2019年3月24日、南三陸病院へ訪れた際の記事を加筆し、再アップ。

台湾の義援金により再建した南三陸病院で、ある式典があり、在仙の台湾同鄉會の皆さんと共に参加した。









東日本大震災において津波に流された南三陸病院は、当時患者と病院勤務者合わせて74名の犠牲者を出した。


台湾の義捐金22億円(総工費の40%を占める)により2015年病院が再建された。


在311大地震及海嘯中被沖毀的南三陸醫院,那時病患以及醫護人員共有74人儀牲。


台灣捐助22億日幣(佔總建築費40%) 在2015年讓這所醫院能夠重建。



多謝台灣!













昨年12月台北で開催された「日本東北遊楽日2018」において展示されたレゴ作品「希望の芽」が、南三陸病院へ贈呈されることになり、その式典に立ち会った。


佐藤仁町長

町長自身、311では津波に流されそうになり、必死に庁舎天辺のポールにしがみつき、九死に一生を得た。しかし、奥様が犠牲に⋯⋯


佐藤町長より
「真っ先に支援の手を差し伸べてくれた台湾のおかげで病院が再建することができました。台湾の皆さん、それを誇りにしてください!」









組み合わせたレゴの個数5万!



なんと、台湾からの支援は今も続いており、中学高校生が修学旅行に訪れたり、また、毎年大学生20名がインターンシップで南三陸の企業に職場体験したり、その中には当町に就職した若者もいるという。




南三陸町ゆるキャラ「オクトパスくん」





最後に、佐藤仁町長と3ショット。

かみさんが台湾人であること告げると快く撮影に応じていただいた。

佐藤仁町長は、令和6年現在も南三陸町の首長を務める。



人が住めるよう、高台の整地は進んでいるが、この町に元のように人が戻ってくるのは、まだまだ先になりそうだ。

魚介類がとびきり美味く、それだけでもここへ訪れる価値があり、また来たい、また来たい。

台湾との絆も深く、これからも南三陸町をいろんな形で応援したい。