合う。


わたくしの好きな作家の一人、西洋人初の日本語作家リービ英雄さんの書斎も座卓で原稿を書いている。おまけにパソコンを使わず昔ながらの手書きによる執筆。



正月中なのに、すでに雛人形が飾られていた。通年飾っているわけではないと思うが。






初詣と大正時代の日本家屋を堪能し、大満足なり。


時は10月3日


55年ぶりに訪れた万博は、今回3日間に渡り各パビリオンを巡り、いよいよもって今日が最終日。


今日を逃したら、きっと後悔するだろうとの想いで、事前予約できなかったTEC WORLD(台湾館)へ向かう。「何時間待っても入るんだ!」という強い決意で。

大人気パビリオンだけあって長時間待つことに。2時間半は待っただろうか。それも愛する台湾に触れ、感じ入るためなら我慢できる、我慢できる、我慢できる。


今回の万博では待ち時間が長く、ご一緒いただいた大阪在住のプロ友しゅしゅさんが用意してくれた折り畳み椅子が大いに役立ち、楽チンで待つことができた。しゅしゅさんに改めて感謝🙏


この「TEC WORLD」の名称に込められた、秘められた意味を後々知ることになる。




待ちも待ったり、やっとこさ入ることができた。


台湾島をイメージした立体骨組。






タブレット上の蝶を触ると、中央のモニターに蝶が飛んでいく仕組み。


台湾最高峰3,952mの玉山。

年配者には新高山(ニイタカヤマ)と言ったほうがピンと来ると思う。


デジタルアートに暫し見惚れる。



台湾経済の生命線•••半導体。





台湾は世界に冠たる半導体王国。(一昔前は日本だったが)





TEC WORLDの名称に込められた意味とは•••



TECH WORLD

TECH WORLD

TECH WORLD•••頭の中で何度も復唱する。


ああ、そうだったのか!

TECH WORLD•••なぜこの名称にしたのか合点がいった。


55年前の「1970大阪万博」を最後に、国として総合万博に参加していない台湾。


1971年アルバニア決議により国連から追放され、それ以降、国際的行事において国名や国旗を掲げられない。


それでも台湾の存在を示したいとの強い想いが、この名称「TEC WORLD」に如実に込められている。


TEC WORLD、それぞれの頭文字はTW

TWは台湾の略式国名コード。日本ならJPNまたはJP。


そう「TEC WORLD」この名称自体が台湾そのものを表しているのだ。


あからさまに国名を掲げられない故の苦肉の策。というよりは、実に妙案でナイスネーミングだと思う。あっぱれ!


これで、なぜTEC WORLDの名称にしたのか、やっと解けた次第。


国際社会における台湾の立場は弱いが、それに屈しない台湾の気概と意思表示が「TEC WORLD」の名称に込められている。


また、中共政府がクレームの入れようがない、お見事なカウンターパンチを彼らに喰らわせた形だ。





TEC WORLDの見学を終え、万博を巡る旅最終日の締めメシはカツ丼(カツが立っている!)ガッツリ系で大満足なり。うまし、うまし!




これで万博は見納め。なんとも名残り惜しく大屋根リングを後にする。2025万博よ、サヨナラ!


次回2030年の総合万博はサウジアラビアの首都リアドで開催される。その時わたくしは還暦半ばだ。気が遠くなる。




土産があった。

で、TEC WORLD(台湾館)で来館者に配られた帽子。日によって配られるものが異なる。これは記念になる。


万博から帰仙後、もったいなくてまだ使っていない。

あ、そうだ、んだ、んだ、次回訪台時に使うべ!



つづく

55年ぶりに訪れた大阪万博。

閉幕してから1ヶ月半経過したが、今もこうして記憶·記録·思い出を綴っている。



10月2日(木)

万博2日目の続き編




ブラジル館

予約なしで入れた。


予約なしの、行き当たりばったりのパビリオン巡りも楽しみのひとつであった。



森をイメージしており、独特の世界観だ。









地球の肺アマゾン熱帯森林の危機

二酸化炭素を吸収して酸素を生成排出しているアマゾンの熱帯森林は地球の肺と呼ばれている。


それが現在、大豆畑の拡大や違法伐採により、元来の森林面積の15パーセントが消失。これは日本の国土1.1倍に相当する。


近い将来アマゾンが「地球の肺」と呼ばれなくなるかもしれない。



未来食堂

海老天タルタルサラダうどん


プラジル館を出たあと遅めの昼食に「未来食堂」へ寄り、来版して初のうどんを食す。10月初旬の大阪はまだ暑く、冷たいうどんは食が進み、まことにうまかった。



コモンズCへ

数ヶ国が共同で展示するコモンズ館。一気に数ヶ国巡られるので得した気分だ。



イスラエルに関心があるので入ろうとしていたところ、予想もしていなかったことが•••


なんと「贖罪の日」により終日閉館であった!

こういうことがあるとは思いもよらなかった。残念〜

気を取り直して次へ。



コモンズC

ジャマイカ



人類最速の男ウサイン•ボルトとツーショット。

2009年ベルリン世界陸上で打ち出した100m走9秒58と200m走19秒19の世界記録は未だ破られていない。


「大阪の妹」と呼んでいる友人しゅしゅさんとかみさん。


「レゲエの神様」ボブ•マーリーもいた。

1981年36歳の若さで亡くなった彼もジャマイカ出身。




夜の帳が下りる頃







ミャックンよ、次回君に会えるのは万博記念公園だ。

会場の顔だったミャクミャク像が来年大阪吹田市の万博記念公園へ設置されることになり、これでまた来阪する理由ができた。


当初、キモいだの醜いだの散々言われていたが(わたくしもそう言っていた一人だった)時の経過とともに、よくよく見てみると、愛嬌があって癒し系のミヤックンにいつの間にかゾッコンになっていた。


ミャックンよ、めんこいな〜



夜恒例の打ち上げ花火に見惚れながら、本日これにて散開。



つづく


連載中の2025大阪万博関連記事を一時中断。



わたくしの日課としている散歩や散策。今それが安心して出来ず、控えていた。


仙台郊外の台原森林公園

自然豊かなこの公園もわたくしの大好きな散歩コースの一つなのだが、ここにもついに熊が出没してしまった、出没してしまった、出没してしまった。



熊対策は争点にならず

熊被害が拡大の一途をたどり、災害級といえる現況、目下喫緊の課題というのに、先月行われた宮城県知事選では、熊対策がまったくの争点に挙がらなかったのは至極残念でならない。


熊問題に関して候補者たちは、頭の片隅すらなかったということか•••


わたくしの政治的信条は保守だが、民の命を守り、暮らしを守るのに、右も左も中道もない。





品薄の熊よけ鈴

今は、どこもかしこも熊よけ鈴が品薄である。

さて、どこで取り扱っているだろうかと陳思黙考していると、かみさんが「モンベルならあるんじゃない!?」と言うではないか。


んだ、んだ、んだ!モンベルならあるべぇ!と、わたくしも唸る。


とある日、モンベル仙台店へ向かう。

モンベルは台湾でも、つとに知られている存在で人気が高く、我々が入店した時にも台湾人グループが熱心に品定めをしていた。









熊のぬいぐるみが出迎えてくれた。

熊被害の現況を思うと、なんとも複雑な心境になる。ぬいぐるみはかわいいが···



さすがはモンベル、熊よけ鈴があった!

かみさんの言うとおりだった。かみさんよ、ありがとう。

耐久性のある真鍮製、税込1870円也。


これで万全というわけではないが、安心の一助にはなる。


もちろん極力山側には近づかないのが一番で、今後は街中中心の散歩散策を行うことにする。


本題に入る前に


2日前の日韓首脳会談で冒頭、李在明大統領と握手を交わした高市早苗首相は、席へ向かう途中、太極旗と日の丸に正対し一礼。


一方、李大統領は両国旗をスルーして席へ向かった。


相手国に敬意を払い、礼を尽くした高市首相。


無言で圧倒的品格の違いを見せられ、韓国内では感嘆した人たちもいるという。




本題へ


前回記事の続き、10月2日(木)万博2日目のパビリオン巡り。


万博初日は夜間入場だったので、必然的に帰りも遅くなり、ご一緒していただいた大阪の妹と呼んでいる•しゅしゅさんに、還暦夫婦のワガママを言って、翌日2日目の夢洲駅待ち合わせ時刻を昼12時にしてもらった。


前々回の記事でも同様な事を書いたが、夢洲(ゆめしま)の読み方が当初わからなかった。その件をしゅしゅさんに話し、再確認した次第。


中洲(なかす)があるから夢洲を勝手に「ゆめす」とか思ってたりした。今思えばホント小っ恥ずかしい(笑)


また、北京語読みの「ㄇㄥˋㄓㄡ」(モンジョウ)が頭に浮かんでたりして、第二母語の弊害が出てしまった、出てしまった、出てしまった。




日本館

人気があり過ぎて予約なしには入れなかったので、外観だけパチリ。


予約制を設け、万博協会側は当初「並ばない万博」を掲げたが、それは理想論に終わり、どこもかしこも並ぶことがメインになってしまった。


1970万博は今回の3倍近く入場者数が多かったのだが、それでも人の流れは、断然1970万博のほうがよかった。


連日2万歩以上歩き、かみさんも「疲れた〜」を連呼していたが、それも心身共充実した、実に気持ちいい疲労感であった。



アラブ首長国連邦(略称UAE)館

ナツメヤシの葉軸を束ねて作った高さ16メートルの柱は圧巻。


当パビリオンは流れがよく、すいすいと入れた。




ナツメヤシでこんなこともできるのかと感心。




ドアップ画面

ナツメヤシの葉軸を間近で見るのは初めてであった。


ここで、ふと思ったのは、我が家の庭に植えてあるシュロの葉軸を寄せ集めたら、同じようなものが作れるのではないかと。

万博から帰仙後に撮ったもの。秋になりシュロの葉はすでに枯れ落ち、葉軸も簡単に折れる。新鮮だったら強度があり、いい感じに柱が作れると思うが。




ポルトガル館へ






今から約480年前、日本が初めて出会ったヨーロッパ。


日本へ西洋文明の扉を開いてくれたポルトガル。伝えてくれたのはキリスト教や鉄砲だけではなかった。


日本語にあるポルトガル語由来の言葉の数々が映し出される。


なお、日本統治時代の影響を受けた台湾でも閩南語で「パン」と言う。食パンなら「ショッパン」。


「天ぷら」の語源もポルトガル語由来だったことをここで知る。


当館の映像とは関係ないが、日本語の「ありがとう」がポルトガル語の「obrigado」が語源という説がある。しかしながら、これは偶然だと思う。


このように、ポルトガル語由来の言葉については枚挙に暇がない。


古くから日本と関わりが深いポルトガルが、近隣のアジア諸国よりも身近に感じる。そう感じるのは何もわたくしだけではないでしょう。


ポルトガルの電力供給の82%は、風力や水力、太陽光などの自然エネルギー、いわゆる再生可能エネルギー。

(日本では不可能だ)


すごいな、ポルトガル!


それゆえに環境保護の大切さを、ぐさっと来る刺激的な言葉で訴える。




地球を壊しているのは•••



つづく