支度をして9時に多賀城に向けて出発しました。日曜は道路が空いていて、走りやすかったです。多賀城駅で降ろしてから、国道45号線を通り、スタジオにとんぼ返りしました。
スタジオに戻りましたが、今日は日曜で課題もないし、仕事をする気にもなれないので、直ぐに家に帰りました。イントラと約束して、来る予定になっていたのですが、確認したら14時頃になるというのです。それまでの時間が空いてしましました。
家に帰って、HPの作業に取り組むことにしました。今日、イントラが来てくれるのも、HPを診てもらうためなのですが、自分で出来る作業に取り組みました。HPの追加の頁を作成したのですが、ネットに上がらないのは何故かを考えました。新しく作成した頁は2頁なのですが、それを点検することから始めました。
HPのフォルダに入れる画像のサイズを同じにする必要があると考え、フォルダの掲載する画像を取り出して、掲載のサイズに変更し、フォルダに戻しました。その他、必要ないボタンなどは削除し、なるべくシンプルにしました。
イントラが来てもらうまでの時間を使って、細かいHPの制作作業をしていました。大分仕上がってきたら、既に昼を過ぎていました。そろそろイントラが来る頃なので、簡単にあるものをお腹に入れてから、ゆっくり昼食作りに取り組むことにしました。
今日は、圧力鍋を使ってカレーを作り始めました。野菜はなるべく大きく切って入れました。最初から具材を全部入れて、圧力鍋で煮ました。
そのうちに13時半過ぎてイントラがやってきました。HPの制作の準備は全て済ませていたので、状況を話してHPを診てもらいました。少し点検をしていましたが、そのうち原因が分かったようで、ネットに上げることができました。イントラは、やはりプロだと思いました。原因を調べただけで、簡単に突き止めることができたからです。
午前に加工した画像は、私のやり方が正しかったので、その上げる作業は、自分で取り組みました。瞬く間に、HPが完成し、ネットに上げることが出来ました。ほんの少しの手違いだけだったようです。原因を調べて、直ぐに分かり、ネットに上げることができたのです。イントラの専門的なスキルには、ただ感心するばかりでした。自分でも頁を制作できるようになっただけでも、大きな収穫でした。
その間に私は、圧力釜でカレーライスを仕上げていました。少しの時間があったので、イントラ用の黒猫を製作して、差し上げることにしました。イントラの黒猫の形の好みが分かっていたので、その好みの形で製作してあげたら、納得したようでした。
HPの更新が終了したので、一緒に出来上がったカレーライスを頂きました。圧力鍋で作ったカレーは、具材が溶けるほどで、本当に美味しく感じられました。
早めにHPの更新が終わってホっとしました。イントラには、本当に感謝の心で一杯でした。時間があったので、イントラを誘って、ドライブに出かけることにしました。16時頃までしか時間がないと言うので、近場に出かけることにしました。車を入れ替え、乗用車に乗り換え、東部の被災地方面に出かけて行くことにしました。
大沼周辺までは、近道を通り,その後、荒浜海岸に行ってみました。全ての集落が流され、土台以外は何も残っていない若林区の荒浜海岸は、震災で一躍全国に報道され、知られるようになった所です。沢山の人々の遺体が海岸に打ち上げられていたからです。全国に報道され、一躍、若林区の荒浜海岸が知られるようになりました。
今日は11月11日、震災から1年9ヶ月の日です。海岸に臨時に建てられた震災慰霊碑の前では、寒空の中、お坊さんが読経を唱えていました。海岸へは、マイクロバスで集団で人が訪れていました。見たら山形からの学生の集団でした。
海岸からは、市内方面が、何もなくなった集落跡の向こうに、びっくりするほどはっきり眺めることができました。荒浜の集落は、海岸傍に広がっていたことが分かりました。集落の向こうに貞山運河があり、その向こうも住宅地があったのです。海岸ギリギリまで建っていた全ての集落、家々が根こそぎ流され、土台のみになっているのです。
この風景は、南蒲生や岡田の風景とは、全く違っていました。いかに津波の威力が激しかったかが分かりました。残っている松並木も全て陸側に傾いた状態で立っているのです。15メートルとも言われる高さの津波によって、一瞬のうちに流されてしまったのです。沢山の人々が、逃げ遅れて犠牲になりました。逃げられる建物は、小学校の建物しかありませんでした。そこに逃げた人々だけが助かったのです。老人は、そこまで逃げる時間がありませんでした。あっという間に津波に飲み込まれてしまったようです。そして大沼周辺も含めて、仙台平野の奥深くまで津波は押し寄せ、避難していた人々も、車ごと飲み込んでしまっていったのです。宮城県内だけで、約1万人以上の方々が犠牲になったのはそのためなのです。
イントラも当時、蒲生海岸にいて、車のラジオを聴いていたので、大急ぎで逃げ帰って危うく助かったということです。もう少し遅れたら、渋滞に巻き込まれたかも知れないと、前に聞いたことがありました。本当に間一髪の出来事のようでした。私も数分違いで津波被災地を逃れていたのですから。生死の境は、本当に紙一重だったのかも知れません。
先日、「カラオケ交流会」に参加した方が、多賀城で車ごと津波に流され、たまたま車のガラスが割れて、脱出することが出来て助かった話を聞きました。本当に空気を吸える部分は10cmしか残されていなかったというのです。他の車の方は、津波に飲み込まれていったという悲惨な話も聞きました。多賀城の道路を走っていた車を中心に、約200人が犠牲になったというのです。そんな話を思い出していました。
ここに集落があったとは信じられないような、荒浜海岸の集落跡から、懐かしい岡田や南蒲生の集落を回って、仙台港で給油をしてから、家に帰りました。岡田や南蒲生の地域も、人が住んでいないような廃墟のような家々が立ち並んでいました。
夕方になる前に帰ろうと思いましたが、16時近くには夕暮れが迫ってきていました。時間通りに16時頃に家に着きました。
イントラには、家にあった野菜や果物を少しだけお土産に渡し、帰っていきました。イントラも忙しいようですが、また機会があったら一緒にドライブをしようと約束をしました。
私は、イントラと話していたことで、課題がまた出て来ました。明日の友達が開催している「歌う会」に、宣伝チラシを持参するので、チラシ作成の仕事が出て来ました。スタジオに戻って、宣伝チラシを作成し、輪転機で必要な枚数を印刷しました。
その他、火曜日に私の作品のレコーディオング作業があるので、その新しいカラオケを作る作業があったのです。まず新しいシンセを組み立てました。新しいシンセでは、完成するか危ぶまれたので、もう1台の使い慣れたシンセも組立て、その準備をしました。準備だけで時間がかかりました、新しいシンセでの吹き込みは時間がかかるようなので、使い慣れたシンセで収録を行ってみました。出来たものを聴いてみましたが、やはり古いシンセの音では納得しないので、やはり頑張って新しいシンセで収録する必要があることが分かりました。でも今日はそこまでは無理なので、作業はそこまでにして、終了しました。
時間が押していたのですが、急いでいつもの風呂に行き、風呂仲間と談笑しながら入ってきました。シンセの収録は、明日の空いた時間に取り組むことにしました。
今日は、イントラのおかげで、HPの更新を完成させることができました。本当に嬉しかったし、一段落してホっとしました。久しぶりに、イントラとドライブをしました。様々話をして、課題も見つかりました。
明日以降も、毎日忙しい様々な課題がありますが、頑張って一つ一つを乗り越えて行きたいと思いました。