中断していた大阪旅の続編。
時は2023年9月。大阪城内に展示されている長大な屏風に釘付けとなった。
あまりにも大きすぎてカメラに収まりきれない。
大阪夏の陣図
そこには、オラが町仙台の殿様、伊達政宗公が描かれているではないか。
政宗公この時47歳。一万の兵を率い、豊臣勢を撃破。
当時の政宗公は、ガチ仙台弁でもって陣頭指揮を執っていなのだろうか。そうであってほしい。
渡辺謙のイメージが強く
絵師には、政宗公をもう少し男前に描いてほしかったな。「伊達者」「伊達男」の名にふさわしく。
大河ドラマ「独眼竜政宗」の影響を受け、政宗公イコール渡辺謙のイメージが強く、わたくしは未だそこから脱しきれない。これってわたくしだけだろうか?
発掘された遺骨から実際の政宗公の身長は159㎝であることがわかっている。小柄だが、当時の男性身長としては平均だ。一方、政宗公を演じた謙さんは180cm超えの大男。見事に政宗公を演じた謙さんは、まさに伊達男だった。
天守閣からの眺望
政宗公に託す
話がやや脱稿したので本題に戻すが、大阪夏の陣で非常に興味深い史実がある。
敗北を喫した豊臣勢の真田幸村は、この時子どもたち5人を片倉小十郎を通じ、敵将政宗公に託す。
徳川陣営にバレたら、えらいことになるが、政宗公は彼らを徹底的に保護。
以後仙台藩庇護の下、真田家は子々孫々家督が受け継がれ、仙台真田家として現在も続いている。
幸村は、敵将ながら政宗公に男気を感じ、信用足る人物と看做し、子どもたちを託したのだろう。この絵を見ながら、ふとそのようなことを思った。
わたくしの勉強不足で、大阪夏の陣屏風に政宗公が描かれているのをここで初めて知ることになった。
大阪城で、まさか政宗公に出会えるとは仙台人として望外の喜びである。
在阪中は好天に恵まれ、気持ちよく旅ができた。
大阪城隣の旧陸軍第四師団司令部庁舎へ。
連れて行ってくれた、大阪の妹しゅしゅさんによると、映画やドラマの撮影に使われることがあるという。重厚な造りだ。
忍者が出迎えてくれた。
岡本太郎さんに感謝!
1970大阪万博のレガシー太陽の塔レプリカもあった。
あれから54年経過したが、今見ても至極斬新だ。当時幼稚園児で初めて見て以来、わたくしを惹きつけて止まない。
来たる2025大阪万博では、果たしてどんなレガシーが残せるだろうか。
旧庁舎内のフードコーナーで、まずは腹ごしらえのたこ焼きを食す。やはり本場もんはうまい!
日本人が少なく、席のほとんどを外国人で埋め尽くされていた。
聞き慣れた台湾訛りの北京語や閩南語も所狭しと響き渡っており、我々一行と同じく皆たこ焼きに舌鼓を打っていた。
味わい深いたこ焼きを食し、至福の時。出汁が利いており、まことにうまいのだ。大阪の食文化は出汁が要であることを改めて感じた次第。
こんなにうまいたこ焼きは、地元仙台で出会したことがない。亡き母親と台湾の義父に食べさせたかった。
さて、大阪旅の続編は今後時折載せていきたい。