津軽の情けに触れる旅・・その2(突然のアクシデントから生還まで)-3 | アカデミー主宰のブログ

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2時間で盛岡辺りまできました。そこからも気を緩めず走行しました。第一関門はクリヤーしましたが、条件は何も変わっていません。エンジンがストップすれば終わりです。出発した時は、21度程度だったのに、盛岡付近では26度になって蒸し暑くなってきました。でもエアコンはご法度です。窓も少し開けたままで走りました。
さらに1時間走り、平泉辺りまできました。宮城県はもう少しです。段々車が混んできましたが、決して周りの車に惑わされることなく一定の早さで進みました。
宮城県に入ってから、もう少しと言う時、車の燃料が少なくなってきたので、止むを得ずインターに入り、エンジンを止めることができない理由を話し給油しました。
富谷ジャンクションから仙台北部道路に入って仙台港方面を目指そうと思いましたが、案内板で仙台港の三陸道路が渋滞しているとの情報がありました。被災地に向かう車で、毎日凄い渋滞になることは聞いていましたので、危険を回避する必要があります。そのまま進んで仙台の泉インターで下りることにしました。その先の宮城インターが近いのですが、仙台西道路の長いトン年ルを通る必要があります。ライトを点けないでは無理なので、距離が遠くても泉インターで下りました。
 そこからは、国道4号線のバイパスを南下します。のろのろ運転でしたが、何とかエンジンが止まらなかったのが幸いでした。やっと家近くのカーショップまで辿り着くことができました。到着が940分頃でした。朝の5時から4時間半ノーストップで走り終えましたが、私にとっては緊張感でのあっという間の時間でした。
本当に仙台に帰って来ることが出来て良かったと思いました。そのまま車屋で診てもらうことにしました。荷物は後で取りに来ることにしました。いつも利用しているカーショップなので、店員さんや工員さんも馴染みなので、理由を話したら驚かれました。
 エンジンは、止めることができません。車の修理ピットに入れてから止めると言われました。私は、自転車で家まで帰りました。暑いのとホッとしたことで、疲れがどっと出てきました。冷たい水でシャワーを浴びて、着替えをしてから、軽トラックで荷物を取りに行きました。
 今回の旅は、アクシデントの連続でした。祭りを楽しむ余裕もなかったですが、何よりも津軽の人々に助けられました。津軽の人々の情けに触れて、いかに自分が未熟だったかを知らされました。本当に危ない思いもしました。今考えると、良く舞い戻って来れたと感心するばかりです。いくつものハードルがありました。危ない綱渡りのような時間でした。やっと戻って来ることができたのも、津軽の人々の情けがあったからだと思いました。  
青森から2時間半以上もかけて来てくれたJAFのお兄さん、五所川原駅前で車のトラブルの原因を教えてくれた祭りのおじさん達、夜遅くに駆け付けてくれたJAFのおじさん、さらに翌日も来てくれたのが同じおじさんだったのです。これらの人々の助けがなかったら帰ってくることが出来なかったのはもちろん、無理のために無謀な運転をしてしまって事故を起こしていたかも知れないのです。守ってくれたのがこの人々だったのかも知れません。この人々のアドバイスがなかったら、無謀に運転をしてしまっていたかも知れません。おじさんの話を素直に聞けた自分にも嬉しかったし、大変な中で過ごした自分にも、今は褒めてあげたいような気がします。
 本当に未熟な自分が、厳しい状況に置かれる中で、様々な人々に触れ合い、情けとして受け止めながら、素直になれた自分がありました。それがもしかしたら歴史が培ってきた津軽の人々の心に触れることだったのかも知れません。
地形的にばかりでなく、「津軽」の広さ、奥深さに、今回初めて触れることができたような気がしました。ルンルン気分の旅ではなかったのですが、私にとっては、本当に津軽の情けに触れて、自らが学ぶことができたような旅だったのではないかと思っています。
 トラブルやアクシデントは、一見すると音もたてず、突然に襲ってくる感じですが、いや、必ずその前兆があることがわかりました。今考えると盛岡でのウィンカーのライトのトラブルがそれではなかったかと思うのです。発電機の故障によって電流が過度に流れライトが切れてしまった。その時は全くそのことには気づいていませんでした。また龍飛の眺望台でのエンジン復活の時も、詳しくJHFのお兄さんに聞いておけばよかったとも思いました。あの時自分一方的にターミナルの接触不良だと思ってしまったで、JAFの方には聞かないでしまたったのです。今思えばJAFの方は、それ以上感じていたかも知れないのです。だからエンジンを止めようと思った時、一旦制止したのかも知れません。その時はすぐに掛ったので私も安心してしまったのです。幾つもの前兆の見落としあったように思いましたが、その時は全くそのことには気づいていなかったのです。
 決してアクシデントは、音もなしに襲ってくるのものではないことも分かりました。
必ず物事には、原因と結果があり、繋がっていること、そして、それは必ず何かの現象で現れることも分かりました。なかなか緊急の中で認識できなかった、愚かさが結果に繋がったのかも知れません。
 今回とにかく、無事に仙台に舞い戻って来れただけでも、良かったと思っています。
こんな厳しい状況の中で、津軽の情けを知ることになったけれど、今度はもっと穏やかな嬉しい気持ちで津軽を訪ねたみたいと思いました。
 今迄の旅行になかったような、恐ろしい試練を神様が与えたのかも知れません。私の傲慢さと愚かさを、津軽の大地の果てで試したのかも知れません。そんな厳しい試練と受け止めながらも、私はやはり生きて帰って来れた幸せと、支えてくれた津軽の情けに心から感謝したい気持ちで一杯になりました。また試練を与えてくれ、さらに救ってくれた神様にも、今は心からの感謝の気持ちを抱いているのです。
 今厳しい状況から生還し、仙台の戻ることができた自分の人生、本当にたくさんの情けに支えられていることを知りました。
 また新しい日常の日々を始めましが、今回の経験と津軽の中での様々な体験を、必ず自分の人生の中で生かしていかなければと、思わずにはいられませんでした。
津軽のふるさとは、今回私にとっては、人間の情けを感じさせ、津軽の情けに触れる旅だったのかも知れません。