津軽の情けに触れる旅・・その2(突然のアクシデントから生還まで)-2 | アカデミー主宰のブログ

アカデミー主宰のブログ

仙台ミュージカルアカデミーの旬な日常情報をお届けします。
HPには更新が面倒で記載できない、日々の出来事情報を織り込みます。ご期待下さい。
ライブ動画も掲載しました。検索は、ユーチューブで「仙台ミュージカルアカデミーライブ&発表会、花は咲く 荒浜」です。

 
イメージ 1
イメージ 2
やっとのことで、祭りが始まろうとしていた五所川原の街の中を通って、五所川原駅前までやってきました。人がごった返していました。交通規制が始まる少し前の時間帯だったのです。交通規制があれば、入って行くことができなかったのですが、その時はかろうじて規制が外されていたのです。
 ちょっとだけ立ち寄って去ろうとして、一旦エンジンを停めて、再度エンジンをかけましたが動きません。「しまった!」と思いました。さっき修理してくれたのに、「また故障か」と思いました。焦りましたが、幸い駅前に停めていました。車の場所だけは確保されていました。
 私は、龍飛の眺望台でJAFのお兄さんがやってくれたように、工具を使ってターミナルの締め方をやってみました。それでも、どうしてもエンジンは掛りませんでした。近くにいた「立ちねぶた」を引く地域の人たちの中にいたおじさんたちが寄って来て相談にのってくれました。中には車に詳しい方もいて、いろいろ分析してくれましたが、やはり発電機(オルタネーター)が故障したのではないかと話してくれました。バッテリーも電圧が低いからエンジンが掛らないとも言われました。
 仕方がなく再度、JAFに連絡を取り来てもらうことにしましたが、祭りで交通規制が掛って入っていくことができないとのこと、21時を過ぎないとダメだと言われました。
どう仕様もないので、ここでまた3時間を待つことにしました。
祭りが始まり、勇壮な「立ちねぶた」が出発していきました。街の中央部で繰り広げられる「立ちねぶた」の勇壮な動きは、見る気にもなれず、駅前周辺で過ごすことにしました。
朝にコンビニで買ったおにぎりや飲み物以外には、食べてはいなかったのですが、お腹も減らないし食べる気にもならずにいましたが、体が疲れてきました。
 まずは、風呂に入って疲れを取ることにしました。市内の銭湯を教えてもらい、車から自転車を下ろして風呂に行きました。津軽の銭湯は、街中にあって結構立派でした。サウナや水風呂もあり、大きな湯船につかり気持ち良くなりました。風呂に入ったことで気持ちも落ち着き、何かを食べなければと思い、祭りが終わったら何もなくなると思って、祭りの屋台でおにぎりやお惣菜を買っておきました。車に戻って少し食べましたが、食べ物が喉に通りませんでしたが、何とか無理して少しだけ食べました。
 携帯の電池も少なくなって不安でしたが、幸いアダプターがありましたので、五所川原駅の駅員さんに頼んで、コンセントを貸してもらいました。
 やっと祭りが終わって、人々が駅から帰って行き出しました。まだ交通規制は解かれていません。道路には人が溢れ、警察官が至る所に立っていました。
 それでも風呂に入って、着替えをしただけでも、気持ちが穏やかになりました。
 やっと21時半を過ぎて、交通規制の解除と同時にJAFのおじさんがやってきました。
今回はケーブルを繋いで1発でかけてくれました。電圧を計ったら低いのです。アクセルを踏んでも充電がされないと言われました。このままでは夜走れば、やがてバッテリーが落ちて車が止まってしまうとも言われました。
 再度JAFのおじさんに料金を支払いました。龍飛でJAFに入らなかったので、今回も同じような料金を取られました。お金がほとんどなかったのですが、今度はJAFに入会することにし、お金を払いました。もう帰るために給油するガソリン代とちょっと位しかお金は残っていませんでした。それでも来てくれたJAFの方には頭の下がる思いでした。本当に感謝の気持ちで一杯でした。会員でなかったので、JAFの応急修理は、11万円以上かかりますが、今日は結局2回支払うことになってしましました。その他にJAF入会金と年会費で6000円、トータル3万円の出費になってしましましたが、そんなことは言っていられませんでした。来てくれただけでも有難い気持ちで一杯でした。
 お金を支払ってから、エンジンをかけたままの給油しかできないので、セルフに案内してくれることになりました。先導して案内してくれたのですが、給油が終わって言ってくれたことが、私を救ってくれることになりました。
「ライトの灯りが暗いから、やはりこのまま出発したら、必ずどこかで止まってしまう。明日明るくなってから、ライトを使わないで、走りなさい」と、私はこの一言で、夜行の出発を断念しました。JAFのおじさんに、近くに大型ショッピングマートの駐車場と交番があるから、その辺りで駐車して泊まりなさいと言われました。再度JAFに連絡し、朝に来てもらって、エンジンをかけて出発するように言われました。
 そのおじさんは、明日は来れるか分からないと言いました。JAFの本部の連絡し、今日の内に依頼しなさいと言われました。JAFに入会したので、次回はお金が掛らないとも言われました。
 給油を終えて、教えてもらったように、近くの大型ショップの大きな駐車場の一角に車を停めて宿泊することにしました。
 昨日はあまり眠られなかったので疲れていました。自転車で5分の所にコンビニがあったので、ゆっくり食べて飲みながら休むことにしました。あまり食べていなかったので、食べる必要がありました。酒がないと食べられないので、今日は酒を飲むことにしました。缶ビール3缶とワンカップ3個、お惣菜や漬けもの、その他祭りで買った惣菜やおにぎりも残っていました。ビールを1缶に酒を3カップ飲みました。お惣菜を食べながら、何て酒はうまいのだろうと、その時思いました。酒があったので、食も進みました。キャンピングカーの中でのひとり酒、懐中電灯で灯りをとりながらの、わびしい食事でしたが、私にとっては、今日一日をしみじみ振り返る時間でした。それにしても明日果たして出発しても、仙台までの長い道中を帰ることができるか心配でしたが、酒がその神経を和ませてくれたような気がします。夜遅くなって、静かになってきました。キャンピングカーの窓はすべて網戸にして、ドアも網戸にして開けて眠りました。
 あっという間の爆睡でした。深い眠りから覚めた時、朝4時を回っていました。すぐに現実の状況を認識し、これから仙台まで帰ることを考えました。
 JAFへは、朝5時を頼んでいました。ゆっくり朝が明けていきます。すがすがしい朝になってきました。昨夜の熟睡で頭の中がすっきりしていました。朝の整理や準備をしました。コンビニでトイレも使いました。飲み物を購入し準備しました。
周りが明るくなって来た頃、丁度5時前にJAFの方が来てくれました。来てくれたのは何と昨夜のおじさんでした。このおじさんは、果たして眠られたのでしょうか、朝5時の仕事で眠られなかったのではないかと思いました。本当に来てくれて有難かったです。嬉しくて涙の出る想いがしました。ケーブルを繋いで1発でエンジンが掛りました。
津軽自動車道路への入り方を教えてもらい、東北道に入って帰ることにしました。
 おじさんにお礼を言って、また津軽に来るのかと聞かれたので、また来たいと話しました。何もお礼をできなかったので、名刺を渡して、心から感謝をしました。おじさんも名刺を渡してくれました。本当に仕事とはいえ、津軽の人々の情けに触れた気がしました。
おじさんには、決してライトは使わないように、他の一切の電源も使わないこと、エアコンもラジオも、ナビも使わない方がいいと言われました。東北道には、青森から秋田県辺りに十数個のトンネルがあります。そこでもライトは付けないで入った方がいいと言われました。一度エンジンが止まったら最後です。ノーストップで走った方がいいと言われました。
 言われた通りに、私は、意を決して出発することにしました。また会いに来たいと思いました、おじさんは手を振って見送ってくれました。朝57分の出発でした。
 それから津軽自動車道路に乗り、間違ってもエンジンを決して止めないように、鍵の所をガムテープで被せました。津軽道路の両側は、どこまでもリンゴ畑が広がっていました。
でも、そんな情感に浸る余裕もなく、一路仙台に向けて走りました。東北道の浪岡インターから高速道路に入りましたが、速度は一定に保って、8090kmで走りました。秋田県内に入ると幾つもの長いトンネルがありました。トンネルの中でカーブしていての長いトンネルは、少し大変でした。ライトを使わないで走行するので危険でしたが、車間距離を保ちながら走行しました。