2026年5月30日(土)

政宗公に会いたくて会いたくて、青葉神社へ向かった。


縁日政宗公まつり



伊達政宗公縁の神社とあって歴史ファンには、つとに知られている存在。


我が母校の通町小学校に近く、幼少期から慣れ親しんだ神社。当時、鬼ごっこやかくれんぼをして遊んだものだ。また、緑が多いことから夏には昆虫探しにも興じた。








おお、この後ろ姿は慶長遣欧使節の支倉常長だ!

あの時代、中央幕府ではなく、一地方の仙台藩が世界に目を向けていたのには感嘆する。仙台人の誇り。



おらが町の殿、政宗公はちびっ子たちにも大人気!

殿の周りには皆集まってくる、集まってくる。





ちと暑かったが、晴天に恵まれ、気持ち良く当神社を回れた。


伊達武将隊による演舞が行われていた。

司会進行役は支倉常長。




政宗公とツーショット。

殿はシュッとしたイケメンだな。


かみさんが台湾人であることを伝えると、気さくに撮影に応じてくれた。


なんと、殿は毎年台湾へ「出陣」しているという。


わたくしの解釈では、殿はイベントの他に、個人的にも台湾へ訪れているということだろう。





で、過去にも殿と撮影したものがあった。

2022年3月瑞鳳殿にて

思い起こすと、この時武漢ウイルスが猛威を振るっていた頃で、遠出できず、近場での観光を楽しむ以外なかった。




2023年9月青葉城での在仙外国人を対象としたイベントにて。


これからも政宗公とは何かと撮影機会が多いと思う。


殿、ありがとうございました🙏

本題に入る前に

かみさんがお世話になった日本語講師によると、仙台在住のある台湾人男性が現在オンラインでの日本語会話練習の相手を探しているという。


それならばと、わたくしが意気揚々と手を挙げたら「あんたは日本語喋らないで、ずっと北京語喋るからダメだよ!」とかみさんに一蹴された。


確かに、わたくしの場合、その状況になったら日本語をほとんど話さない可能性が大だ。


家庭内はもちろんのこと、日本語堪能な台湾の友人たちとの会話も90%以上は北京語。


また、仮にわたくしが日本語を話したとしても、自身の仙台弁丸出しでクセの強いイントネーション(本人は標準語を話しているつもり)に、相手は理解できず心理的負担をかけることになるだろう。


ここは一旦挙げた手を下げざるを得なかった。


母語に深く染みついた訛りは、そう簡単に変えられるものではない。変えるつもりも毛頭ないが。





本題へ。

かみさんの台湾帰郷の土産、黒い落花生、その名を黑金剛(へいじんがん)を久々に食す。



美しく黒光りする薄皮がアントシアニン豊富。この薄皮を捨てたら、もったいない、もったいない。


単純な黒ではなく紫が混ざっており、実に神々しいではないか。


他の落花生よりもコクがあり、うまし、うまし!

これぞ黒い宝、落花生の帝王だべぇ。


亡き母も大好きだった黑金剛は、まことに美味なり。

わたくし、I日2万歩を目標に日々歩いている。すでに習慣になっているので、歩かないと気持ちが落ち着かない。体がムズムズしてくる。そのために地元仙台を練り歩く。


お気に入りの散策スポット、仙台市博物館から青葉城へ通ずる道にて。


この日、青葉城とその周囲を描いた地図掲示板を凝視しながら困り顔の1人の50代後半と思われるアジア系女性とすれ違った。


振り返ると、まだ道に迷っているようなので、引き返し、どこへ行きたいのか英語で訊ねると青葉城へ行きたいとのこと。


話のやりとりをしていると、その女性は香港から来たという。わたくしがこれまで出会った香港人の中で「自分は中国人です」と言った人は誰もいない。聞いたことがない。



中国人だと思われたくない

中共に帰属意識がある人以外、大半の香港人は決して中国人だと思われたくないのだ。何より心外だろう。


わたくし自身、香港人イコール中国人という認識は持っていない。あくまでも香港は香港だ。


習近平政権以降、香港の中共化が増し、締め付けが厳しくなり、かつての自由な香港ではなくなってしまった。


「高度な自治」と表現•言論の自由が崩壊。

そんな中共に帰属意識を持てと言うほうが無理がある。




で、その香港人女性に、北京語が理解できるか聞くと「少しだけなら」というので、わたくしが一句一句区切り、ゆっくりとした北京語で青葉城の行き方を教えた。


それでも彼女は半分しか理解していない様子だったので、わたくしの拙い英語で伝えると、やっと理解したようで笑顔で青葉城へ向かって行った。


香港における北京語教育が始まったのは中共返還以降だから、すべての香港人が北京語話者という訳ではないことを実感した次第。





2度と香港へ戻ることはない

香港民主の女神•周庭さんは現在カナダに亡命中。香港に民主化が訪れない限り、彼女は2度と香港へ戻ることはないと決断した。


日本愛が強く、日本語堪能な周さん。亡命先に日本を選ばなかったのは、日本の難民認定が極めて難しいからであろう。


日本は本来こういう人物を救うべきなのだが•••



冒頭の話に戻すが、青葉城へ向かったあの香港人女性には、仙台観光を存分に楽しんでいただきたい。


香港に栄光あれ

台北留学時、足繁く通った故宮博物院。

今回は帰郷中のかみさんが代わりに行ってくれた。




2つの故宮

台北の士林と、もうひとつは中共国北京の紫禁城に在する。


国共内戦に敗れた国民党は、撤退時紫禁城から価値あるものを優先順位に30万点を台湾へ運び出した。


世界の故宮ファンは、上述の件を知っているので、彼らの多くは台北の故宮へ訪れる。



歴代皇帝の財産を根こそぎ持ち去る

紫禁城から持ち去ったのは歴史的文物だけではなく、金塊も含まれており、総重量なんと85トン!これは重戦車を目方にすると約2台分に相当する。とんでもない量だ。


また、台湾を統治していた日本から接収した資産も相まって、国民党が今尚世界一の金持ち政党と言われる所以である。





故宮も時代の潮流には逆らえず、いつの間にか写真撮影OKになった(フラッシュ不可)



翠玉白菜の中で、最も有名なバッタとキリギリスが彫刻されているものは、この日展示されていなかった。


で、台湾のニュース番組によると日本人観光客に「翠玉白菜傘」が爆売れだそうだ。


故宮の売店で売っているのだが、次回しっかり見ることにする。還暦おじさんのわたくしが、これを使う勇気はないが。








豚角煮を表現した「肉形石」

表面上層部の皮や醤油の染み込み具合まで見事に表現。思わずかぶりつきたい衝動に駆られる。



館内では、まず多くの懐中時計を目にする。

左からフランスの老舗高級装飾ブランド、アルチュス•ベルトラン製のもの(18世紀後期) 右はイギリステイラー社のもの(18世紀後期)


腕時計がまだ世に出ていない時代、皇帝や側室•側近たちが、これら懐中時計を袖に通していたことだろう。




手の凝った置き時計。イギリスのウィリアム•カーペンター製(18世紀後期)


時計そのものよりも装飾のほうに多くの制作時間が充てられたことは想像に難くない。これも時の皇帝を喜ばすためか。



故宮内のレストラン。




かみさんが注文した豚足定食。


美容に関して貪欲だった西太后は、コラーゲン摂取のため好んで豚足を食していたという記述がある。

一緒に煮込んだ落花生が乗っかっている。



所感

2010年代、うるさい中共国人観光客でごった返していた故宮を避けていたが、彼らはもう来ないので、今はじっくり見学できる良い機会だと思う。

かみさんが台湾帰省中の折、このほど日月潭を散策し、その写真便りが届いた。


わたくしが最も直近で日月潭へ訪れたのは東日本大震災発生の前年2010年なので、以来かれこれ16年間再訪していないことになる。


風光明媚なこの景観が、ただただ懐かしい。


今更ながらではあるが、まことに美しい。

16年前、かみさんと闊歩した方々に広がる遊歩道は健在。




















蒋介石は日月潭をいたく気に入り、保養所としていた。その彼を警護し歩哨するための衛兵の詰所。


台湾に蒋イズムは残っていないが、歴史の遺産として保存している。


職業軍人だった亡き義父が軍務の合間に日月潭で撮ったもの。


義父は軍人では珍しく、酒タバコはやらない人だった。

わたくしに金門島砲撃戦について生々しく語ってくれたのを、つい最近のことのように思い出す。義父よ、たまらなくあなたに会いたい。



過去ブログ記事から引っ張り出した写真で、16年前、日月潭のスタバで撮ったもの。


わたくしが左手に持っているのはスマホではなく、ガラケー。そう、当時はまだガラケーが主流だった。


で、今でも日月潭にスタバはあるんだべが?

台中帰省中のかみさんが、台湾恋し病に罹っているわたくしに、これ見よがしに数々の写真を送ってくれた。




台湾中部に位置する埔里(プーリー)産のパッションフルーツ。







想定外の運休


実は5月初旬に、わたくしも渡台するべく飛行機の座席を押さえていたのだが、台湾の某航空会社がパイロット不足を理由に一定期間運休するとの通達があった。


その知らせに愕然とした。せめて予約している分は、責任を持って運行していただきたい。


ありえない。理不尽である。企業としての無責任さに、勝手にドタキャンされた気分だ。何万人もの足に影響を与えたのは確かだろう。


これでわたくしの某航空会社に対する心象はすこぶる悪くなった。もう2度と選ばない。




さて、気を取り直して以下を記する。



薄生地パンの燒餅(シャオビン)に揚げパンの油條(ヨーティアオ)を挟む。台湾朝食のド定番。


台北留学時代の通学途中、中正紀念堂近くの店で、これらの朝食を摂っていた我青春の味。

う〜〜〜、腹減ったー!



旧台中駅舎

いつもながら日本統治時代の建築物を大切に保存する台湾に感謝。






スヌーピー·ピーナッツカフェの宣伝


かつて使われていた車両を展示。



ああ、台湾恋しや〜

今は写真で我慢すっぺ、我慢すっぺ。

津波により亡くなった元上司や高校の後輩、知り合い、合わせて5人の在りし日の姿が今でも頭に浮かんでくる。皆笑顔だ。


何年経とうが、癒えることのない悲しみ。


あなたたちに会いたい、会いたい、会いたい•••



完全とは言えないながらも、ここまで復興が進んだ現況を天から見ている彼らの胸中や如何に?



仙台市勾当台公園にて献花






15年前の震災発生時刻14時46分に合わせ、沿岸部方向へ正対し、黙祷。

先週、BSテレ東の「武田鉄矢の昭和は輝いていた」を観ていたところ、久々に二葉百合子の「岸壁の母」を聴き、とめどもなく涙が溢れてきた。


この時、今から30年ほど前、台北市南京東路のとあるショーパブでの出来事を思い出す。店名は失念し、すでに店はない。


そのショーパブにおいて、ある演目で老婆に扮した団員一人が「岸壁の母」を口パクで歌い、ステージから杖をつきながら客席ひとつひとつを練り歩くシーンがあった。


歌詞に込められた意味がわかっているのであろう。なんと感極まり、老婆扮する彼は堪えきれなくなり、涙をこぼすのであった。


あの涙は演技ではなく、この時歌の情感が彼に入り込み、魂が揺さぶられ、心底溢れてきた涙と信じている。


シベリア抑留から帰らぬ我が子を待つ母親の切なる思い。実話を基にした歌詞には情感に訴えるものがあり、きっと歌詞の本意があのショーパブ団員の彼の心に響いたのであろう。そう思うほうが自然だ。




〜台湾の義母〜

台湾人のかみさんが幼い頃、ラジオから流れてくる「岸壁の母」を聴いては、母親(わたくしにとって義母)がよく涙を流していたという。


義母は、統治時代に日本教育を受けた父親が名付けた日本名「梅(うめ)」を待つ。義母はそれを誇りにしている。


ぎりぎり日本教育を受けていない世代の義母だが、それでも「岸壁の母」に込められた歌詞の意味を深く理解していたのだ。義母は今もこの歌を聴くたびに涙を流している。


で、わたくし、居ても立っても居られず、今日はカラオケへ行き「岸壁の母」を熱唱。



普段カラオケでは閩南語の歌曲ばかり歌っているので、わたくしが日本の曲を歌うのは実に久方ぶりだ。


二葉百合子本人が出演している感激もの。


わたくし、ここでも歌っている最中、涙を堪えるのが精一杯だった。そう、かつて訪れた南京東路のショーパブの1シーンを想起したのだ。


あの時のショーパブ団員の彼の気持ちが至極理解できる、理解できる、理解できる•••


歴史観、価値観を共有する台湾。


これだから台湾を愛せずにはいられない。




新暦で正月を祝うのはアジアでは日本だけか? 


日本でも明治以前は旧暦で正月を祝っていたのだが。


で、妻が台湾人ということもあり、我が家では、新暦と旧暦の両方の正月を祝う。


つまり年に2度正月がやって来ることになる。


と言っても旧正月中は普段通り仕事があるし、あくまでも家庭内だけ正月気分。




新年の挨拶をしおうと、さきほど台中の義母へ電話したところ•••


ジャリジャリジャリ〜という牌を弾くけたたましい音が聴こえてきた。


そう、一家総出で麻雀を興じていたのだ。


新年の挨拶もそこそこに、義母に「今麻雀しているから!」と言われ、塩対応されてしまった😢


で、その時送られてきた写真。

メガネをかけているのが姪っ子(二十歳)で、すでに幼少期から麻雀に興じていた。




プロの料理人である義弟が作った年菜(台湾版おせち)



来年の旧正月は久々に台湾で迎えたいとつくづく思った次第。


ただし、麻雀はやらなくてもいいが。

仙台駅西口から徒歩10分の「仙台トラストタワー」


高さ180m、地下2階、地上37階建ての、北海道を含む北日本では最も高いビル。



28階〜36階は某外資系ホテル○ェスティンの客室。



31階客室から望む仙台夜景。

この夜景が見たくて、年に一度は北日本一のノッポビルへやって来る。

高層階から眺める仙台の夜景は、なかなかオツなもんだな。


翌日の朝、大観音様を撮影するも、これがスマホ撮りの限界か。


31階から眺める地上はジオラマの世界だった。


交差点を行き交う人々がアリの集団に見えてくる。

車はまるで模型やオモチャのようだ。