「善意で、ちょっと」の音楽的な奉仕はNGなのかも | アカデミー主宰のブログ

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仙台ミュージカルアカデミーの旬な日常情報をお届けします。
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ライブ動画も掲載しました。検索は、ユーチューブで「仙台ミュージカルアカデミーライブ&発表会、花は咲く 荒浜」です。

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土曜日は、オープンカレッジの「アコーディオン教室」の日です。早めに出発し9時過ぎに到着しました。「入門クラス」は3名、「初中級クラス」は6名の参加でした。「入門クラス」は、最も大切なスケールの練習と新しい初歩の楽曲に挑戦しました。全体的に前よりも進歩した感じがしました。左手のリズムの刻みが、前よりも出来てきた感じがしたからです。3人とも男性のレッスン生なので、女性とはまた違って、呑み込みのテンポが違うのですが、真面目に欠かさず続けているのが素晴らしいと思いました。山形から毎週通ってくる方もいました。熱中症で体調を崩したようでしたが、それでも休まず通ってくるのには、何かの理由があるのでしょうか。年齢が高いにも関わらず、遠くから通い続けることの凄さも感じました。毎回、「牛歩のごとく」、少しずつ前進しているのが感じられ嬉しく思いました。
「初中級クラス」は、男性が1名で、女性が5名です。レッスン内容は、グンとレベルが上がって、スケールは、ヘ長調に入っています。前回からですが、伴奏パターンに、「アルペジオ」や「交互ベース」を取り入れました。これからはスケールの練習は、全てこのパターンで指導し、伴奏のリズムパターンを定着させていきたいと思います。
「初中級クラス」の一つの指標が、この左手の「アルペジオ」や「交互ベース」の活用にしたいと思いました。震災復興ソングは、右手のフィンガーリングが難しいのですが、その中に「アルペジオ」や「交互ベース」を使いながら、演奏できるようにすることを目標に取り組みました。「アルペジオ」や「交互ベース」の練習をかなり続けたので、結構左手の指の動きが厳しいし、疲れるとレッスン生は話していました。
「アルペジオ」や「交互ベース」が使えるようになれば、かなり表現の幅が広がるのですが、それが「初中級クラス」の大きな指標だと思いました。
オープンカレッジにはないのですが、「上級クラス」の指標は、何かと言えば、それは左手のベースラインのメロディー演奏ではないかと思います。今までの演奏とは逆で、左手のボタンでメロデイーを演奏し、右手の鍵盤で和音のリズムを刻むのです。これができるようになることが、上級者の指標だと思いました。
普段の演奏や伴奏では、あまり使うことはないのですが、上級者の演奏の中には、必要な表現技術だと思いますので、スタジオでの「上級クラス」の学習者に向けては、取り入れる課題だと思いました。なかなかベースラインでのメロディーは、演奏する機会がないのですが、自分の練習課題としても取り組む課題だと感じています。
「アルペジオ」や「交互ベース」の練習を取り入れて、しかも「移動ド」での楽譜読みの徹底の中での練習なので、みなさん結構厳しいようでしたが、難しい課題を与えられて、レッスン生もやる気が出てきたと話していました。
 1220分に全てのレッスンが終了して帰りました。途中、名取のイオンモールに寄りました。ここは、物凄い大きなショッピングモールなのにはビックリしました。建物の中が一つの街のようになっているからです。ここのフードコートにある、うどん屋さんの値引きチケットが新聞の折り込みに入っていたので、そこで昼食を取りました。物凄い人の混雑ぶりに驚きながら、今の世の中の現実を知った感じがしました。トッピングを入れた美味しいうどんを頂いて帰ってきました。
名取のショッピングモールは、物凄い広さで、駐車場も満杯になっていました。各所にある大型のショッピングモールは、本当に凄い広さで圧倒されることばかりでした。
 
スタジオに戻って、大体14時頃でした。15時からのレッスンの準備をするのに丁度良い時間でした。15時少し前に、ピアノのレッスン生がやってきました。
毎週通ってくるピアノのレッスン生で、毎回既習曲を、全曲演奏することにしています。今日までの5曲の曲を練習してきました。大分上達しました。誰でも練習すれば、ちゃんとピアノが弾けるようになるものです。レッスン生は、結構練習をしていると思いました。毎回見違えるように上達していると感じています。既習曲の全曲を演奏し、「合格」したので、今日も新しい楽曲に入ることにしました。今日から新しい「調」に入りました。楽譜の読み方の基本を指導してから、楽譜を大きくコピーし、伴奏パターンも説明しました。今日からの課題は、新しいハードルですが、このハードルを超えれば、また新しい音楽の世界が広がることも話しました。
この方は毎回練習を重ねているので、新しい「調」の楽曲も、無事にクリヤーしていくと思いました。1時間のレッスンの後は、いつものように談笑しました。今日は、そのレッスン生は、何とスタジオの3周年記念として、大きな油絵をスタジオにプレゼントしてくれたのです。その方には、たくさんの私の著作物や母親の作品集などを貸していたのですが、2ヶ月が経過したので全て返してくれましたが、その御礼に、大きなカサブランカの花束を母親の仏壇に飾って欲しいと花屋さんに届けさせたのです。余りに素晴らしい花束で恐縮しました。母親の作品集が気に入ったようで、母親への感謝の意味も含めての仏壇への花束でした。
その他にも様々な食材や自分で料理したものを持参してくれたのです。毎回、本当に恐縮してしまいます。この方はピアノのレッスンだけでは足りないようで、次回から「声楽」にも挑戦することになりました。世界の子守唄を、たくさん歌えるようになりたいと、自分でも作品や楽譜を集めているようです。それを次回から持参し、歌っていくことになりました。レッスン料も前納で既に10月初旬まで納めているのです。声楽の指導料は、ピアノの前納したレッスン料を当てることにしました。次週から毎回、ピアノと「声楽」のレッスンが入ることになりますが、私もこのレッスン生のエネルギーに負けないで頑張っていきたいと思いました。
今日は談笑して17時半過ぎまで掛かってしまいましたが、レッスン生は、ピアノの練習も新しい課題を見つけて、充実して帰っていきました。
私は時間が押してしまったのですが、残務を整理して、プールの風呂に行き、サウナや水風呂に入り気持ちよく帰りました。
今日も一日レッスンに忙しい時間を過ごしました。ピアノのレッスン生は、ガムシャラに頑張るのはいいのですが、スタジオへの油絵の寄贈や豪華な仏壇への花束や供物には、甚だ恐縮してしまいました。その他、毎回自分で作った様々な食材や料理を届けてくれるのは有難いのですが、余りに豪華過ぎて恐縮してしまうのです。これからどうしたらよいか迷ってしまいました。
純粋に音楽を勉強していきたいと話しているのですが、私の8枚あるアルバム全てをコピーして欲しいとも話しています。
 
でも、私の著作物やCDを焼いてあげたりすることを、善意で差し上げるべきではないと、ネットの友達も話しているのです。スタジオの経営に即関わってくることなので、迷っています。いろいろお世話になっている友達やレッスン生に、それらは無料で、善意で差し上げたい気持ちだし、事実、これまでも友達には善意で差し上げてきたのもありました。でもそうすれば、その行為は、即スタジオ経営に関わってくることなので、スタジオでのどんな音楽的仕事でも、「適正な価格」で分けるべきだと、友達は話しているのです。 
決して善意の奉仕は、するべきではないと話していました。善意で差し上げることは、すなわち、スタジオ経営の存続にも関わることなので、すべきではないと話していました。 自分でもその点は納得できるのですが、日頃お世話になっている友達やレッスン生には、善意で奉仕してあげたい気持ちもあるのです。難しい問題だと思いました。これからの方針も含めて、少し検討することにしました。
 
輪転機のマスター(原紙)が届きました。ネットで購入してやっと届いたのです。マスターをセットしても直らなかったら、修理に出さなければなりません。輪ゴム1個を取り替えただけでも、修理の業者が来るだけで1万円、1時間で6000円の修理費が掛かるのです。輪ゴム1個取り替えただけでも、業者の修理に出せば16000円掛かるのです。それが現実なのです。
その意味では、様々な局面での善意の取り組みは、お客さんやレッスン生には感謝されることなのですが、結局の所、プロの経営の次元では、「命取りの行為」なのかも知れないと思うようになりました。文学講座での赤字を覚悟しての様々なサービス、善意の奉仕も、これからは、いちいち経営の観点のフィルターを通す必要があるのかも知れません。
 
「善意で、ちょっと」とお願いされたことが、結果的に命取りになったという話を、以前、音楽仲間から聞いたことがありました。
その意味で、まだまだ私は、スタジオ経営におけるプロ意識が足りないのかもしれないと思いました。
それらを含めて、これからの自分の音楽活動に関わる「善意の奉仕」を点検していく必要があると感じました。
今の社会の状況の中で、スタジオを経営し存続していくことが、いかに難しいことか、「善意で、ちょっと」ということが、いかに経営を困難にし、ひいては、自分たちの社会的な立場を低くしているかを知ることなしに、これからの音楽活動を続けていくことはできないということも洞察することができました。
音楽仲間が話してくれた「善意で、ちょっと」ということが、いかに最終的に自分の首を絞めてしまうことにつながることを、はっきり意識しながらこれからも頑張っていく必要があると感じました。自分の首を絞める原因は、もしかしたら本当のプロ意識に立てない自分の中にあるのかも知れないと思いました。